雑録

なぜガズナ朝が「アフガニスタンにおいてイスラーム教が“普及”する契機となった王朝」といえるのだろうか?


東大の問題に「今日アフガニスタン住民の大部分が信仰している宗教が、この地方に普及する契機となった王朝の名をあげ、それについて知るところを述べよ」(90字)(1989-2-B)というものがあるわ。ガズナ朝について書いてしまってかまわんのだろう?と中の人は思ったらしいんだけど。ホントウにアフガニスタンイスラーム化が普及した契機となったのがガズナ朝なのかしらん?と思って調べ出したら泥沼に嵌ってしまったわ。参考文献は以下の通り。けど、参考文献によって記述も違うところがあるので、ちょっと良く分からないのだわ。

ササン朝ペルシャの滅亡とアラブ支配によるイスラーム化の始まり


まずイスラーム化以前のアフガニスタンを支配していたのはササン朝でした。642年(異説あり)、アラブ軍がニハーヴァンドの戦いでササン朝を破ったことから、アラブ人ムスリムの征服が始まります。651年、ササン朝のヤズデキルド3世が殺害されササン朝は滅んでしまいました。ウマイヤ朝の時代にはホラーサーン地方がアラブの支配下に入り、さらに677年にはバルフとヘラートがニシャプールとメルヴとともに制圧され、ホラーサーン地方に併合されたのでした。しかし、他のアフガニスタン諸地域は地方君主の支配権のもとにありました。


ふむ。アフガニスタンイスラーム化が始まったのは、正統カリフ時代の膨張からなのね。けど、完全にイスラーム化したわけではないということね。続きを説明しなさい。

ヒンドゥー・シャヒの支配とターヒル朝およびサッファール朝


8〜10世紀、カブールとアフガニスタン東部はヒンドゥー・シャヒによって支配されていました。一方で、ホラーサーン地方では821年にアッバース朝カリフから総督に任命されたターヒルターヒル朝を興します。しかしターヒル朝は短命に終わってしまうのです。867年に成立したサッファール朝によって、ターヒル朝は873年に滅ぼされてしまったのでした。このサッファール朝はターヒル朝を滅ぼす2年前の871年に、ヒンドゥー・シャヒを制圧しています。


アフガニスタンにはヒンドゥー勢力もいたのねぇ。玄奘がカブールを訪れた時にはヒンドゥー寺院が存在していたとのことだわ。そのなかで、サッファール朝がついにヒンドゥー勢力を制圧していくのね。ここらへんは受験世界史でも頻度が低いので初めて知ったことも多かったわ。続いて、受験世界史でもおなじみのサーマーン朝が出てくるわ。

サーマーン朝


875年、サーマーン家のナスルがカリフからマー・ワラー・アンナフル(ソグディアナ)の総督に任じられたことからサーマーン朝の礎が築かれます。そして900年、サーマーン朝のイスマーイールが上述のサッファール朝を破りホラーサーン地方を併合するのです。このサーマーン朝から出てくるアルプ・テギンがガズナ朝の基礎を築きます。サーマーン朝じたいは999年にカラ=ハン朝によって滅ぼされます。


サーマーン朝は古来のイラン文化とイスラーム文化を融合させイラン=イスラーム文化でも重要だわね。アリストテレス哲学と『医学典範』で有名なイブン=シーナ―もサーマーン朝出身のイラン人なのね。

ガズナ朝


いよいよガズナ朝です。962年、サーマーン朝出身のアルプ・テギンがアフガニスタンのガズナを占領します。これがガズナ朝の礎とされています。アルプ・テギンの跡を継いだのは、彼の奴隷で娘婿であったといわれるセビュク・テギンです。このセビュク・テギンから世襲となるので、ガズナ朝建国を977年とする説もあります。セビュク・テギンは勢力の拡張に努め、アフガニスタンの大部分を支配するようになり、その子マフムードは全盛期を現出します。マフムードは998年に即位し、ガズナ朝最大版図をもたらしたのです。


そしてここで受験世界史とつながるのね。つまりはガズナ朝北インド遠征だわ。1001年、マフムードは北インド遠征を開始し、同地のイスラーム化を促すの。文化史でよく出てくるフィルドゥシーの『シャー=ナーメ』はマフムードに献上されたものなのね。


以上のように考えると、アフガンスタン全域において支配を確立したイスラーム王朝がガズナ朝なのですね。またマフムードはイスラームの旗をかかげてインドに侵入し、収奪した富を都;ガズナに注ぎ込みました。以上により、アフガニスタンイスラームが普及したのはガズナ朝の時と考えられるといってもよさげ。


教材研究は果てしないわねー。