井上友一郎、豊田三郎、新田潤『満洲旅日記』明石書房、1942.1

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拓務省派遣の大陸開拓文藝懇話会の3名が満洲を旅行した紀行文。
日付順に3者の紀行文が掲載されていく視点転換方式。
井上は仕事の関係上後発、豊田と新田が同行で先発し朝鮮(釜山・京城平壌)を見分。
奉天で合流し、ハルピンまでは3人。それ以北は3者が分担して各地域を担当する。
11月7日に新田の記述はなくなり同日豊田が日本に着いたため、以後8日から井上単独記述。
紀元二千六百年式典の描写があるため1940年の話だと推定できる。

日本・朝鮮編

10月15日 井上は東京残留。豊田と新田、東京駅発

  • 井上
    • 豊田と新田の見送り
  • 豊田と新田
    • 15時東京駅発特急富士
    • 本当は3人で同時に出発するはずが、井上は新潮社の小説の仕事があり立てず。豊田、新田が先発。

10月16日 井上、まだ東京。豊田と新田、下関~釜山へ

  • 井上
    • 東京
  • 豊田と新田
    • 8時下関着 関釜連絡船で朝鮮へ 船内は旅客でとても混んでいる
    • 15時30分頃? 釜山着 龍頭山の祭り、喜代梅(おでん)
    • 21時 釜山発京城

10月17日 井上、まだ東京。豊田と新田、京城1日目

  • 井上
    • 東京
  • 豊田と新田、8時京城
    • 9時~遊覧バス(案内ガール、京城神社、博文堂、南大門、朝鮮神宮、経学堂(院)、昌慶園、パゴダ公園、総督府、博物館、徳壽宮)
    • 遊覧バス後、朝鮮ホテル、食堂園、鐘路通

10月18日 井上、まだ東京。豊田と新田は京城にもう1泊してしまう。

  • 井上
    • 東京
  • 豊田と新田
    • もう一泊京城 東洋劇場

10月19日 井上は東京発、豊田と新田は京城から平壌へ移動

  • 井上
    • ようやく小説を書き上げ東京駅発
  • 豊田、新田
    • 京城発→平壌
    • 牡丹臺、博物館(展示品:彩筐)、大同江遊覧船、平壌繁栄株式会社(妓生学校)、三光樓(焼肉)、平壌名物のリンゴ、平壌が平安朝の面影!?

10月20日 井上は下関~朝鮮、豊田と新田は奉天

  • 井上
    • 9時25下関着→関釜連絡船→18時頃釜山着→18時50急行「ひかり」発
  • 豊田、新田
    • 朝、奉天着。博物館(展示品:遼の陶器の描写)、忠霊塔、満拓支社で奉ビルの世話をしてもらう、喫茶店トリコロール、ロシア菓子店サンライズ奉天城内、ダンスホール(明星)
      • 豊田「もと湯玉麟の邸宅だつた博物館をみに行つた。遼時代の陶器はいかにも満洲色があつた。濁つた黄色、変わつた形状。規格の正しい支那陶器からみると幼稚な形をなさない想像力があつた。博物館の前にはロシヤ人の汚ならしい子供たちが裸足で遊んでゐた。」(p.73)

満洲編 共通√ 奉天~ハルピン

10月21日 井上、豊田・新田と奉天で合流す

  • 井上
    • 平壌を過ぎて起床、正午過ぎ鴨緑江安東駅で停車して税関検査、満洲国で絵葉書を送ろうとして日本の切手が使えないことに違和感(満洲=日本意識か?)、17時37奉天、豊田・新田と合流、稲場町(青葉?)で艶楽書館(芸妓屋で満洲芸妓を楽しむ)
      • 井上「なるほど、こゝはもう満洲国だ。もつとも、満洲国とは知つてゐたが、日本のハガキが役に立たぬとは知らなかつた。それは勿論、満洲国だから満洲国の切手でなければいけないとは知つてゐたが、それと同時に、日本の切手がいけないとは知らなかつた。あたりまへの事であるが、それでも何か妙な気がした。」(p.84)
  • 豊田と新田
    • 井上と合流。青葉町、平康里(支那遊里)

10月22日 3人で奉天見物

  • 3人
    • 奉天旧場内見物、四平街デパアト吉原絲房、23時20頃奉天発ハルピン行

10月23日 ハルピン1日目

  • 3人
    • 9時ハルピン着、大和ホテル、地段街、満拓公社、モデルンホテル(ロシア料理)、ハルピンの享楽面のはなし(裸踊りの店トロイカ)、大星ホテル、キタイスカヤ街、フロリダ舞踏場、アトランティク舞踏場

