埼玉県川越市が舞台の『月がきれい』第1話〜第5話を見ての感想・レビュー

以前佐賀県の観光促進プロパガンダアニメ(「約束の器」)が大好きという話をしました。そうしたら現在放映している『月がきれい』という作品が埼玉県川越市を舞台にしていると聞きまして、百聞は一見に如かずということで見てみました。

概要

 

  • 内容について
    • 内容は中学生の青春ストーリー。お互いに内向的な文芸部の主人公くんと陸上部の少女のフラグ構築を描きます。2010年代後半における中学生の恋愛事情と感情の機微を描くという普遍的・一般的な側面が強かったです。個人的には、主人公くんが地元に根差した読書人であり物書きを目指していることや、地域の伝統芸能に参加していることに着目していたのですが・・・地域ネタの独自性を押し出すよりも、誰が見ても「あるある」と共感できるような作風を目指していると感じられました。第5話まででフラグ構築は完了し、付き合うことになったものの男女交際に悩んだ結果、紆余曲折を経て一歩踏み出せたところまで進展します。そして第6話からは三角関係のドロドロになっていきそうです。ぶっちゃけこっちの子の方が主人公くんは幸せになれそうではあるが。
  • 類似作品
    • 雰囲気としては中学生の感情の機微としては『耳をすませば』、主人公くんが地元に根差した表現者であり地域の伝統芸能に携わっていることからは『true tears』、スマホ依存症にも感じられるコミュニケーションの在り方としては『星織ユメミライ』を混ぜ合わせたようなものでした。

個人的な雑感

 

  • 学校行事イベントの消化性について
    • 一応舞台とか地域祭祀など川越分もあるにはあるのですが、川越要素よりも「中学3年生の学校行事」を消化していくことがメインです。この過程でフラグが構築されるので、ノスタルジックを感じながら楽しむこともできるのでしょう。しかし生徒がイベントをこなして進級進学していく様子はトコロテンのようにも感じられてしまいます。中島敦石川啄木も学校空間のループ性を指摘しているのですが、毎年毎年入ってきては押し出されていく子どもたちをただ見ていることだけしかできないのです。中高生にとっては一回性の価値あるものなのでしょうが、学校からするとそれは毎年の恒例行事であり、同じような年ごろの子供たちが同じようにイベントを消化し、同じように過ぎ去っていくのを何年何十年も見させられるのです。そのため学校行事を「消化」としてしか捉えられなくなっており感受性が鈍っていくのでしょうね。

 

  • スマホ依存症について
    • あとあくまでも個人的な雑感なのですが、スマホ依存症過ぎでしょと思ってしまいます。常にスマホを持ち歩き、ことあるごとにラインを気にしまくる。多分中高生にとってはこれがフツーなのでしょうがこれがフツーの描写として表現されているのだとするとちょっと日本の社会気持ち悪いかもしれません。そんなに繋がっていたいのか?折角主人公くんを現代ではアウトサイダー的な士大夫よろしく文芸を嗜む読書人として設定したのだから、アバンギャルドにケータイ?持ってませんがそれが何か?的な感じにして欲しかったものよ。