ヘーゲルの弁証法を高校生に分かりやすく説明する際のたとえ話

かつて生徒に弁証法について分かりやすく説明しろと請われたときのはなし。



ヘーゲル弁証法について詳しく。


相反し、矛盾・対立するものをより高い段階で総合するという運動を繰り返して、世界は発展するという考え方ですよ。


わからないわ。教員というものは難しい概念を分かりやすいことばで具体的にかみ砕いて教えるのが仕事なのでは?もう少しきちんと仕事して欲しいものね。


直接的な肯定の段階を「正」(テーゼ)とするでしょう。これに矛盾して対立するものを「反」(アンチテーゼ)といいます。両者は矛盾しているでしょう。この対立をより高い段階で総合することを「止揚」(アウフヘーベン)といいます。こうして「正」と「反」が総合されたものが「合」(ジンテーゼ)というわけですね。この「正-反-合」の運動を繰り返して世の中は発展していく、というのが弁証法という論理ですよ。


資料集だとよくリンゴで例えられて載っているわよね。つぼみというテーゼは成長すると花というアンチテーゼによって否定される。けれども植物という次元で考えてみると、「つぼみ」-「花」の関係は「果実」によって総合される。けどこれってイマイチ、ピンとこないからイモウト√で例えてほしいのだわ。


イモウトは兄に対して家族愛を抱いていますよね。古代ギリシアでいえばストルゲ。けれどもイモウトは兄を異性として意識して肉体的結合を望むようになりますよね。これが性愛(エロース)です。このストルゲとエロースの間でイモウトは揺れ動くのですが、これがアウフヘーベンされるとアガペー(真の愛)となるのです。これがイモウト的弁証法の例えですね。


ツンデレで例えてみてくれるかしら?


ここでは仮に主人公に対して辛辣に接するという状態を「ツン」状態であるとしましょう。これに対して、主人公くんに対して親愛の念を示す状態を「デレ」状態とします。辛辣に接することと親愛の念を示すことは矛盾しますよね。しかしこれをキャラクターの表現技巧という一つ上の次元で眺めてみるとどうでしょう。この二つの状態は止揚されて「ツンデレ」という一つの属性を示す記号となるのですね。


ヘーゲルは人間の生き方を弁証法的に考えたのよね。


そうね。「法」は人間を客観的に制約しますよね。けれども人には自分の在り方を自分で制約する「道徳」があります。客観的と主観的で相反しますよね。けどこれをアウフヘーベンすると「人倫」として総合されるというのです。人倫というのは、人間の社会や集団の倫理という意味です。


たしかヘーゲルはさらにこの「人倫」がどーのこーのだというのよね。「家族-市民社会-国家」で弁証法的にあらわされるとか。


家族愛で結ばれた自然の共同体、それが家族です。しかし個人の自我は薄いですよね。子どもはやがて成長し市民社会の一員となります。ここでは独立した自我の基づくものですが・・・。そうなんです、個々人の欲望の衝突があるので、争いが絶えません。自我を得た代わりに人間同士の結びつきは薄くなってしまうのです。


家族と市民社会アウフヘーベンするとどうなるのかしら?


家族と市民社会を総合すると国家となります。


なんで国家なの???


国家は家族のもつ強い結びつきと、市民社会の独立性を持っていると考えられたのですね。ヘーゲルは国家の中で人間の自由は実現されるとし、人と人との結びつきも国家の中で回復されるといったのですね。


ふーん。
ヘーゲルの思想を理解しないと唯物史観とかも分からないから、きちんと理解しないとだわね。