近所の本屋で漫画版『幼女戦記』を立ち読みしてそのまま売ってるラノベ全部買って読み終えた。
世界大戦を題材にした異世界転生架空戦記でパラドゲーのHoIのAAR読んでるような感じ。
元人事部リーマンが「人的社会資本」を唱えながら戦場で部下たちに教育を施していく所が魅力。
また過酷な資本主義社会を生き抜くための処世術としても読むことができる。
戦記としてはルーマニア→北欧→仏を占領。仏領北アフリカに従軍、ソ連に突っ込んでいく。
7巻は独ソ戦でドニエプル川以西を制圧し、和平工作なるかという所で国内世論により講和失敗という結果で終わる。
以下抜粋
1巻「Deus lo vult」 1923.6-1924.9.24 北欧対独武威行為・ドイツ対北欧宣戦・仏対独宣戦
- マーフィーの法則と社員配置
- マーフィーの法則で表されるように不都合を生じる可能性があるものは、何時か必ず不都合を生じると人類は経験則で学んでいる。問題行動を起こしうる社員は必ず問題行動を起こす。一例として言えば、金に関わる部署に破産した社員を置かないのは人事管理の常識だ。(p.112)
- 基幹要員の代々不可能性
- 帝国にとって拡充が急がれる海軍・魔導師戦力のいずれも長期的な取り組みによってのみ個々の質を改善し得る分野という要素も大きい。演算宝珠や軍艦は量産が利いても、有能で経験豊富な基幹要員はそう簡単に育成できるものではないのだ。(p.117)
- 現場との連携
- 正気を保ったまま、戦場で何が重要かを理解することが、青い新任少尉にとっての試練である。戦場とは彼らの信じる建前が激しく現実に蹂躙される世界なのだ。勇ましさ、栄光、名誉なぞ泥まみれになって、殺し合い、その中で少数の例外的な士官が名声を手にする。その少数だけが知っている秘密は、実は難しいことではない。下士官兵の言葉に耳を傾けて、彼らを心服させる意見を出せればいいのだ。だが、これができる士官は本当に、本当に少ない。(p.283)
- 思考放棄は家畜である
- 選別と教育
- 部下の力を活用するという点においては、部下を選びにくい軍隊は企業よりも徹底して取り組んでいると実感する思いですらある。このことは、人事部でリストラを行っていたころには持ちえない視点なので、真摯に学ぶべきだろう。軍隊では、企業とは異なり部下を選べないのだから、育てるしかないのだ。(p.297)
- 総力戦の終わらせ方
- …国家の主権が及ぶ領土ではなくその国民の摩耗と排除を前提としての戦闘行動。総力戦にあって、肝心なのは敵の戦闘継続能力を根こそぎ崩壊させる以外に勝利の道筋がないという事実を認識して方策を考慮することだ。戦場にあって、常に戦術次元では他国を圧倒していた一次大戦のドイツがロシアを屠り、フランス・イギリス連合軍を痛打しながらも打ちのめされた最大の理由は力尽きたからに他ならない。フランス・イギリスに加え合衆国を相手にしたとき、勝てないと悟ったからこそ、ドイツ参謀本部は戦争を諦めたのだ。彼らの戦線が破られずとも、もはや戦争を継続できないと悟り敗北を肯んじるしかなくなって敗れたという過去の記憶は重要な教訓だろう。それが総力戦の敗北の形態なのだ。戦線を如何に拮抗させえようとも、国力が尽きれば戦争というものは続けられない。精神力の次元ではなく、単純に物理的法則による限界故にだ。(p.303)
- 人事配置の希望調査は出してはいけない
- コードル大佐殿は、考慮するという。要するに、聞くふりだけはしてやろうというメッセージだ。人事部の人間ならば、誰だって少なくとも頭越しに命じることは少ない。だが、人事の人間がいくら友好的であろうとも油断してはならない。むしろ、建前論の世界で生きている人種なのだとよく知っている。だからこそ、建前論には建前論。「ですが、小官は軍人です。命令とあらば、どのような配置でも謹んでお受けいたします」しらじらしく答える。どのような配置でも謹んでお受けしますという方が、下手に藪蛇となるよりもましな場合も多い。もちろん、貧乏くじを引かないように注意は不可欠だが。(p.367)
