(100927)タバコ レジュメ 6章補綴

1-2 コロンブスの交換の背景
  • 大航海時代」のプッシュ要因
    • タバコがアメリカからヨーロッパへと伝播したことは先に見た。しかしながら、どうしてヨーロッパがこの時期対外進出をしたのであろうか。15世紀、ヨーロッパには膨張せざるをえない事情があった。それがいわゆる「大航海時代」のプッシュ要因となるのである。つまり「15世紀の西ヨーロッパは、なお封建社会とよばれる社会の仕組みを維持していたが、この仕組みはすでに経済的にも、社会的にも、危機の状態に陥っていた。この危機への対応として、15世紀末から17世紀初頭にいたる「長期の16世紀」に、西ヨーロッパは自らのイニシアティヴのもとに、「大航海時代」を現出し、ひとつの世界的な分業体制を生み出すことになった」(註1)ということである。
  • 大航海時代」のプル要因
    • 大航海時代」をもたらした要因としてヨーロッパ側の事情だけではない。アジア側が持つプル要因もあった。すなわち「アジアの栄華」、特に繁栄していた東アジアの生活文化への憧れである(註2)。しかしながら、「アジアの栄華」に憧れて大洋へと乗り出したヨーロッパは、南北アメリカに進出することになり16世紀以降南北アメリカの開発が進んでいく。アジアには既存のネットワークに参入しただけとなり、アジア開発が始まるのは17世紀後半、本格的になるのは帝国主義が始まる19世紀後半からである。
    • 「アジアの栄華」の憧れは、15世紀に至るまでに東西交流の中から醸成されていった。すなわち、地中海に進出したイスラーム諸国とそれに対する十字軍やレコンキスタやイタリアの東方貿易、13世紀におけるモンゴルのユーラシア交易路の整備やそれを利用したマルコポーロの『世界の記述』(『東方見聞録』)などである。こうして東西交流の中からヨーロッパにアジアへの憧れを醸し出し、引き付けさせるプル要因となったのである。
  • 封建制の危機」
    • ここでは、「大航海時代」のプッシュ要因であった「封建制の危機」について述べる。「封建制の危機」をもたらした要素として中世のヨーロッパはどのような状況であったか、そこからどのように危機に陥ったのか、危機の状況からどのように膨張していったのかという観点から分析していく。
    • 中世ヨーロッパの状況
      • 中世ヨーロッパではいわゆる「封建制度」と知られる社会・経済状況にあった。これを土地から見てみると「「封土」とよばれる上級の領主が保有する土地の下級領主への「下封」と軍役義務の交換を行う、自由人のあいだの契約関係」(註3)ということができる。経済的には「農民などの生産する経済的余剰のほとんどを、裁判権をもつ領主、つまり貴族たちが握るような社会制度」(註4)と云えよう。
    • 遠隔地商人と流通経済
      • 封建領主は経済的余剰を生産物、つまり現物で入手していたため、それを売却する必要があった。このためヨーロッパは、封建社会においても自給自足的な閉鎖空間ではなかったとされる。「ヨーロッパの封建社会というものは、閉鎖的で、交換の少ない「自然経済」などではない。封建社会もまた、かならずある程度の商業や都市と並行して発展した」(註5)。だが、封建社会では各地域間の経済統合はなされず、商品の価格差も大きかった。ここに遠隔地商人が登場し、差額を稼ぐために商業網が発達してくる。12世紀から13世紀には遠隔地貿易と地域内交易が発展していった。
    • 「農産物の間接消費」
      • 1150年ごろまでには「農産物の間接消費」の段階までに発達する。「農産物の間接消費」とは「多くの人びとが食糧としての農産物さえ自給することはなくなり、そうした生活必需品のような基礎物資をすら、どこかで買い求める人びとが増えた」ということである。「封建社会のなかにおいても、商品経済はよほど進んでいたことがわかる。マナー(荘園)の経済も、商品取引がすすむにつれて、一種の商品生産の単位となっていった」(註6)。
    • 封建制の危機」
      • こうして12世紀から13世紀にかけて拡大し続けてきた商品経済だが、14世紀には縮小してしまう。この要因としてペストの大規模な流行や戦火の拡大などがあった。こうした中で人口は減少していき、荘園における人口不足が顕著になる。こうなると領主も多少の譲歩をせざるをえず、農民と領主の力関係が変化していく。農民一揆が頻発するようになり、領主層と農民の経済的余剰の取り分をめぐる闘争が展開されるようになる。こうして封建制は危機的状況に陥った。こうした中で領主は既得権益を保持するために、国王に頼るようになり集権化が進んでいくのである。
    • 国家権力の集権化
      • 領主層は火器の普及にも対応しきれず伝統的な騎士として槍で武装するスタイルは旧式となった。こうして軍事力的にも弱体化していった。上記のような農民の抵抗を抑えきれなくなった領主層はこれまで対抗関係にあった中央政府、つまり王権の支援に期待することが多くなっていく。こうして裁判権などの権力が国家機構に集中された。こうして国家権力は強化され、官僚制度と常備軍を備え、国家権力が国内のすべての権力に優越する「国家主義」が成立する。こうして西ヨーロッパでは中央に権力が集中され統合が強化されながら、分配すべきパイの拡大を求めて、対外進出を果たしていった。
    • 1:『中公 世界の歴史25』 112頁
    • 2:同
    • 3:同114頁
    • 4:同
    • 5:同115頁
    • 6:同116頁
1-3大航海時代の影響

