雑録

岩本通弥「「ふるさと文化再興事業」政策立案過程とその後」 岩本通弥『ふるさと資源化と民俗学』吉川弘文館 2007 53-78頁

はじめに

  • 本稿の目的
    • 2001年度から文化庁の正規事業となった「ふるさと文化再興事業」がどのような要因と背景で立案され、施策としてどのように具現化していったのか、その政策立案過程とその後の展開を概観すること。

一、ふるさと文化再興事業とは何か

  • 「地域文化の振興等」の新規事業;「地域芸術文化活性事業」と「ふるさと文化再興事業」
    • 前者についてはマスコミで好意的に報じられるが、後者は全く報じられたことはない
    • しかし後者は「歴史・伝統を尊重する教育」と密接に関連している
  • 『平成十三年度文部科学白書』におけるふるさと文化再興事業の定義と開設
    • 定義「地域の個性豊かな伝統文化を継承・発展させるため、地域における伝統文化の保存・活用活動を支援する」
    • 解説「地域において守り伝えられてきた個性豊かな祭礼行事、民俗芸能、伝統芸能などの伝統文化の継承・発展を図り、一体的・総合的な保存・活用を進めるため、地域伝統文化の継承・発展のためのマスタープランの策定及びこれに基づいて実施される伝承者等の養成、用具等の整備・映像記録の作成などの事業を支援し、地域の活性化を図る」
  • 筆者の論じたいこととここで論じること
    • 論じたいこと:ふるさと文化再興事業は各地のいわゆる民俗文化財に対する助成事業ではあるが、従来の文化財保護法下の助成事業とは、大きな乖離が潜在しているという点。
    • 論じること:ふるさと文化再興事業の背後に垣間見える、極めてきな臭い政治的な動きについて

二、新農業基本法との関連―農村は文化財なのか

  • 「農村の多面的評価」
    • 農村は単なる農業生産の場ではなく、下流の都市住民にとっても水資源を供給し、洪水や土壌浸食の防止の役割を担っている
    • 農村という存在自体が祭りや民俗芸能をはじめ「日本文化の継承能力の場」であり、「伝統文化を保存する場」であって、都市民にとってもそれは「心のふるさと」
    • 農村が健全な姿で将来の日本人のために伝えられていくということが、民族として最も大事なこと
    • 都市住民に意識化させ、定着させるための方策としてのグリーンツーリズムアグリツーリズム、エコミュージアムなどの観光事業の導入推進による都市と農山村の交流
  • 国家と文化
    • 祭りや芸能は日本文化のために行なわれているのではないが、地域住民のみならず、個別地域を越えた国民共通の「誇り」として、「文化」の定義付けの拡張
    • 農村に文化的価値を付与することで、これまで通り農山村に落ちていた補助金の配分を維持、さらには新たな公共事業を生み出す装置
    • 農村政策に名を借りた保守勢力の支持基盤の維持、かつ愛郷心愛国心の涵養 →第二・第三の地方改良運動

三、見え隠れする神道界・神政連の影響力

  • 元々の農業政策がどうして文化政策をはじめ多様な施策と結びついたのか、誰が主導してきたのか
  • 伝統文化活性化国民協会
    • 問題点
      • この財団が設立されるや否や、同年12月には「ふるさと文化再興事業」の委託を受け、実質的な事業主体となる点
      • 援助金がこの財団から各種保存団体等に交付される仕組み、交付決定の採択県権もこの財団が掌握
    • 性格
      • 「『公』概念の希薄化」「道徳の衰退等の廃頽現象」「両俗・良風を確認」
      • 「全国各地における歌、踊り、祭礼」のほか、「茶道、華道、武道など」の「伝統文化の活性化」
    • 著者の指摘
      • 「全国各地における歌、踊り、祭礼」と「茶道、華道、武道など」を同一視することは間違っている。生活そのものである「民俗」は、時代とともに変化していくことを前提とした概念であり、いわゆる伝統文化と同一視することは、それらの固定化に繋がり、伝統かすることに他ならない。
  • 神社界と国の政策の関係
    • 神社界と国の政策はパラレルな関係。地域の核に神社を据えたいがために、祭りのみならず、それにはその他一切を含んだ「文化」という言葉が最適 →文化庁が新たな視点として打ち出した「関連する文化財を総合的・一体的に把握」する必要性も、世界遺産などの動向やそのバッファゾーン(緩衝地帯)の概念を踏まえたとしても、奇妙な一致が認められる。

