解説☆パン・イスラーム主義

(1)国民国家体制とナショナリズム


みなさん、こんにちは。
今日はパン・イスラーム主義の解説をします。


パン・イスラーム
私はご飯の方が好きだわ。


いや、穀物ではなくて。英語のpan。名詞に付いて、広くそのすべてにわたるという意味。
漢字で「汎〜主義」って聞いたことない?


汎神論とか汎ゲルマン主義とか汎スラブ主義とか聞いたことあるわね。
へー「汎」ってpanの当て字だったのね。
で?イスラームが広く行きわたっちゃうわけ?


そう、これは西洋で生まれた国民国家体制に世界が組み込まれていくときに生まれたんだ。
パン=ゲルマン主義もパン=スラブ主義もナショナリズムの一つの形態というわけだね。

(2)パン=イスラーム主義概論


と、いうことは、パン=イスラーム主義というのは、イスラーム教を統合原理とするのね。
イスラームを信じるものは一体だ!!という感覚は理解できるわ。


国民国家体制に巻き込まれていくのは、帝国主義的侵略が伴っていたんだね。
西欧列強の国際体制が国民国家体制だとしたら、その他にはイスラーム国際体制と冊封体制が存在したんだ。
このイスラーム国際体制と冊封体制の枠組みをぶっ壊して、国民国家体制に組み込んだことが帝国主義と言える。


えーっと国民国家体制に組み込まれるよ、民族自決ナショナリズムが昂揚するんだったのよね。
だから、一つの民族として統合する理念的枠組みが必要となるのよね。
パン=イスラーム主義というのはどのようなものだったの?



パン=イスラーム主義は「帝国主義的侵略にさらされたイスラーム諸国の間で19世紀後半に大同団結して侵略に対抗しようとして生まれた思想」と定義されている。提唱者はアフガーニー。この弟子のムハンマド=アブドゥフは原始イスラームの教義により神学的定義づけを行った。


けど、これって結局は復古的ユートピア思想に陥り、エジプトでは反動化して民族独立運動から離れちゃうし、トルコでは弾圧政策がとられた挙句にドイツ帝国主義3B政策に利用されちゃうのよね?


そう。けど、このパン=イスラーム主義はパン=アラブ主義につながっていくことに世界史的意義(笑)があるのです。イスラームではなく、ペルシア湾から大西洋までの「アラブ世界」を統一しようとする運動だ。


そういえば大戦後にナセルのエジプトがシリアとアラブ連合共和国を結成していた時期があったわね。

(3)パン=イスラーム主義の思想家たち


パン=イスラーム主義ってどんな思想がいたのかしら?


アフガーニー、ムハンマド=アブドゥフ、ムハンマド・ラシード・リダーの3人が有名だわな。
では、まずアフガーニー(1838/39〜1897)から。

アフガーニーは言うなれば「さすらいのたびびと」。イラン生まれなんだけど各地を旅して思想を説いてまわるんだね。帝国主義に抗するムスリムの団結が必要だと。ムスリム没落の原因を内的な退廃に求め、立憲制・議会制を導入してイスラーム改革をすべきだと主張した。これが各地のイスラーム世界に影響を与えていく!!


えーっと、アフガーニーの影響を受けたものとしては、エジプトのアラービーパシャの乱(1881〜82)とかタバコ=ボイコット運動(1891)ね。

アラービーパシャの乱

エジプトに対する外国支配の強化に反対して、軍人アラービーの指導でおきた武装蜂起。「エジプト人のエジプト」を掲げて戦い、エジプト民族運動の出発点となった。

タバコ=ボイコット運動 (※画像はgoogle画像検索で適当に拾ったものです※)


カージャール朝ペルシャがイギリス商人にタバコの生産・販売などに関する独占権を与えたことに、イランの宗教指導者・商人・民衆が抗議した運動。イランの最初の大規模な抵抗運動で、これ以後イランの民族主義は高まっていく。


つづいてムハンマド・アブドゥフ(1849?〜1905)。エジプト出身。

ムハンマド・アブドゥフは前述のアフガーニーの弟子!
アラービー・パシャの反乱後、エジプトを追放されるが、1888年に帰国。ヨーロッパ近代文明とイスラームが本来は矛盾しないことを説き、シャリーアの改革の徹底によるウンマの復興を唱える。
こうしてイスラーム世界全体に多大な思想的影響を残した。


ん、まぁー現代人の感覚からすると、イスラーム社会を近代化するにあたり、強固な既成の価値観がある現状に、どのように対処していくのに必死だったんだなぁと感じられるわね。ほら柳田国男の蝸牛考において方言周圏論が国語ナショナリズムに使われたのと一緒的な匂いがするわ。周辺の地方の方言が古い言葉を残しているというアレな。結局は周辺の言葉は日本語としての古語なので、周辺地域も日本だ!というナショナリズムの領域にこじつけていく流れ。牽強付会ね。


最後はムハンマド・ラシード・リダー(1865-1935)。シリア出身。

リダーはムハンマド・アブドゥフの影響を受けた人物なんだけど主張はちょっと違う。ムハンマド・アブドゥフの主張が、ヨーロッパ文明とイスラームが矛盾しないことだったのに対し、リダーは西欧的価値観を否定したんだ。


じゃあ、何を唱えたのよ?


リダーはイスラーム復興運動を唱えたんだ。イスラーム社会が弱体化したのは、スーフィーウラマーが悪いのだとして、初期イスラーム時代に回帰せよといったんだね(起源は13世紀〜14世紀とされワッハーブ派はここから派生したと考えれれている)。こうしてリダーのイスラーム復興運動は現代のイスラーム原理主義へとつながっていくんだ。


冷戦終結によりアメリカが唯一の超大国となってグローバル資本主義が世界に広がると競争に敗れた弱者たちは社会的上昇を見込めなくなり格差が再生産され絶望する。絶望した社会的弱者が追いつめられて暴動や革命を起こさないように富の再分配をして不満を逸らそうとするのが福祉国家。だが新自由主義経済は小さな政府で自己責任論が展開される。そんな時、彼らの拠り所となるのが宗教であり、こうして資本主義の象徴としてのアメリカに原理主義の人々がテロリズムによって自己の存在証明となそうとしていく・・・。