タバコは「大航海時代」においてヨーロッパの南北アメリカ進出によってもたらされた。タバコがもたらされた「大航海時代」はヨーロッパにおいてどのような影響を与えただろうか。ここではタバコがもたらされた時代、ヨーロッパはどのように変容していったかを述べる。

  • 価格革命、商業革命、労働力徴募

大航海時代の影響として、価格革命、商業革命、再版農奴制が挙げられる。以下に端的に述べる。価格革命は新大陸の銀が大量にヨーロッパにもたらされインフレが起こり貨幣地代が主となっていた領主に打撃を与えた(中公世界の歴史16 352頁)ことである。貴金属の流れは、アジア物産の収集にも当てあられポルトガルマカオを拠点とする対中国貿易、スペインのマニラを中継するガレオン貿易により中国に大量に流入し、銀納を中心とする税制である一条鞭法や地丁銀に影響を与えたがこれは3節において後述する。商業革命は経済活動の中心が長期的に地中海から西ヨーロッパへと移っていった(中公世界の歴史16 352-353頁)こと。再版農奴制は、西欧の経済活動の進展の結果、東欧は西欧に対して穀物供給地となったことから行われた労働力徴募の形態のことである。近年、この再版農奴制を「世界市場」で「世界商品」を生産するための労働力徴募の一形態と見なしている(中公世界の歴史25 148-149頁)

