砂糖から見る近代西洋資本主義に組み込まれる大西洋世界

1)砂糖と現代世界の問題

現在、環境問題の影響により代替エネルギーが話題になっていることを告げ、バイオ燃料が着目されていることを紹介し、「どのような植物からバイオ燃料が作られていると思いますか」と推測させる
サトウキビエタノールを取り出し、「この燃料は何から作られているでしょうか」と推測させる。サトウキビから作られていることを告げ、近年ブラジルではサトウキビエタノールが産業の成長の中心の一端を担っていることを紹介する。しかしながら問題も生じていることを告げ、どんなデメリットがあるか推測させる。その後、サトウキビプランテーション労働の写真と記事を配布し、過酷な労働が問題になっていることに気づかせる。「どうしてブラジルでは未だに奴隷のような労働が生じているのであろうか」と発問し、ヨーロッパ諸国に経済的に従属してきたという歴史背景があることに気づかせ、今回の授業のめあて「近代西洋資本主義に組み込まれる大西洋世界」をつかませる。

2)サトウキビはどこから来たか

サトウキビはブラジル原産ではないことを告げ、「サトウキビは一体どこから、どのようにしてブラジルのもたらされたのでしょうか?」と推測させ、砂糖の歴史のエピソードを紹介する。

<砂糖の歴史>
サトウキビを原料とする砂糖生産は北インドに始まり、ササン朝末期にはイランに導入され、アッバース朝時代にはイラク南部からさらにエジプトのデルタ地帯に広まった。12世紀頃には、サトウキビ栽培はエジプト全土に拡大し、ヨーロッパ向けの主要な重要な輸出商品に数えられるようになった。その後、イスラーム世界の砂糖技術は、北アフリカを経てアメリカ大陸に伝えられ、植民地を経営するヨーロッパ諸国は、奴隷労働を用いて大規模なサトウキビ生産を行うようになった

<ブラジルにおける砂糖生産の歴史>
1500年、カブラルがブラジルに漂流し、トルデシリャス条約を根拠にポルトガル領。だがポルトガルはアジア進出に力を注ぎ、ブラジルにはあまり関心が払われず、木材(パウ・ブラジル)の伐採を行うに過ぎなかった(cf.この木材:パウ・ブラジルがブラジルという地名の起源)。しかし、早々にパウ・ブラジルが枯渇し特産品がなくなると、サトウキビ栽培が開始される。1516年にブラジルで始めて製糖工場付サトウキビ農園(エンジェニョ)が作られ、以後急速に拡大していく。

・知識ポルトガルの海外進出について整理する(プリント)


3)サトウキビプランテーション奴隷貿易

サトウキビプランテーションの資料を配布し、「このサトウキビプランテーションでは、どのような人が働いていますか?」と考えさせる。その人々は黒人であるが、「ブラジルの先住民は黒人ではなく、インディオですね。では黒人はどこからやってきたのでしょうか?」と推測させ、サトウキビプランテーションの労働の様子を紹介する。

<サトウキビプランテーションと黒人奴隷>
糖業には、高温多湿な気候と肥沃な土壌が必要。ブラジルの気候とマサペーと呼ばれる黒色腐植土は生産に適していた。砂糖生産が拡大していくにつれて、労働力の需要が増大する。当初、労働力の担い手は先住民のインディオや白人の年季奉公人であった。前者は、ヨーロッパからもたらされた伝染病に抵抗力が無く次々と死に絶え、後者も数に限界があった。このため、砂糖プランテーションでは黒人奴隷が使われるようになり、その大量供給が不可欠になった。ヨーロッパ各国は、きそって奴隷貿易に乗り出すようになった。当時、砂糖はヨーロッパではグラム単位で取引されるほどの貴重品であったため、アフリカ大陸から奴隷を購入しても採算が取れるほど、糖業の収益性は高かった。このような貿易を大西洋三角貿易という。

4)生活革命とヨーロッパ諸国の海外進出

 高級砂糖菓子や上流階級のティーティーの図絵を配布し、アジア・アメリカからもたらされた新奇な商品、例えば砂糖、茶、タバコ、綿、絹などは贅沢品であり、上流階級のステイタス・シンボルとなったことを告げ、「貿易を中心に豊かになった都市民は、上流階級の生活を見てどう思いますか?自分たちの生活をどのようにしたいとおもいますか?」と考えさせる。生活に余裕の生じた市民は上流階級の生活を真似るようになり、ヨーロッパ人の全体の生活に変化を与えたことを生活革命と呼ぶ。「では、どのように生活革命をもたらすことになっていったのでしょうか?」と思考を促し、海外進出を整理する。
・知識 ヨーロッパ諸国の海外進出について整理する(プリント)
◦a.「太陽の沈まない国」スペイン
◦b.オランダの覇権
◦c.第二次英仏百年戦争

まとめ)イギリスの勝利と世界市場の獲得

 黒人奴隷を使役する砂糖プランテーションによって、ヨーロッパ・西アフリカ・アメリカを結ぶ三角貿易が発展し、大西洋世界は近代西洋資本主義体制に組み込まれていった。そして、ヨーロッパ諸国の植民地抗争にイギリスが勝利し世界市場を獲得したとまとめる。  
三角貿易による資本蓄積と世界市場の獲得によりイギリスでは産業革命が起こり、七年戦争の戦費返済のための重税とフランスの撤退により北米では独立革命が起こり、フランスでは度重なった戦債とイギリス産業革命工業品の流入により経済が混乱しフランス革命が起こった。フランス革命によるナポレオンの台頭の混乱を経て、ラテンアメリカ諸国も独立運動を起こす。こうした一連の流れを、環大西洋革命と考えることが出来るとまとめる。