苅谷剛彦『学力と階層』朝日新聞出版 2008年 110-161頁

2章2節)多様な価値観を否定する道徳教育

自民党がなぜ道徳教育にこだわるのか
  • 理由1:子どもや若者に起因する社会不安の解消
    • 「他者への思いやり」に欠けた自己中心的な若者を育ててきた「戦後的な価値観」がこうした若者を作ってきたのだと「戦後(民主)教育」に批判がいく。
    • 他者への思いやりや責任感といった「徳育」を学校できちんと教えることで、問題を妨げる
  • 理由2:戦後民主主義が標榜していた価値観を見直したい
特定の価値観の押し付けを排した旧基本法
  • 徳目を教えることで戦後的な価値観を変えたい
    • 基本法:抽象的なレベルでの教育の目的の規定
      • 「人格の完成」
      • 「平和的な国家及び社会の形成者」
      • 「自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」
    • 民主主義が価値の多様性の許容を前提とする限り、特定の価値の押し付けは民主主義の原理と相容れない
旧法が直接の教育対象を設定しなかった意味
  • 小倉紀蔵「メタからベタへ『価値観むき出し外交』は賢い選択なのか」「論座07年10月号」
    • 安倍氏が目指したものは「メタなレベルの理念体系」ではなく「価値の内実を共有する共同体をベタに構築」
  • 改正前の教育基本法の目的=「メタなレベルの理念体系」
    • 社会や他者との関係の中で表れる、相関的な、関係論的なことがら
    • 教育基本法が掲げる理念は、具体的な関係を通じて表現される行動や態度の「向こう側」に想定される「性質」
メタなレベルの理念か、ベタな徳目主義か
  • 抽象的な「教育の目的」の設定に対し、ベタに徳目を教えることで、規範意識が強化されると見るのが「徳育」を主張する論理
  • 重要な争点は、価値の多様性を保障するメタなレベルの理念を掲げることに含まれていた、一見消極的な「教育の目的」規定に積極的な意味を見出そうとするのか、それともベタな徳目主義をとるのか
  • 徳育の教科化の動き=「価値の内実を共有する共同体をベタに構築」しようとする本音
  • 「メタなレベルの理念体系」を維持することの意味を、どれだけ教育を通じて多くの子どもたちに理解させるか

2章3節)学習指導要領は学力を保証できるか

  • 「教育の地殻変動」の観点から、なぜ学習指導要領の改訂が必要なのか論ずる
学力低下で見直し議論に火がついた
  • 見直しの原因1:「学力低下
    • 1998年版学習指導要領→「学力低下」論→02年12月、指導要領「最低基準」化の為の「総則」改訂、「はどめ規制」の撤廃
    • PISAとTIMSSにおいて学力低下が国際調査でも証明→中山成彬文科相(当時)の学習指導要領見直しの諮問
  • 見直しの原因2:「教育の地殻変動
    • 高齢化による教育人件費の上昇(定期昇給・退職手当と退職者を補うための大量採用)→教員不足と質の劣化
    • 地方分権→義務教育費国庫負担を廃止、教員給与の一般財源化、教育行政の仕組みの分権化
じっくり学べる時間を確保して基礎力をつける
  • 教育における人材難と財政難、さらには分権化の流れ。これらの地殻変動が学習指導要領の見直しを迫る、深部の変化
  • 変化や条件の違いに柔軟に、多様に対応でき、教育の地殻変動に耐えうる指導要領の改訂が必要
  • 将来の教育と社会の構造変化を見越した上での制度設計が必要
  • 苅谷氏の理想論
    • 小学校4、5年くらいまでは、共通に学ぶべき基礎基本の中身を明確にした上で、できるだけ多くの子どもに読み書き算数の基礎力がつくように、じっくり学べる時間数を確保することが必須
    • 指導要領が最低限ならば、それを確実に身に付けさせる学力保証の考え方を指導要領に書き込む←教育格差拡大の時代には資源配分の優先順位が問われるから
    • 小学校段階でしっかりと基礎力をつけ、学年の上昇とともに、国による縛りを緩めていく
    • 月二程度の土曜日も中高では、地方の実情に応じて学習や学校行事に自由に使えるようにする
    • 内容はともかく、教え方や学力観は、国が一斉に指導するのではなく、学校や地域の自主性に任せる
    • 「総合」は一律廃止をいうのではなく、学年の違いをもっと考慮に入れてミニマムを設定した上で、学校現場に近い地方の判断に任せたほうが良い