  • 労働力徴募
    • 大航海時代の影響として様々な「世界商品」が現れたが、その「世界商品」を効率よく収集するにはただ交易するのではなく、各地の交易品を市場へ向けて積極的に生産するようになる。こうして商品を生産するための労働力徴募が行われるようになる。「再版農奴制」や「エンコミエンダ制」は一見中世の農奴制度に似てはいたが、商品を供給するための生産組織であった。また合衆国南部における黒人奴隷制度も奴隷制度だからといって古代の生産形態ではなく、綿花やタバコを供給するための生産組織であった(中公世界の歴史25 148-149頁)。
    • こうして労働力徴募の生産組織が生み出されたが、南北アメリカでは労働力になった先住民が死滅し外部から強制的に労働力を供給する必要が生じ、大西洋を越えるアフリカ人奴隷の貿易とそれに基づく黒人奴隷制プランテーションが生まれた。西アフリカに拠点を持っていなかったスペインにとってアフリカ人奴隷の獲得は容易ではなかったため、1516年からスペイン政府が奴隷供給契約(アシエント)を結ぶようになり、奴隷供給と世界商品の莫大な利権となり、国際紛争の原因になった(同149頁)。最終的にイギリスがスペイン戦争の講和条約であるユトレヒト条約によって1813年にアシエントを獲得する。
  • 普遍的権力の失墜と主権国家体制
    • 「世界市場」が形成されグローバルな分業体制が成立すると、分散的な権力では対応できず強力な国家機構が必要となる。このため集権化をはかるために絶対王政という形態をとっていく。しかしながら各国家において国家が最高の権力となるには、国家の上にあるとされた「普遍的」な支配の失墜が必要となる。その普遍的権力とは、ローマ教皇庁神聖ローマ皇帝という聖俗における教皇権と皇帝権であった。教皇権は十字軍の遠征の失敗により失墜した。皇帝権は、16世紀前半にハプスブルク帝国を築いたカール5世が掌握しようと試み、フランス王フランソワ1世とイタリア戦争を繰り広げた。結局、宗教戦争オスマン帝国にも巻き込まれ、帝国をスペインとオーストリアに二分し、皇帝権の掌握を掌握して世界帝国を打ち立てる普遍的な権力は失墜した。こうして、各国家がそれぞれ国内の最高の権力となる主権国家体制への道が開かれた(中公世界の歴史25 152-153頁)。
2-2タバコが広まった背景
  • 医薬と社会の承認
    • タバコは医薬品として広まった。当初は、航海に携わる海運業関係者もタバコを消費していたが、拡大の要因は社会の上層部の承認があったからである。和田光弘はタバコの社会的承認にもっとも大きな影響を与えたのはセビーリャの内科医ニコラス・モナルデスであるとしている(和田光弘『タバコが語る世界史』18-19頁)。モナルデスはタバコを栽培し、1571年に薬草誌を著した。タバコを万能薬と説き、当時の正統な医学体系であるガレノスの体液説にタバコを適切に位置づけたという。つまり「およそあるモノが一つの文化から別の文化へ移植されうるか否かは、受け入れる側の文化において、この新しいモノの意味づけがなされうるかどうかにかかっている」(同)ということである。こうして社会の承認を得たタバコは底辺にまで広がっていった。
  • イギリスの再輸出とタバコの価格低下
    • ヨーロッパへのタバコの供給はイギリスの再輸出という形をとった。イギリス領植民地北アメリカのタバコ・プランテーションで栽培されたタバコは、ヨーロッパ大陸、とくにオランダやフランスに流れ込んでいった。こうした輸出入の安定は17世紀を通してタバコの価格を下げ続けさせた。「長期トレンドを観察してみると、17世紀にはタバコ価格が低下していく一方で、葉タバコの生産量(輸出量)が大幅な伸びを示している。つまりタバコの価格低下はタバコの消費を拡大させ、この需要の増加に応じて生産がさらにふえ、そのためさらに価格が低下する……というメカニズムである」(和田『タバコが語る世界史』39頁)。こうしてタバコ消費量は、価格の低下を反映して17世紀に著しい上昇をとげ、大衆消費財となったのである。
  • コーヒーハウスにおけるタバコ消費
    • タバコ消費が広まった背景として切り離せないのがコーヒーハウスである。コーヒーハウスは17世紀において社会的流動性が高まったときに出現した。身分の上下無く利用でき安価で情報が集まり政治経済文化に大きな影響を与えた。タバコはこのコーヒーハウスの文化を形成した一つの要因となったのである。ここでは、コーヒーハウスにおいてタバコ消費の様相について述べる。小林章夫は『コーヒー・ハウス』(講談社学術文庫2000年)においてコーヒーハウスにおけるタバコ文化を紹介している。コーヒー・ハウスの着飾った女性を取り上げ、「どのコーヒー・ハウスでも、店の外側には美しいガラスのランプがつき、店の内側には美しい女がいて、店をあかるい感じにしている」と述べ、「それらの美人が愛嬌のあるまなざしで、タバコの煙にみちた内部へ誘い込む」(48頁)、「…ともかくタバコの煙がすさまじいという点である」(52-53頁)としている。