- 貴族的な在り方
- なによりも、この者は出世や特権に驕ることがない。自然体に、恩恵は享受しても溺れることなくその分も義務を果たせる。実に稀有な士官だ。いや、貴族的と言って良いかもしれない。もとより貴族とはあり方であって、血ではないのだ。フォンの称号が全てではない。ありようが、高貴であることに血は関係ないのだから。(p.377)
2巻「Plus Ultra」1924.9.24-1925.5.21 ルーマニア征服・北欧征服・ライン戦線整理
- 転職は計画的に
- 小さなミスが積み重なり、事故につながる
- 謝ればよいという問題ではない。規則違反は、事故につながるのだ。保険屋が統計をとった経験則から導き出されたハインリッヒの法則をなんと思っているのだろう。小さなミスの積み重ね、それは大きな重大事故への第一歩。ミスは、叩き潰さねばならない。(p.127)
- 会議で発言しない
- ……躊躇して発言できない間抜けどもを刺激してやらねばならないことだろう。会議で自分の意見を言わないのは、無能か空気を読み過ぎた馬鹿だ。とはいえ、サイレントマジョリティの忌々しい鬱憤をどこかでガス抜きするために誰かが矢面に立つ必要があるときがあるのも事実。そして、被害担当官じみた役割を誰かが引き受けさせられるのは組織においては、どこまでも付きまとってくる問題と認識するほかにないだろう。(p.144)
- 上司に自己主張しなければならない場合は論理武装して堂々と
- 上官への反抗は、全くもって嫌な行為だ。気分が乗らないことこの上ない。だが、だからこそこういう時にこそ堂々としておかねばならないのだ。誰だって、自分の言葉を否定する奴が卑屈であれば叩き潰すのが常。逆に、いかにも道理でありますと言わんばかりに堂々としていれば多少の説得力は付く。ついでに、与えられた任務を遂行するべく建設的な提言を行っていると周囲に見なされれば、言い訳でも真実に化けるのだ。(p.185)
- ミスの防止
- ミスの防止を求められるということは、ある意味においてまともな組織運営上の発想なのだ。軍隊とはミスする人間の首でだいたいのトラブルが処理できる民間と異なり、一人のミスで全員が戦死しかねないのだ。一人はみんなのために。みんなは一人のために。まったくもって名言だ。一人が失敗すればみんな死ぬし、みんなが間違えば一人が奮戦しても結局勝てない。(pp.373-374)
- 人材の使い捨て
- 人を人と思わずに、使い捨て。せめて賢く使い捨てするなら議論もまだできるできるのだろうが、ここでは完全な無作為。許しがたい浪費でおまけにリサイクルという資源の効率的な運用についても未発達。いや、完全な無視に近い。まったく、人的資本投資にいくらかかっていると思いますかと訊ねたい。魔導師の育成費用と期間を思えばポンポン戦死されるわけにはいかないというのに。それどころか大学を出て、博士課程に進んだ科学者がつい先日まで前線配置だったとか。科学をおろそかにしたら敵の新兵器や新技術に後れを取るというのに……アインシュタイン博士は兵士としては全くの無能であっても国家に役立つという点には一介の兵士以上だというのに!まったくアインシュタインやノーベルのような連中には銃を持たせるよりも鉛筆を持たせて計算させるべきだとわからんのか!(p.495)
3巻「The Finest Hour」1925.5.24-1925.11.1 フランス征服→仏領北アフリカ戦役
- 法律と規則の知悉
- 正規の手続き。こういってはあれだが、技術廠からの要請に応じるのは指揮系統上、正当性が担保された行為だ。法律と規則を知悉しておけ、そうすれば、自分の行動を正当化する条項が必ず見つけられる、と教わった過去が懐かしい。ルールとは、破るものではない。活用し、潜りぬけるものだ。(pp.220-221)
- 自分が死んだところで仕事に支障はない
