列強体制【1】「ウィーン体制」

1.ウィーン体制の成立

(1)ウィーン会議

1814年9月~ オスマン帝国を除く全欧州諸国の代表がウィーンに集結(議長;メッテルニヒ)

  • ①目的…フランス革命とナポレオン戦争から生じた混乱を収拾し、ヨーロッパの新しい秩序を建設すること。
  • ②展開
    • 利害対立が激しく議事は難航 →「会議は踊る、されど進まず」
    • ナポレオンの皇帝復位による危機感から妥協が成立
  • ③成立…ワーテルローの戦いの直前(1815年6月)にウィーン議定書が成立。

(2)ウィーン議定書

  • ②勢力均衡…同程度の力を持つ諸国家ないしは諸勢力が勢力の均衡を保つことで、ある特定の国家または勢力による国際関係支配を阻止しようとする政策。→自由主義とナショナリズムを刺激する革命と戦争を防止する。

(3) ナポレオン戦争以後の領土調整

(4)ウィーン体制

  • ウィーン会議で成立し、1848年の革命で崩壊した保守・反動体制
  • ウィーン体制の支柱:神聖同盟・四国同盟(後、フランスが参加し五国同盟)
    • 神聖同盟ロシア皇帝アレクサンドル1世が提唱。キリスト教的友愛で君主同士が協力。全ヨーロッパの君主(除;イギリス、トルコ、ローマ教皇)が参加。
    • 四国同盟…対仏大同盟の主力(英・普・墺・露)の軍事同盟。革命の防止・紛争の終止をはかる

後にフランスも参加するが、イギリスは早期に離脱。 

  • 自由主義ナショナリズムの弾圧
    • 独:ブルシェンシャフト…独の大学生組合。カールスバート決議により解散させられる。
    • 伊:カルボナリ(炭焼党)…伊の独立と統一を目的として武装蜂起するが鎮圧。
    • 西:スペイン立憲革命…リエゴらが破棄させられていたカディス憲法を復活させたが挫折。
    • 露:デカブリスト…青年貴族将校が憲法制定・農奴制廃止・ツァーリズム廃止を要求するが鎮圧

2.ウィーン体制の動揺

(1)ギリシア独立戦争(1821~29)

  • 背景
  • 神聖同盟の方針
    • 正統主義の方針でギリシア独立反対を決議→墺は他国との協調を優先させ中立を維持
  • 独立賛成国
    • 英仏露:勢力拡大をねらってギリシャ支援⇒ナヴァリノの海戦でトルコ・エジプトを撃破
  • 知識人の動き(ギリシャはヨーロッパ文化のふるさと意識)
  • 結果
    • ロンドン会議で国際的承認。ロシアはアドリアノープル条約で黒海とボスフォラス・ダーダネルス海峡の自由通行権を獲得
  • 影響
    • ウィーン体制下のヨーロッパで、自由主義とナショナリズムの運動が国民国家の建設にいたる最初の例となり、ウィーン体制崩壊の前触れとなる。

(2)ラテン=アメリカの独立

(3)七月革命(1830)

  • ①背景:ウィーン会議で復活したブルボン朝第2代シャルル10世の反動政治
    • 革命期に土地を没収された貴族に多額の補償金を出す → 国民の反発
    • 国民の不満を外に逸らすためアルジェリア出兵(1830.5)を行う。
  • ②直接的契機…1830年7月の議会選挙で自由主義者が多数当選するが、シャルル10世は新議会を解散させる。
  • ③結果
    • 七月革命;国民の反感が高まりパリで民衆が蜂起。シャルル10世は英へ亡命。
    • 七月王政;革命の激化を恐れるブルジョワジーたちから自由主義者のオルレアン公ルイ=フィリップが新国王に迎えられる。
  • ④影響
    • ベルギー…ウィーン議定書で蘭の支配下に入った南ネーデルラントでレオポルド1世が即位し独立(1830-31)
    • ドイツ…ザクセンなどで民衆の立憲運動が暴動化。リストの影響でドイツ関税同盟が発足し経済的統一(1834)。
    • イタリア…カルボナリが蜂起したが失敗→マッツィーニは秘密結社から大衆政党へ脱皮すべく青年イタリアを結成。
    • イギリス…国内経済の停滞もあり地主支配への不満が高まり第1回選挙法改正が実現(1832)
    • スペイン…立憲運動と王位をめぐる争いが深刻化し、カルリスタ戦争が勃発(1833~39)
    • ポーランド…ロシア支配から離脱を目指して反乱を起こすがロシア軍に鎮圧される。