はじめに
- 本稿の目的
- 2001年度から文化庁の正規事業となった「ふるさと文化再興事業」がどのような要因と背景で立案され、施策としてどのように具現化していったのか、その政策立案過程とその後の展開を概観すること。
一、ふるさと文化再興事業とは何か
- 「地域文化の振興等」の新規事業;「地域芸術文化活性事業」と「ふるさと文化再興事業」
- 前者についてはマスコミで好意的に報じられるが、後者は全く報じられたことはない
- しかし後者は「歴史・伝統を尊重する教育」と密接に関連している
- 『平成十三年度文部科学白書』におけるふるさと文化再興事業の定義と開設
- 定義「地域の個性豊かな伝統文化を継承・発展させるため、地域における伝統文化の保存・活用活動を支援する」
- 解説「地域において守り伝えられてきた個性豊かな祭礼行事、民俗芸能、伝統芸能などの伝統文化の継承・発展を図り、一体的・総合的な保存・活用を進めるため、地域伝統文化の継承・発展のためのマスタープランの策定及びこれに基づいて実施される伝承者等の養成、用具等の整備・映像記録の作成などの事業を支援し、地域の活性化を図る」
三、見え隠れする神道界・神政連の影響力
- 元々の農業政策がどうして文化政策をはじめ多様な施策と結びついたのか、誰が主導してきたのか
- 伝統文化活性化国民協会
- 問題点
- この財団が設立されるや否や、同年12月には「ふるさと文化再興事業」の委託を受け、実質的な事業主体となる点
- 援助金がこの財団から各種保存団体等に交付される仕組み、交付決定の採択県権もこの財団が掌握
- 性格
- 「『公』概念の希薄化」「道徳の衰退等の廃頽現象」「両俗・良風を確認」
- 「全国各地における歌、踊り、祭礼」のほか、「茶道、華道、武道など」の「伝統文化の活性化」
- 著者の指摘
- 「全国各地における歌、踊り、祭礼」と「茶道、華道、武道など」を同一視することは間違っている。生活そのものである「民俗」は、時代とともに変化していくことを前提とした概念であり、いわゆる伝統文化と同一視することは、それらの固定化に繋がり、伝統かすることに他ならない。
- 問題点
四、「伝統」化される文化―文化という美名の裏で
- 民俗学における、現在進行している「文化」政策の、最も本質的だと思われる問題点
- 文化という言葉の混同と濫用
- 文化という言葉は多義的であると同時に、その美名により施策や問いの排除が想起される
- 文化には、「当然のもの」として疑問の余地の介入を許さず、人々に価値判断を放棄させる機能を発している
- 文化は一見自律的な概念のように見えながらも、「国民統合のためのイデオロギーにほかなら」ず、文化と政治は親密なる連関性を有する。
- 文化という言葉の混同と濫用
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- 文化と伝統
- 新農業法の「文化としての農業」は何を意味するのか →農業や農村は日本の「伝統」なので守っていかねばならないという政治的意図
- 文によって化する=変化するので、これに対し、変わらないことを前提とした、不変的で本質的なといった意味を持つ「伝統」とは、本来、相対立する正反対の概念
- 化することを固定化するような、その伝統視は、地域の自律的な発展を阻害せずにはいられない
- 文化と伝統
五、その後の展開と今後の展望―アマルガムの溶解と未来
- 政界再編に伴う推進勢力の後退
- 郵政改革 →戦後日本の農業政策や今後の農政改革の方向性をめぐる闘争 =農村・農家保護を主眼とするのか、あるいは農業を支援助成する政策なのか、曖昧なままに保たれていた対立構造が一挙に露見化。
- 「食料・農業・農村基本計画」
- 『新時代の日本的経営―挑戦すべき方法とその具体策』
- 日本社会の未来像は所得格差が広がり、階層化していくという予測の下で、安い賃金でも満足する社会層の創出と、その統治
- ふるさと文化資源化の諸政策 →「地方の過疎化を防ぐだけでなく、地方に伝統=体制・秩序に従順で保守的な国民層を創出する」
おわりに
- ふるさと文化振興事業とは何だったのか
雑感・コメント
- 国民統合の装置
- 「ふるさと文化再興事業」は「歴史・伝統を尊重する教育」と密接に関連していると述べられている件に関して。平成21年版学習指導要領の特徴として、文化・伝統が強く強調されたことが挙げられる。具体的には国語科における「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」や、体育における武道必修化、音楽における伝統音楽の重視、徳育の教科などである。その背景にあるのが、新自由主義経済における国民統合の解体に対する新保守主義の台頭。つまりは、経済利益中心で共同体が解体して国民としての意識が希薄化する状況を伝統や道徳で国民統合しなおしましょうという考え方である。このため、文化・伝統に関するものは何でも国民統合の装置となりえる。この文章で紹介されている「ふるさと文化再興事業」も観光や農村の観点から国民統合の装置となっていることが指摘されている。新保守主義批判の一つの論点であると考えられうる。