その時歴史が動いた「戦艦大和沈没 大艦巨砲主義の悲劇」メモ

生徒に動画を見せる時のメモ。
ただ見せるだけでは情報が流れてしまうので、穴抜きレジュメ作ったり、クイズ作ったりする。
すると生徒はより真剣に見るし、あとでプリント見返せば復習にもなる。

大艦巨砲主義の思想

  • 46センチ砲
    • 1934年 46センチ砲を搭載できる戦艦の設計開始→敵の砲弾の届かないところから一方的に攻撃
  • 1937年 大和建造開始広島県呉市で大和の建造開始
    • 存在は国家機密
      • 防水区画 注排水システム
      • 装備に比べて船体が小さい
    • 1941年 12月16日 竣工
  • 大和:大艦巨砲主義…艦隊と主砲を相手より大きくして優勢を保つという考え方
    • しかし航空機によって、戦艦同士の決戦という前提が崩れる

第二次世界大戦

  • 大和竣工(1941年12月16日)
  • ミッドウェー(1942年6月)
    • 日本 優勢な戦力 but暗号解読→全滅に等しい損害
    • 前方に突出していた機動部隊が狙われる
    • 大和は46センチ砲を使うことなく引き上げる
  • トラック島で出番なし (1942年8月) → 大和ホテル
  • 改?計画 日本海軍も空母の増産へ
    • →日本の建造能力はアメリカの10分の1→アメリカとの量産競争には勝てない
  • マリアナ沖海戦(1944年6月)
    • 戦力・対空砲火・レーダーでアメリカ軍優勢
    • 日本海軍空母部隊は壊滅
    • 大和はまたも空しく引き上げる
    • 大和・武蔵は戦艦だったが3番艦の信濃は戦艦から航空母艦
  • レイテ沖海戦(1944年10月)
    • 1944年10月 米軍レイテ島上陸
    • 大和は第二艦隊の主力としてレイテ湾を目指す
    • 武蔵は米航空機の集中攻撃を受ける →10月24日19時35分沈没
      • 武蔵艦長 猪口敏平「申し訳なきは対空射撃の威力を充分発揮しえざりし事」
    • 10月25日 米軍空母部隊と遭遇
      • 46センチ砲ついに発射 大和と金剛で米空母1隻沈める →しかし「ガンビア・ベイ」は7800トンの護衛空母にしかすぎず
      • 第二艦隊は出撃した半分以上が壊滅
      • レイテ沖海戦日本海軍は事実上壊滅
    • 大和レイテ湾突入を断念
    • 10月25日 神風特別攻撃隊 →特攻の始まり
  • 沖縄戦
    • 1945年 4月1日 米軍沖縄上陸
    • 4月5日「天一号作戦」
      • 片道分の燃料で特攻 浅瀬に乗り上げて砲台となれ
      • 第二艦隊司令長官伊藤整一中将は当初作戦に反対するが、連合艦隊司令部により承諾させられる
    • 4月6日 出撃 → 豊後水道 乗組員に正式に作戦が伝達される(18時)
    • 4月7日 米軍 大和迎撃を命令(米軍 空母12隻 艦載機800隻)
      • 0815:大和発見される
      • 1018:米軍攻撃隊が発進
      • 1232:米軍100機来襲→急降下爆撃開始
      • 1245:左舷に魚雷命中 →測距不能のため対空砲火は火を噴かず
      • 1337〜左舷命中しまくり → 注排水システムが作動したが魚雷が集中しまくり機能しなくなる
      • 1417:魚雷・左舷中央部に命中→ 特攻作戦中止
      • 1423:大和横転 大爆発 沈没 → 日本海軍滅亡の象徴

戦艦大和の歴史的意義

  • 大和の歴史的意義
    • 時代が変わっていたことを見通せなかった悲劇の船
    • 日本人はひとたび計画に縛られると脱却できない