中世ドイツの東方植民とエルベ川以東の経済史的意義

東方植民


ドイツという「国家」はプロイセンの軍事的拡大によって成立したじゃん?
じゃあ、そもそもプロイセンってどうやってできたの?


17世紀初頭にブランデンブルク選帝公国とプロイセン公国が合併した後、18世紀初頭に起こったスペイン継承戦争の功績でプロイセン王国となったんだけど。


その前よ、前。プロイセンブランデンブルクができるあたりから解説よろ。


プロイセン公国の前身はドイツ騎士団領なんだが、ドイツ騎士団領は東方植民によって成立したんだ。東方植民は分かる?


分かるわよ。12世紀〜13世紀の大開墾運動でしょ?11世紀〜12世紀くらいになるとヨーロッパでは農業生産力の向上が見られたわ。これは三圃制や重量有輪犂によるものだわ。こうして小麦などの穀物が増産され、耕地も拡大していったのね。農業戦力が向上すれば農村では人口が増えていくわ。賦役や貢納の負担も馬鹿にならないわね。だから広い保有地や貢納の軽減などを求めてエルベ川以東の植民が始まったのね。これが東方植民よ。


この東方植民を推進したのがドイツ騎士団というわけさ。十字軍が始まると騎士と修道士の両方の役割を持つ修道騎士が誕生し、ドイツ騎士団は1198年に公認されたんだね。で、1226年以降、布教と開拓を進めていき、ドイツ騎士団領を形成したんだ。

エルベ川以東の経済史的意義


それで?東方植民によって開発されたエルベ川以東はどうなったの?


エルベ川以東は遠隔地商業の活発化によって発展していきますよ。北海・バルト海周辺にハンザ同盟が結成され、東方植民で建設されたリューベックダンツィヒも重要な役割を果たしたんだ。しかしハンザ同盟の隆盛も長くは続かない。


どうしてハンザ同盟は衰退してしまったの?


ハンザ同盟の衰退理由はさまざまな原因が考えられる。

特に「大航海時代による16世紀の世界の一体化」と「エルベ川以東が穀物供給地となったこと」は切っても切り離せない関係なんだ。


なんで世界の一体化とエルベ川以東が関係あるのよ?


大航海時代の影響として商業革命と価格革命が起こったことは理解できてる?


当然!商業革命はヨーロッパの経済の中心地が地中海やバルト海から大西洋沿岸へと移動したことでしょ?だから上に記載されているように、ハンザ同盟が衰退したのよね。経済の中心地から外れたから。次に価格革命はアメリカ大陸から銀が流入して物価が高騰してインフレが起こった現象。


この商業革命と価格革命によって西欧には豊かな資本が流れ込み、商工業が発展していくんだ。じゃあ、東欧はどうなったか?西欧で商工業が発達すると、東欧は安価な穀物を西欧に提供する穀物供給地としての役割を担うようになっていくんだね。


ほうほう。つまりは世界の一体化が起こったことによって地域ごとの役割分業が生まれたからエルベ川以東は穀物供給地となったわけねー・・・。穀物供給地となったからこそ、領主が直営地を拡大させ、農奴賦役穀物を生産するグーツヘルシャフトが展開されていくようになるのね!支配階級のユンカーが隷属的な農奴を支配する再版農奴制がここに誕生したというわけね。


まぁ簡単にまとめる・・・「東方植民で開発されたエルベ川以東は商業ルネサンスで遠隔地商業が活発化しハンザ同盟の諸都市として繁栄したけれども、大航海時代の商業革命によって経済の中心地から外れ価格革命によって西欧へ安価な穀物を供給する地域となり、グーツヘルシャフトが展開された」ということだね。

元ネタ(一橋大2013大問1)

中世ドイツの東方植民の経緯を、送り出した地域の当時の社会状況をふまえて述べるとともに、植民を受け入れた地域が近代にいたるまでのヨーロッパ世界の中で果たした経済的意義について、その地域の社会状況の変化に言及しつつ論じなさい。