四、「伝統」化される文化―文化という美名の裏で

  • 民俗学における、現在進行している「文化」政策の、最も本質的だと思われる問題点
    • 文化という言葉の混同と濫用
      • 文化という言葉は多義的であると同時に、その美名により施策や問いの排除が想起される
      • 文化には、「当然のもの」として疑問の余地の介入を許さず、人々に価値判断を放棄させる機能を発している
      • 文化は一見自律的な概念のように見えながらも、「国民統合のためのイデオロギーにほかなら」ず、文化と政治は親密なる連関性を有する。
    • 文化と伝統
      • 新農業法の「文化としての農業」は何を意味するのか →農業や農村は日本の「伝統」なので守っていかねばならないという政治的意図
      • 文によって化する=変化するので、これに対し、変わらないことを前提とした、不変的で本質的なといった意味を持つ「伝統」とは、本来、相対立する正反対の概念
      • 化することを固定化するような、その伝統視は、地域の自律的な発展を阻害せずにはいられない
    • 保存と活用からの問題提起
      • 文化財保護法には「保存と活用」があるが、その活用を観光地や地域の活性化にまで拡大したとき、果たして文化財は保護できるか
      • 活用の方ばかりが強調された今次の「文化」政策は、地域の活性化を志向しながらも、都市住民の「観光」に供するだけで、観光でしか耐えられない地域を生み出してしまわないか

五、その後の展開と今後の展望―アマルガムの溶解と未来

  • 政界再編に伴う推進勢力の後退
    • 郵政改革 →戦後日本の農業政策や今後の農政改革の方向性をめぐる闘争 =農村・農家保護を主眼とするのか、あるいは農業を支援助成する政策なのか、曖昧なままに保たれていた対立構造が一挙に露見化。
  • 「食料・農業・農村基本計画」
    • 直接所得保障制度と企業参入の方針 →コミュニティ維持から経済=市場原理主義優先の方向性へ大きく舵が切られる
      • 日本では中世の惣村の形成以来、近世の村切り=村高制によって確立し、村株と家筋によって維持され続いてきた、農村という自治共同体単位のシステムが根こそぎ転換せざるを得なくなる歴史的にも大きな節目となる大転換点
  • 『新時代の日本的経営―挑戦すべき方法とその具体策』
    • 日本社会の未来像は所得格差が広がり、階層化していくという予測の下で、安い賃金でも満足する社会層の創出と、その統治
    • ふるさと文化資源化の諸政策 →「地方の過疎化を防ぐだけでなく、地方に伝統=体制・秩序に従順で保守的な国民層を創出する」
  • 文化財的価値
    • 地域社会の統合という機能論的な意味づけであり、新農業基本法の「多面的機能」という用語は法律上裏付ける法的根拠、ふるさと文化再興事業はそれを政策的に促進するもの
    • 1940年の神祇院創設により、地域神社を国家神道の基盤に位置づけ、氏神信仰を介して国家神道への崇敬心を獲得しようという体制への事実上の回帰を意図した復古主義

おわりに

  • ふるさと文化振興事業とは何だったのか
    • 急速に進展してきたグローバル化の流れの中で、多元的な諸勢力の多様な政治的意向や思惑が盛り込まれ、アマルガム的にひとつに融合されて立案された施策。
    • 中山間地域に伝統的な祭りを復活再興させるという本来の政治的意図とはだいぶ離れた方向で消費された。
  • 有機的知識人」の存在
    • 文化行政の末端である地元の現場では、文化財担当者が立案者側の目的とは異なり、従前の文化財保護法の枠の中で、予算を処理していく →本来の文化財保護法の基本理念に立ち帰った各自の良識的判断で修正が加えられた。 →地元の暮らしに密着し、地元の要求を実践的に図っていく人びと(=「有機的知識人」)の中央の支配的ヘゲモニーに対する防波的な役割を発揮した実例

雑感・コメント

  • 国民統合の装置
    • 「ふるさと文化再興事業」は「歴史・伝統を尊重する教育」と密接に関連していると述べられている件に関して。平成21年版学習指導要領の特徴として、文化・伝統が強く強調されたことが挙げられる。具体的には国語科における「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」や、体育における武道必修化、音楽における伝統音楽の重視、徳育の教科などである。その背景にあるのが、新自由主義経済における国民統合の解体に対する新保守主義の台頭。つまりは、経済利益中心で共同体が解体して国民としての意識が希薄化する状況を伝統や道徳で国民統合しなおしましょうという考え方である。このため、文化・伝統に関するものは何でも国民統合の装置となりえる。この文章で紹介されている「ふるさと文化再興事業」も観光や農村の観点から国民統合の装置となっていることが指摘されている。新保守主義批判の一つの論点であると考えられうる。
  • 有機的知識人」
    • 文化財保護において元の暮らしに密着し、地元の要求を実践的に図っていく人びと(=「有機的知識人」)の中央の支配的ヘゲモニーに対する防波的な役割を発揮した実例があるように、教育現場においてもそのようなことが求められている。