- …組織というものはいついかなる時も歯車が錆びつかないように整備されている。人間こそが、組織の肝なのだ。そして当然ながら、軍隊という組織は戦死という事態を織り込んで設計し整備している。つまり、優秀な軍人だろうとも、戦闘団指揮官が一人死んだ程度で軍組織は理屈上揺らぐことはないようにされているという事だ。代替可能な無数の人間による集合体としての軍は、恐いほどに高コストだが、しかし、非常に強靭な組織である。(p.319)
- 上司との円滑な関係
- それでも、一応聞くだけは聞いてくれる上司というものは素晴らしい。部下のインセンティブを高めてくれる上官を持てたことは軍生活では最高の環境だろう。こういう相手とであれば仕事がやりやすいというものだ。ある程度、双方の利害を尊重しつつやっていけるだろうとターニャの気分は軽くなる。だから、お互いの仕事を行っていく上で、必要ならばフォローもしておくべきだという気持ちを抱けるのである。(p.351)
- リスクを最小化せよ
- 将校斥候という名目で、敵影を補足して置ければ不利な遭遇戦のリスクを下げられる。なにより、危険を事前に最小化できるという裏方働きは嫌いではない。堅実かつ丁寧に仕事を進めていくことができるのは喜びだ。(p.354)
- 思い込みと誤算
- こともあろうに、敵の知性を侮ったのだ。何たる失態。思考停止からの単なる前例踏襲という失態。意味するところはイノベーションの欠落であり、思考の硬直化。南方に展開したとき、無意識の内に植民地軍を相手取るというバイアスが幅を利かせてしまっていた。(p.359)
4巻「Dabit deus his quoque finem」1926.3.15-1926.7.18 独ソ戦開始・対英航空戦
- 効率的な人的資本投資
- 訓練計画こそ随分と時間に余裕がないものであったが……いささか戦闘狂の嫌いがあるにせよ優れた資質を持つ選良に、短期間で叩き込める事を濃密に注入したのである。効率的な人的資本投資とは、ようするにそういうものだ。もちろん、大学における長期間にわたる理論の教育や実習、基礎実験の類も有意義ではある。この辺は、実践とアカデミズムの違いだろう。兵隊にアカデミズム的教育が必要とまでは思わないが。(p.39)
- 社会的関係資本
- オンザジョブトレーニング
- ……年寄りのような言い方で余り好きになれないが……私が思うのだ。若者には苦労させねばならん……そんな目で見るな。別に根性論でもなんでもない。我々は文字通りの調査研究部隊だからこそ、失敗を許与する余地もあるのだ……失敗経験は、対応力向上のために止むをえないのだ。この余裕がある状況で、少しグランツを谷へ蹴とばしておかねば、次があるかもわからんだろう……部下を育てる余裕があるのは幸せなことだ。(pp.318-319)
- 手札の活用
- ……だとしても、私は教養ある市民なのだ。唯々諾々と、運命だからと運命論者じみて自分の未来を諦める?それは、端的に言って。ありえん。ヒトは、人間という種は、唯々諾々と自殺してやる理由もないし、運命に殉じて悲劇の役柄を演じてやるべき理由もないのだ。未来を切り開く為にならば、出来ることは何であろうとも選び取る……カードが配られたとき、その手札を嘆くか、いかに活用するかを考えるかは個人の心次第。自分の腕で、未来を掴み取る。それもまた、人間の特権だ。人間の条件なのだ。ならば機会を掴み取るまで。幸せで平穏な未来を満喫する為に、労働あるのみ。きつい仕事であるのは間違いないが、尊厳ある生活の必要条件であるというならば、刻苦とて厭うことがあろうか?(p.338-339)
- 部下との関係
- 上司としてみれば、時間をかけても惜しくない部下と、一秒たりともかけたくない部下がいるものだ。前者はヴァイス大尉のように自分で考え、更に相談できる有為の人材。後者は、マニュアルに記載されているところを読まずに勝手な自己判断するタイプのアホだ。(-p.402)
