1-2 コロンブスの交換の背景
- 「大航海時代」のプッシュ要因
- タバコがアメリカからヨーロッパへと伝播したことは先に見た。しかしながら、どうしてヨーロッパがこの時期対外進出をしたのであろうか。15世紀、ヨーロッパには膨張せざるをえない事情があった。それがいわゆる「大航海時代」のプッシュ要因となるのである。つまり「15世紀の西ヨーロッパは、なお封建社会とよばれる社会の仕組みを維持していたが、この仕組みはすでに経済的にも、社会的にも、危機の状態に陥っていた。この危機への対応として、15世紀末から17世紀初頭にいたる「長期の16世紀」に、西ヨーロッパは自らのイニシアティヴのもとに、「大航海時代」を現出し、ひとつの世界的な分業体制を生み出すことになった」(註1)ということである。
- 「大航海時代」のプル要因
- 「封建制の危機」
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- 「農産物の間接消費」
- 1150年ごろまでには「農産物の間接消費」の段階までに発達する。「農産物の間接消費」とは「多くの人びとが食糧としての農産物さえ自給することはなくなり、そうした生活必需品のような基礎物資をすら、どこかで買い求める人びとが増えた」ということである。「封建社会のなかにおいても、商品経済はよほど進んでいたことがわかる。マナー(荘園)の経済も、商品取引がすすむにつれて、一種の商品生産の単位となっていった」(註6)。
- 「農産物の間接消費」
- 註
- 1:『中公 世界の歴史25』 112頁
- 2:同
- 3:同114頁
- 4:同
- 5:同115頁
- 6:同116頁
1-3大航海時代の影響
タバコは「大航海時代」においてヨーロッパの南北アメリカ進出によってもたらされた。タバコがもたらされた「大航海時代」はヨーロッパにおいてどのような影響を与えただろうか。ここではタバコがもたらされた時代、ヨーロッパはどのように変容していったかを述べる。
- 価格革命、商業革命、労働力徴募
大航海時代の影響として、価格革命、商業革命、再版農奴制が挙げられる。以下に端的に述べる。価格革命は新大陸の銀が大量にヨーロッパにもたらされインフレが起こり貨幣地代が主となっていた領主に打撃を与えた(中公世界の歴史16 352頁)ことである。貴金属の流れは、アジア物産の収集にも当てあられポルトガルのマカオを拠点とする対中国貿易、スペインのマニラを中継するガレオン貿易により中国に大量に流入し、銀納を中心とする税制である一条鞭法や地丁銀に影響を与えたがこれは3節において後述する。商業革命は経済活動の中心が長期的に地中海から西ヨーロッパへと移っていった(中公世界の歴史16 352-353頁)こと。再版農奴制は、西欧の経済活動の進展の結果、東欧は西欧に対して穀物供給地となったことから行われた労働力徴募の形態のことである。近年、この再版農奴制を「世界市場」で「世界商品」を生産するための労働力徴募の一形態と見なしている(中公世界の歴史25 148-149頁)
- 労働力徴募
- 普遍的権力の失墜と主権国家体制
- 「世界市場」が形成されグローバルな分業体制が成立すると、分散的な権力では対応できず強力な国家機構が必要となる。このため集権化をはかるために絶対王政という形態をとっていく。しかしながら各国家において国家が最高の権力となるには、国家の上にあるとされた「普遍的」な支配の失墜が必要となる。その普遍的権力とは、ローマ教皇庁と神聖ローマ皇帝という聖俗における教皇権と皇帝権であった。教皇権は十字軍の遠征の失敗により失墜した。皇帝権は、16世紀前半にハプスブルク帝国を築いたカール5世が掌握しようと試み、フランス王フランソワ1世とイタリア戦争を繰り広げた。結局、宗教戦争やオスマン帝国にも巻き込まれ、帝国をスペインとオーストリアに二分し、皇帝権の掌握を掌握して世界帝国を打ち立てる普遍的な権力は失墜した。こうして、各国家がそれぞれ国内の最高の権力となる主権国家体制への道が開かれた(中公世界の歴史25 152-153頁)。
2-2タバコが広まった背景
- 医薬と社会の承認
- タバコは医薬品として広まった。当初は、航海に携わる海運業関係者もタバコを消費していたが、拡大の要因は社会の上層部の承認があったからである。和田光弘はタバコの社会的承認にもっとも大きな影響を与えたのはセビーリャの内科医ニコラス・モナルデスであるとしている(和田光弘『タバコが語る世界史』18-19頁)。モナルデスはタバコを栽培し、1571年に薬草誌を著した。タバコを万能薬と説き、当時の正統な医学体系であるガレノスの体液説にタバコを適切に位置づけたという。つまり「およそあるモノが一つの文化から別の文化へ移植されうるか否かは、受け入れる側の文化において、この新しいモノの意味づけがなされうるかどうかにかかっている」(同)ということである。こうして社会の承認を得たタバコは底辺にまで広がっていった。
- イギリスの再輸出とタバコの価格低下
- ヨーロッパへのタバコの供給はイギリスの再輸出という形をとった。イギリス領植民地北アメリカのタバコ・プランテーションで栽培されたタバコは、ヨーロッパ大陸、とくにオランダやフランスに流れ込んでいった。こうした輸出入の安定は17世紀を通してタバコの価格を下げ続けさせた。「長期トレンドを観察してみると、17世紀にはタバコ価格が低下していく一方で、葉タバコの生産量(輸出量)が大幅な伸びを示している。つまりタバコの価格低下はタバコの消費を拡大させ、この需要の増加に応じて生産がさらにふえ、そのためさらに価格が低下する……というメカニズムである」(和田『タバコが語る世界史』39頁)。こうしてタバコ消費量は、価格の低下を反映して17世紀に著しい上昇をとげ、大衆消費財となったのである。
- コーヒーハウスにおけるタバコ消費
- タバコ消費が広まった背景として切り離せないのがコーヒーハウスである。コーヒーハウスは17世紀において社会的流動性が高まったときに出現した。身分の上下無く利用でき安価で情報が集まり政治経済文化に大きな影響を与えた。タバコはこのコーヒーハウスの文化を形成した一つの要因となったのである。ここでは、コーヒーハウスにおいてタバコ消費の様相について述べる。小林章夫は『コーヒー・ハウス』(講談社学術文庫2000年)においてコーヒーハウスにおけるタバコ文化を紹介している。コーヒー・ハウスの着飾った女性を取り上げ、「どのコーヒー・ハウスでも、店の外側には美しいガラスのランプがつき、店の内側には美しい女がいて、店をあかるい感じにしている」と述べ、「それらの美人が愛嬌のあるまなざしで、タバコの煙にみちた内部へ誘い込む」(48頁)、「…ともかくタバコの煙がすさまじいという点である」(52-53頁)としている。