CLANNAD AFTER STORY 第18話「大地の果て」の感想・レビュー

今回のCLANNAD AFTER STORYは朋也が父親になるお話。
朋也の問題は父親との不和による渚への依存から生じていたの。
故にCLANNADの根幹であった「父親との和解」により渚への依存を乗り越えることが出来た。
父親としての責任が渚の死を乗り越えさせ、朋也に新しい生きる意味を与えたのだ。


朋也と汐の親子になるための長い旅路が始まりましたよ。朋也は汐と父娘の絆を構築できるのか!?汐にしてみれば、5年間ほとんど会わずに暮らしてきたパパンなだけあって、その存在は憧れであるとともに恐怖でもある。トイレに頻繁に行っていたのは、泣いていたから。その事実を知り、朋也の頑なな心が次第にほぐれていく。朋也の父親としての自覚に対して、その決定打になったのは、父親との和解。性格には、和解というよりも、朋也が父親を認めることが出来たということ。平成のご時勢になってもまだ志賀直哉『和解』やってんだからと書きかけたが、封建的家父長制と産業構造の転換による近代家族制の崩壊は全然違うわね。朋也たちの例は後者だものね。朋也の婆ちゃんによって語られた朋也父のこれまでの苦労や逆境は、渚を亡くし、同じような境遇にたったことによって朋也に初めて受け入れられたのでした。色々環境も違うだろうが、父:直幸は逃げなかったが、朋也は逃げたという事実が重要なのでしょう。



朋也の父は朋也を育てるために自分の人生を棒に振った。子どものために、尽力した父親だった。…と述べられましたが、高校時代にオンナ孕ませて中退とか聞いちゃうとどうも。愛するオンナとその子どもと一緒に居たい、寂しい思いをさせたくないというのは美談だけど、結局は社会的・経済的に自立できていない高校生のうちに避妊もせずにセクロスしたオトコのエゴに巻き込まれただけ・・・と書いちゃうと見も蓋も無いわ。まぁ、ここでは朋也父が逆境に負けず、きちんと子どもを育てるという父親としての責任を果たしたのに、朋也は渚喪失の悲しみにくれて子どもと向き合う責任から逃げたという事実を突きつけたというのが大きいんでしょうね。今回のシナリオの流れは以下の通り。父親の苦労を知った朋也は長き反抗期を終えて、父親を認めることが出来た→父親としての責任を担う覚悟が出来た→汐と朋也は親子になれた→渚依存は父親との不和が原因だったので、渚の死と向き合うようにもなれた→生きる目的を渚から娘へとシフトチェンジできた。渚との子どもに生きる理由を見出し、汐と一緒に泣きあうシーンは感慨深いね。朋也父子家庭生活編から汐死亡までの流れをどのようにシナリオ構成してくるかがみもの。