5巻「Abyssus abyssum invocat」1926.8.28-1926.11.24 対ソ支援通商破壊作戦・占領政策民政移管
- 部下への慰労
- こんな時こそ、気遣いが大切であることをターニャは心得ていた。慰労と、職務に励む部下への奨励は、小さくとも重要な変化を現場にもたらす。上が下の頑張りをきちんと見ているのだという実感こそが、人事管理の基本なのだ。信賞必罰という大原則をおざなりにすれば、組織の大崩壊が待っている。原則は原則であるが故に、尊重されねばならない。(pp.48-49)
- 企業における人材育成
- 人を育てること、それは組織の中にあっては立派な仕事の一つだ。人事という職務においては、現場で人を育てたこともなかったが……ふん、とターニャは口元をほころばせてやや思案する。(p.55)
- ミスは認めなければならない
- ターニャ・フォン・デグレチャフ中佐にとって、忸怩たる事実として己のミスは認めなければならないもの。それは、屈辱的であり、失態であり、しかし、隠すことも憚られる。ミスを隠すのは、本物の無能だ。度し難い愚か者、銃殺刑でもなお処し足りない巨大な粗大ごみ。言葉をいかほどに重ねても、なお、言葉が足りない。事故は、小さなミスの隠蔽が積み重なって引き起こされる。小さなミスを隠す組織に、大きな隠しきれないミスが止めを刺すことだろう。人はミスを犯す生き物なのだ。ミスを認めなければ、認めなかったミスに押し殺される。だからこそ、あるいは、そうであるが故に。ミスを隠す愚物は、本当に、打ち殺すぐらいでしか対処できないだろう。無能な働き者は打ち殺したいが、ミスを隠す愚物は打ち殺さなければならないのだ。それは、自明の真理に他ならない。(pp.98-99)
- 普及させるには過剰供給
- 代替可能な労働力
- ……組織全体のことを考案すれば、個人技よりも規格として画一的に統一するほうが望ましい……代替不可能な歯車を作るべきではないのだ。組織において、歯車の作り方、複製の仕方、動かし方を知っている人間を複数用意することは正義である。まして軍隊のように損耗を前提にする組織ならば複数のバックアップを用意すべきでもある。(p.191)
- 遊兵を作らぬこと
- 業務に通じ、訓練され、何より、自分の意図を即座に読み取れる気心の知れた集団。その一部をもぎ取られて、平静でおられるはずがない。ビジネスとは、いかに人員の数を効率的に機能させるか。最適化され、効用を最大化されていた人員を削ぐという行為というのは……最悪だ。意図的であろうと過失であろうと、看過しておくわけには行かぬ。(p.257)
- 書類作業に気が滅入った時に読むと元気が出る文章
- 新人育成の大切さ
- …新人の教育というのは、いつの時代でも簡単ではない。インストールすれば、その瞬間からプログラムが動き出すという具合に人間はできていないのだ。試行錯誤し、エラーを吐き出すのを許容してなお、巨大な時間を要する。新人育成は、どうしても手間と時間が必要不可欠だ。しかし、必要性は理解できても一番難しい仕事でもある。(p.272)
- ミスは認めなければならない2
- 人間が失敗する生き物であるというのは否定しようがない。他ならぬターニャ自身、失敗を犯してきたことを認めるにやぶさかでないであろう。自分のなしてきたこと、全てが間然するところなしと胸を張る?そこまで、愚かにはなりたくない。だが、だからこそ。過ちを認めて、修正できない愚図には銃弾という処方箋を出してやるより仕方なし。組織において、そのような愚図を許すことは結果的に組織全体を蝕むのだ。(p.427)
- 人材運用