2章4節)義務教育機会の不均衡化は経済格差を生む

  • 「義務教育の費用負担」という問題から、人口変動の影響に迫る
    • 前提1:義務教育はどんな社会的役割を担っているか?
    • 前提2:少子高齢社会が義務教育にどのような変化を及ぼし得るのか
義務教育は教育の機会均等を実質化する
  • 共通の普通教育を保障することが義務教育を通じた教育の機会均等(憲法26条、教基法3条・4条)
    • 義務教育費国庫負担法:義務教育の「妥当な規模と内容」を保証し「教育の機会均等とその水準の維持向上を図る」ために、その経費を国が負担することで教育の機会均等を実質化
    • ⇒義務教育の費用負担と格差問題との接点:義務教育の社会的意義は資源の再分配と教育機会の配分
  • 少子高齢化社会と義務教育の費用負担
    • 義務教育費は少子化と教職員の高齢化によって上昇
    • ⇒社会経済格差の問題となるのは、高齢化の規模とスピードにおいて、地域間で大きな違いがあるから
子どもは生まれ育つ家族、居住する地域を選べない
  • 社会的経済格差問題にとっての義務教育の社会的意義
    • 義務教育は「属性」の問題か「業績」の問題か
      • アメリカでは「属性」
      • 子どもが生まれ育つ地域という変数には、そこで子どもが受ける義務教育の水準や質が暗黙のうちに含まれている
      • 教育の機会均等が言われるとき、学区の財政的な差異を縮小することが、ひとつの政策目標となる
業績や達成の条件を均等に見えるようにする
  • 日本では、義務教育が行われる場所(site)によって、その後の教育達成や社会変動のチャンスが左右されるという認識は皆無
    • 「教育の機会均等」にとって義務教育の「妥当な規模と内容」の保証が、「人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地」による差別とならない範囲に設定されていた
    • 義務教育の財政的な制度の問題としてみると、資源再配分としての義務教育の役割が、少なくとも日本においてはアメリカよりも広く暗黙の支持
      • ex.1学級の人数とその教員配置、義務教育費国庫負担制度、普通交付税、法的拘束力を持つ学習指導要領、検定済み教科書の無償配布
    • ⇒義務教育の水準や質を平準化するために、子ども一人あたりに換算すれば地域ごとに異なる額の教育費をそれぞれの地域に配分
    • ⇒資源再配分の機能を担ってきた義務教育の社会的役割が示されている
  • 標準化の進んだ義務教育=教育の機会均等と見なされた背景思想
    • 地域社会の特性差異を超え、子どもの社会科空間を公立小中を通じて均質的なものとすることにより、教育の均等をはかろうという考え方
    • 社会空間論からの視点⇒「近代社会に特有の一元的空間」
    • 国民国家⇒学校教育制度⇒「近代社会に特有の一元的空間」
    • 義務教育段階の学校による社会化空間の一元化は、同一の教育条件・学習環境を提供することを意図して取られてきた政策の結果であり、言い換えれば、教育を通じた業績・達成の条件をできるだけ均等であると見えるようにすることで、社会的選抜において同じスタートラインに立ったと見なす、そういう前提を提供する
    • 義務教育と地域の関係、公立小中の質を教育機会の差異と見なす研究はほとんどない⇒義務教育の標準化と均質化が進んでいると認識
  • 教育財政の問題
    • 同一の教育条件・学習環境の平準化と教育機会の均等の保障の関係→財政面から注目→義務教育費国庫負担制度
      • 多様な「地域」の空間的特徴→子どもたちの社会化に影響⇔学校という教育の場で標準化、とりわけ認知社会化を標準化
    • 教育機会均等の制度化:資源(ヒト・モノ・カネ・情報・時間)を地域の空間的特徴によらずに均質化
      • 財政を通じた資源の再分配→均質性の担保が金銭タームで表示→社会化が行われる学校空間の教育条件を同質化することが機会の均等を保障していること
      • 財政(税金)を通じた資源の再分配が空間の差異を消去し、国民国家が一元的社会化空間を作り出していることへの正当性の基盤を提供している
      • 国の財政を通じて義務教育の機会均等を保障し、それを正当化する、資源再配分の象徴的な仕組み=義務教育国庫負担金制度、教職員標準定数法
    • 教育機会の均等の保障の財政的な裏づけ→社会的選抜において、地域によらずに同じスタートラインに立っているという印象
      • =国家財政の裏づけを得た社会化空間の均質化を通じて、所期の機会が同じであることが可視化される
      • =財政を通じた資源再配分という国民国家の政策は、その意味で、学校を通じた業績主義的選抜の公正さを印象付ける
  • 機会の可視化と不可視化の二重性
