福田アジオ『日本民俗学の開拓者たち』山川出版 日本史リブレット94 2009年

この本の趣旨は、民俗学が成立する学問的系譜を概説するという内容。
近世における民俗への関心と明治近代の土俗学が柳田國男により統合され、学問として民俗学が形成され、弟子が育ってアカデミック民俗学が大学で研究されるようになったという展開。菅江真澄鳥居龍蔵山中共古柳田國男折口信夫宮本常一瀬川清子がそれぞれ概説されている。


菅江真澄は近世において、旅のなかで、いく先々の生活にふれ、民俗を発見した。そのような民俗への興味関心は民俗学成立に前提にあったが、それを一定の学問に仕上げていったのが、明治以降の研究者である。鳥居龍蔵は大学教育を受けなかったものの欧米から輸入された人類学の一部である土俗調査・土俗学により日本各地の民俗を集め、新化主義に基づいて歴史過程を再構成しようとした。山中共古は、消え行く江戸時代の実像を記録しておこうとしたキリスト教の牧師で、近世以来の文人的な民俗への関心を示した。この土俗学と近世以来の民俗の関心を統合したのが柳田國男であった。


柳田國男の研究が多くの類例を集積しての帰納法であるのに対し、折口信夫の研究は、個別の事象への直感から獲得した仮説を設定し、それによって統一的な解釈を試みようとするものであった。宮本常一は、小学校の教員のかたわら郷土学習に関心を抱き地域の生活を調べるようになり、柳田國男渋沢敬三の影響により民俗学へ入った。宮本常一民俗学の特徴は、歴史研究であり、意識・観念・象徴がない、概念・用語・仮説を必要としない、個人の営為を重視する、物質も重視する、社会に役に立つ実践的、西日本に親しみを持つ、といった傾向がある。瀬川清子は数少ない女性研究者であり聞書きの達人で海女などの調査で有名。衣食を中心とした日常生活を女性の視点から把握しており、男性の研究者が衣料の製作や調理のことにほとんど関心を示さず記録されていなかったので貴重であった。


戦後、1958年になると東京教育大学文学部と成城大学文芸学部で民俗学のコースが開講され日本における民俗学の専門教育が開始された。1980年以降になると、民俗学は大学と博物館によって担われるアカデミックな学問となり、大学で学び、大学で研究するのが当然という状況になった。