- 自分もまだまだだ。よくも悪くも、職人気質の人間を常人の基準ではかるとは。彼らは、その専門技能によって評価されるべきなのだ。砲兵バカ?違う、砲兵の専門家なのだ。砲兵をどう運用するかを彼は知っている。知悉している。それが、メーベルト大尉だ。ならば、その能力をどう運用するかは参謀将校であるターニャの職分。思い込みで将校を評価してしまうのは、重大な過失だった。以後は、専門馬鹿に対する憤りや過去のトラウマを乗り越えて、職人気質の人間をもう少し適切に評価できるようにならなければならないだろう。(p.432)
6巻「Nil admirari」1926.11.末〜1927.4 東部戦線停滞・イタリア外交・北欧パルチザン
- パラメーター全振りは応用性が利かない
- 「短期促成教育の弊害、か」当座、必要なことを詰め込んで間に合わせようとした教育は、脆い。……速成教育では受ける教育が偏ってしまうことを避けられない。即効性を求めすぎて、人的資本投資が特定環境に特化されすぎているのだ。多様性を欠いた人員育成は、長期的視点で見れば重大な反動を被ることを予期させて仕方がない。極端に言えば、算盤の有資格者を量産して企業の会計部門に配属していたようなものだ。算盤の技術が無用の長物というわけではないものの、外的環境が変化した場合には再教育が必要になるのもまた自明なのだ。これで、算盤以外の教育もしていれば使い道も多様性が残っている。が、算盤以外できない場合は別問題だ。(p.31)
- 大衆世論2 過激な発言を好む
- 往々にして、後方の民間人の方が軍人よりも過激な言説を好むという事実をターニャは知っている。無知なるがゆえに無恥なのだろう。戦場の現実を知らない人間は、いとも簡単に戦争に『勝て』と仰る。現場を知らない人間の叱咤激励ほど、癪に障るものもないと知らないらしい。皆さんの支援にやってきました!などとのたまう現場を知らない青二才を銃殺できることだけが、最前線の喜びだ。誰もかれも、大多数の人間とは経験しないことには学ばない。(p.268)
- ガダルカナル島状態
- ……どうにもならないことが多すぎる。戦略の誤りを、現場が取り繕うことは無理だという現実を嫌でも認識させられてしまう。(p.275)
- コネの重要性
- 誰を知っている、誰と話せる、誰とつなげる。往々にして軽視されがちな部分だが、信頼とは空気のようなもの。信頼があれば、呼吸もしやすい。(p.278)
- 損切り
- ……損切りは必然だ。投じたコストが莫大であるからと言って、それを惜しんでさらなる損害を生み出すようであれば本末転倒というほかはない。往々にして、人間が繰り返す過ちの一つだ。偉大であった企業や、成功体験に拘泥した企業が潰れる典型的なパターンとして、幾度となく繰り返されている。(p.283)
- 大衆世論3 ポピュリズムの弊害
- ガタルカナル島状態2
- 「帝国には、敵地侵攻時の予備プランそのものがなかったのだ。結果として、軍は全ての戦場において臨機応変に対応したまで。取り繕わないならば、場当たり的に対処してきたにすぎないといっても過言ではない」「個々の現場が奮闘することで、破綻を防いできた、と?」(-p.293)
- 無知の知
- なにより分からないことを、素直に告白できるのは美徳ですらある。無能者と自覚している無能者は、己が賢明であると確信している間抜けよりも億倍も尊い。愚直なトスパン中尉の資質をターニャは高く評価するに吝かではなし。分からないことを知ったかぶりされるよりは、よほどマシだ。(-p.339)
- コネ2
- 持つべきは、信頼できるコネだ。人的社会資本よ、永遠なれ!(p.347)
- いちおくそうかつやくしゃかい
- 大衆世論4 総力戦とナショナリズム
- 「冷徹な合理性など、もはや全交戦国では健全に機能するまいさ。我々も、連中も、世論という化け物を呼び起こしてしまったのだぞ?」総力戦という形態の戦争は従来のそれと国民の参加度合が桁違いに増えた。煽りに煽られ、熱量を増した感情の奔流は膨大なエネルギーでもって、戦争遂行に邁進している。ここまで戦い抜くために絶大な貢献を為したエネルギーであるが、しかし、それは膨大過ぎるが故に国家理性ですら押し流されない。なにしろ、政治家どころか軍隊までもが狂騒と感情の渦に身を投じている現状だ。麗しき敢闘精神と、冷静な戦術判断を混同することは最大の錯誤。されども、狂奔と化した激情を冷ますことは簡単ではない。(pp.408-409)
