1.ウィーン体制の成立
(1)ウィーン会議
1814年9月~ オスマン帝国を除く全欧州諸国の代表がウィーンに集結(議長;メッテルニヒ)
- ①目的…フランス革命とナポレオン戦争から生じた混乱を収拾し、ヨーロッパの新しい秩序を建設すること。
- ②展開
- 利害対立が激しく議事は難航 →「会議は踊る、されど進まず」
- ナポレオンの皇帝復位による危機感から妥協が成立
- ③成立…ワーテルローの戦いの直前(1815年6月)にウィーン議定書が成立。
(2)ウィーン議定書
- ①正統主義…仏のタレーランが提唱。フランス革命前の各国の王朝と体制を正統と見なし、その状態に戻そうとした考え。フランスの戦争責任を回避し、ブルボン朝復活を擁護した。→仏、西、ナポリでブルボン朝復活(王政復古)
- ②勢力均衡…同程度の力を持つ諸国家ないしは諸勢力が勢力の均衡を保つことで、ある特定の国家または勢力による国際関係支配を阻止しようとする政策。→自由主義とナショナリズムを刺激する革命と戦争を防止する。
(3) ナポレオン戦争以後の領土調整
2.ウィーン体制の動揺
(1)ギリシア独立戦争(1821~29)
(3)七月革命(1830)
- ①背景:ウィーン会議で復活したブルボン朝第2代シャルル10世の反動政治
- 革命期に土地を没収された貴族に多額の補償金を出す → 国民の反発
- 国民の不満を外に逸らすためアルジェリア出兵(1830.5)を行う。
- ②直接的契機…1830年7月の議会選挙で自由主義者が多数当選するが、シャルル10世は新議会を解散させる。
- ③結果
- ④影響
- ベルギー…ウィーン議定書で蘭の支配下に入った南ネーデルラントでレオポルド1世が即位し独立(1830-31)
- ドイツ…ザクセンなどで民衆の立憲運動が暴動化。リストの影響でドイツ関税同盟が発足し経済的統一(1834)。
- イタリア…カルボナリが蜂起したが失敗→マッツィーニは秘密結社から大衆政党へ脱皮すべく青年イタリアを結成。
- イギリス…国内経済の停滞もあり地主支配への不満が高まり第1回選挙法改正が実現(1832)
- スペイン…立憲運動と王位をめぐる争いが深刻化し、カルリスタ戦争が勃発(1833~39)
- ポーランド…ロシア支配から離脱を目指して反乱を起こすがロシア軍に鎮圧される。