10月24日 ハルピン2日目 ハルピン義勇軍訓練所

  • 3人
    • 遊覧バス満員で乗れず、ハルピン義勇軍訓練所(野菜貯蔵庫、パン焼き窯など)、満拓公社、濱江飯店
    • 豊田、満洲日日新聞の記者と口論になる。(豊田が移民村の話を聞き小説になると述べたことに満洲日日の記者が激怒)

10月25日 ハルピン3日目 3人が√分岐

  • 井上・新田
    • 共に「特殊地帯旅行許可証」を得るため経緯警察署へ。松花江の散歩。キタイスカヤ街の白系喫茶店マルスへ。新田はマルスでロシア娘の様子を詳述(白いワンピースの胴の所を黒いベルトで締めた美しいロシア娘)。文脈からすると3人で哈爾濱博物館へ行ったようだ。
      • 新田「キタイスカヤの露人経営の喫茶店マルスで豊田と落合ふ。一様に白いワンピースの胴の所を黒いベルトで締めた美しいロシア娘が溌剌と泳ぐように動き廻つてゐる。その一人の横顔をスケツチしたら、微笑を浮かべながら眺め、そこにサインした。――カチユウシヤと。」
  • 豊田
    • 博物館見学、市立病院でペスト予防注射、マルス、フロリダ、アトランティック、23時50ハルピン発鉄驪行き。

満洲編 個別√ ハルピン以北

10月26日 井上と新田の別れ、豊田は鉄驪訓練所へ

  • 井上
    • 新田の見送り(新田は23時過ぎ発牡丹江行)、満洲日日新聞の増田が大日向村を批判、明治42年の当日伊藤公暗殺、北安行き
  • 豊田
    • 朝8時慶州、10時鉄山包、トラックで鉄驪訓練所へ、鮮農の話、花嫁女塾、名古屋からの勤労奉仕
  • 新田
    • 虎林線で佳木斯方面へ

10月27日

  • 井上
    • 8時北安着、馬賊がいっぱいの話、12時北案発孫呉行き。20時30孫呉着。興安ホテル。
  • 豊田 鉄驪訓練所2日目
    • ラクター見学、安拜開拓女塾の話、同郷埼玉県民の生徒と座談会
  • 新田
    • 9時牡丹江着、満拓事務所へ。正午山市着。山市自警村へ。武装移民の話。

10月28日

  • 井上
  • 豊田
    • 鉄山包駅へ(道中義勇軍の少年と会話)、10時佳木斯へ発。車内で西本願寺の僧侶と会話、深夜佳木斯着、東宮記念館、昆明義勇隊隊長山田氏と会う
  • 新田
    • 早朝、山市自警村からトラックで牡丹江へ。午後牡丹江着。満拓事務所で旅館を紹介してもらう。牡丹江銀座通り→「何か植民地かなといった感じ」

10月29日

  • 井上
    • 孫呉訓練所2日目、徴兵検査で甲種合格者喜ぶ(訓練から逃れらるため)、めしは山盛りだが白菜、慰問演芸の中止
  • 豊田
    • 東宮記念館、三江省協和会本部、満人街、百貨店、佳木斯市公営管烟第二支所(阿片吸引所)、大極宮、立正孤児院
  • 新田
    • 9時牡丹江発、正午頃龍爪、開拓団の様子(昭和12年の第6次入団)、匪賊問題、オオカミの被害、満人を立ち退かせて土地を買い取り

10月30日

  • 井上
    • 孫呉訓練所発、駅で待機、「風月堂」(菓子屋)、午後孫呉発黒河行、「赤い夕陽の満洲」、20時黒河着、蔦屋(宿屋)
  • 豊田
    • 4時半起床、5時佳木斯駅、6時25発、晨明駅下車、訓練所から開拓地へと移行した最初の事例、元々は饒河少年隊の一部、満洲移民の認識について、夕方佳木斯駅へ戻る
      • 満洲にきて痛感するのは家屋を作るだけでも相当の月日を要し、家畜を働かすよりも、生存させておくだけにどれ位の犠牲と訓練を要するかということである。満洲にはいれば明日からでも土地をたがやせるように考えたら大変な間違いだ。先づ住むことを知り、次にたがやすことを知り、それから後に経済を立てる、この三段階をゆる〈と獲得せねばならない」(p,182)
  • 新田
    • 7時起床、10時満人部落、龍爪牧場(ロシア人)、19時龍爪駅、林口駅へ。林口ホテル、駅前の盛り場。