7巻「Ut sementem feceris,ita metes」1927.4.20-1927.5.14 東方戦線ドニエプル川以西制圧
- 労務管理
- 労働意欲が刺激されない場合の労働効率は最悪だ。やりがいというマジックワードを活用する手合いもいるが、それで手に入るのは無意味に張りつめている風船も同然だ。少しの刺激で破裂し、結果として用をなさない。組織の歯車である以上、歯車として扱い、扱われるのは道理。だが、代替可能であるにしてもメンテナンスを怠るようでは経費意識が欠落している盆暗だ。極めて良識的であると自負するターニャとしてみれば、己の労働がどのような意味と成果をもたらすかを周知徹底させ、自発的なモチベーションを部下に抱かせるのが当然だ。それこそが、管理者の義務とすら信じるほどであった。人的資源とは、丁寧に活用されなければならないリソースだ。リソースを消費するのは、無条件に悪でしかない。(pp.28-29)
- 人的資本価値
- やはり、自分は部下の育成が得意なのかもしれない。人的資本の価値が高まっていることを考えれば、手前味噌だ、とターニャは内心で苦笑しつつも誇らしく思うのだ。どんなときでも、人間を育てられるというのは悪い気持ちではなかった。(p.31)
- いやホント同僚って隙あらば密告して蹴落とし合うから困る
- いい仕事をしようと思えば、いい同僚が欠かせないのは道理だ。背後から突き落とされないというのは、それだけで警戒する方面が一つ減らせてありがたい。纏っている略綬に恥じない能力が保障されているのは、勲章制度のいいいところだ。(p.39)
- 手持ちのカードで勝負するしかない
- けれど、今は手持ちの札で勝負せざるをえないのだ。ゲームに乗った以上、勝ち筋を掴むために足掻くことは必然だ。(p.57)
- 総力戦と労働力動員
- 混乱し、潰走している彼らは恐怖に飲み込まれた個でしかないのだから。だが、怯えるだけでは役に立たない。彼らですら、活用しなければ戦争は勝てない。総力戦、それ即ち全人口総活躍社会だ。どうしようもないと内心で苦笑したくなる。(p.66)
- 生涯学習
- 人的資本投資に限界もなし。学べる時に学ぶこそ、大正義というわけだ。結局のところ、学習を続けないプロフェッショナルなど大嘘なのだから。(p.81)
- 管理職とプレイヤーの違い
- 総合的な視座で判断できるからこその、士官なのである。士官とは、自立思考するマネージャーだ。権限というのは、責任に比例する。責任というのは、己の職責だ。みなしや名目上の管理職と違い、本当の管理職とは、自分の頭で考えねばならない。そうでなければ、どうして将来の重役ルートが望みえよう?言われたことを、言われたとおりに遂行することが望まれるのは一介のプレイヤーだけなのだ。もっとも、とターニャは苦笑する。言われたこともできない人間が多すぎるのだから、下級レベルで『言われたとおりにやること』を最上の価値と勘違いする風潮があるのもむべなるかな。とはいえ、考えることを放棄した人間にある仕事とは『誰にでも出来る』仕事。付加価値を創造する点で、工夫が必要だ。そのための自己裁量権とは、誰にでも与えらるものは無し。権限が与えられているということは、期待されているという証左だ。(pp.138-139)
- 資本主義の強み
- 彼らは、プロパガンダで真実を突いている。資本主義とて、完璧ではあるまい。ただ、とターニャは同時に笑う。過ちを認められないコミ―と違い、資本主義は失敗を所与の前提としている。これこそが、人間工学の正しい応用というべきだろう。完全にして過たぬ、と自称するのは存在Xのような輩でお腹がいっぱいだ。資本主義の強みとは、適応、改善、進化にある。(p.224)