    • 教育条件の均質化→同一の機会が与えられていることを可視化→教育機会の差異をの消去→機会の不可視化
義務教育の人件費、高知は埼玉の1.5倍
  • 国による義務教育の人件費負担(p.139)
    • 義務教育費国庫負担制度
      • 公立の義務教育諸学校の教職員の給与及び諸手当のうち、都道府県が支出する実支出額の2分の1を義務的経費として国が負担する制度
    • 地方交付税
  • 義務教育の教職員人件費の支出における資源再配分の役割
    • 図1→義務教育にかかる人的費用には都道府県間で大きな差異→「教育の機会均等」として義務教育の「妥当な規模と内容」を保証するために国が資源の再配分をしている
    • 図2→財政力の弱い県ほど、一人あたりの教育費がかかり、それだけ国による資源の再配分が義務教育を通して行われている
    • 図3→小規模校になっても国が財政的なテコ入れをすることで、義務教育における教育条件を均質化しようとする
    • 結論:義務教育の均質化を図るために、都道府県間での義務教育費の格差を国が補填している
  • 少子高齢化の影響
    • 教員の高齢化:人件費の上昇 図4→教員の年齢構成のいびつさ:公立学校の教員数は法律により決定されリストラなし、新規採用を手控えるしかない
    • 少子化:児童生徒ひとりあたりの義務教育人件費はさらにコスト高になっていく
  • 義務教育費の将来予測:教育機会均等維持のために、今後どれだけの資源再配分が必要となるか、維持されない場合の問題点とは何かを探る基礎作業
    • 結果(p.148/149の表2・図5):人件費の大幅な負担増
      • 人件費の増加は、定期昇給の制度や退職金の水準を現状維持する限り、国であれ、地方であれ、どこかが負担しなければならないものである。いくら地方に財源を移しても、負担増から地方の自由度が高まるわけではない。かえって、他の財源を減らして対応をしなければならない性格の財源移譲であることが分かるだろう。給与や退職手当の引き下げを行わない限り、これら増大する人件費をどこからか捻出しなければならない。
  • 教員数や年齢構成における都道府県別の違い
    • 図6→10年ごろまでは財政力のある都道府県ほど、義務教育人件費の増加傾向が大きく、それ以後には、反対に、財政力の弱い府県ほど、義務教育費人件費の増加率が高くなるという逆転現象
      • 財政力のある大都市圏では人口流入により早い時期に教員の大量採用が生じたため教職員高齢化も早い。団塊の世代の子どもたちに合わせて人数増加させた地域ではその後高齢化してくる。
      • 結果、教員の高齢化がいっそう顕著になる時期に、財政力の弱い地域で、義務教育にかかる人件費が増大していく。
  • 少子化の影響(表3)
    • 児童生徒ひとりあたりにかかる義務教育人件費の都道府県格差は、いったん縮小するが、11年度以後04年度の水準を超えて大きくなっていく
    • 少子化の影響を受け、児童生徒数が減っていくことで、児童生徒一人ひとりあたりの義務教育費は上昇するが、それは、都道府県間の格差の拡大と連動しながら進む
義務教育機会の不均衡化は経済格差を生む
  • 図7→教員の高齢化と少子化による児童生徒数の減少とが顕著になるにしたがって、財政力の弱い府県ほど、児童生徒一人ひとりあたりの義務教育人件費の額が増大していく
    • 財政力の弱い地域に対し、現在以上に国の財政的な調整が必要になっていく、国による資源の再分配機能の重要性が高まる
    • 再分配機能が弱まれば、義務教育を通じた「教育機会の均等」をこれまでのように保障することが難しくなっていく
おわりに
  • この章の目的と結論
    • 目的:教育機会の均等についての分析(現状では国による財政調整が行われ、義務教育の「妥当な規模と内容」を保証している)
    • 結論1:国による財政の調整が地域間での資源の再配分機能を持ち、義務教育段階における教育機会の均等が保障されていることを、可視化すると同時に、不可視かもしてきた
      • 教育達成を通じた生活機会の獲得が広く受け入れられてきた「大衆教育社会」においては、義務教育段階でのスタートラインが同じであるという認識の広まりは重要な意味をもってきた。その後に生じる教育達成の差異や、その帰結となる生活機会の差異は、教育を通じた業績競争の結果として、正当に受け入れられる、そういう素地を義務教育の均質化は作り出してきたのである。
    • 結論2:義務教育を受ける場所の問題が、将来的には大きく変わりうる可能性がある
      • 少子高齢化による国家の財政調整力の必要性 but,税収減&年金・医療負担増→資源の再配分が不十分に→教育機会の不均等→社会経済的格差の拡大
      • 同じスタートラインに立っているいう原則への信頼(幻想?)が崩れていくことで、大衆教育社会が前提としてきた教育を通じた競争の公平性への信頼(幻想?)も揺らいでいく