10月31日

  • 井上
    • 黒河分遣所のトラック、黒竜江で黒河対岸のソ連の街:ブラゴエシチエンスクを見る、黒竜
  • 豊田
    • 弥栄村、かつ丼が美味い、小学校を訪ねる、20時佳木斯駅に戻る、牡丹江行の汽車
  • 新田
    • 8時林口発虎頭行、13時黒台、駅前の信濃村分遣所→黒台信濃村(匪賊の話、小学校事情、食堂の主人との会話)

11月1日

  • 井上
    • 友人福井が出勤のため黒龍館で何もせずに過ごす
  • 豊田
    • 7時牡丹江、オセップコップ(コーヒー店)、ヴォルガ(百貨店)、ハルピン行の汽車、昼過ぎ柳樹信号所で下車、ロマノフカ村へ(近親婚の話など)、柳樹、横道河子、23時ハルピン行の記者
  • 新田
    • 連珠山駅、林口へ引き返す。防空演習で真っ暗

11月2日

  • 井上
    • 大額泥の訓練所へ、訓練所の幹部と会話、午後:黒龍館へ戻る、夜:黒河の蔦屋(宿屋)、夕食後カドヤ舞踏場
  • 豊田
    • 早朝ハルピン着、最終列車で新京へ向かうため時間を潰す(レストラン:ビクトリア、モルデンホテルの映画館など)、食堂で時間を潰していたら汽車が行ってしまう
  • 新田
    • 朝:佳木斯、旧埠頭、ジャンク船と苦力、ニューチャムス(ロシア料理レストラン)

11月3日

  • 井上
    • 黒河発、ハルピンへ、満人の葬儀
  • 豊田
    • 汽車を乗り過ごしたのでハルピン滞在中。満洲でも明治節、双城堡駅、鉄道自警村へ。
      • 満洲と北海道農法の話→「ここでは十町歩以上を確実に耕作してゐるが、穀物の収穫だけでは到底やつてゆけないので、(満洲常用一人を置く)野菜や家畜からの収穫を真剣に考えてゐた。指導員は北海道の人で酪農にくわしく、やはり北海道の技術を持つて来ねばならないと語つた。現在の満洲農業にはまつたく目標が出来てゐない、科学的な研究が完成していないし、優秀な技術科もゐないといふのがその嘆きだつた。」
  • 新田

11月4日

  • 井上
    • ハルピン着。大星ホテル、豊田と入れ違いになる(※豊田は11月2日に汽車を乗り過ごしたため11月3日までハルピンにいた。)
  • 豊田
    • 特急アジアでハルピンを去る。15時新京着、康徳会館ビル、満拓へ行くが誰もいない、満洲新聞辰村氏の歓迎、夜;汽車で奉天
  • 新田
    • スンガリ、満人街、西佳木斯駅、夜牡丹江行

11月5日

  • 井上
    • 10時特急あじあで新京へ、雙城堡を通り過ぎる(「日本人ここにあり」義人村上久米太郎)、昼過ぎ新京着、満洲新聞、夜新京会館、扇芳亭
  • 豊田
  • 新田
    • 8時牡丹江着、ロマノフカ村へ(樺太で育ち日本語が分かる主婦)、柳条河子→横道河子→ハルピン

11月6日

  • 井上
    • 新京、雪で真っ白、13時吉野町、ヒラモト喫茶店、大同大街の三中井百貨店、ニッケ、「うな新」
  • 豊田
    • 10時奉天発「興亜」、大連から帰ろうとするが、朝鮮√で日本へ行くことに変更。安東で3等に乗り換える。
  • 新田
    • 8時ハルピン、夜:キタイスカヤ街のロシア料理店、キャバレ・ファンタジア

11月7日 ここから新田の記録なくなる

  • 井上
    • 新京滞在、満洲新聞社、満洲文話会、皃玉公園で写真、寛城子
  • 豊田
    • 朝鮮を一気に通り過ぎる、11時釜山から日本へ、二千六百年記念祝典で日本へ向かう人でにぎわう、小冊子「満洲の伝説と民謡」、夜日本へ着く。

井上エンド 11月8日から井上単独の記述となる

11月8日

  • 井上
    • 皃玉公園で散歩

11月9日

  • 井上
    • 午後、吉野町で新田と出会う。ロシア人キャバレーインペリアル、ダイヤ街、扇房亭

11月10日

  • 井上
    • 活動写真、夜ダイヤ街、新京の住宅事情、満人街

11月11日

11月12日

  • 井上
    • 奉天滞在、昼前満鉄へ、満鉄は従来内地からの視察者に百円ずつ贈っていたがその習慣はなくなっていた、だが奉天の日本料理屋で宴会、撫順炭礦と熱河視察の段取り、ここで新田は大連へ出て帰国、明星舞踏場

11月13日

  • 井上
    • 寝坊して撫順には行かず。23時59分奉天発承徳行 熱河へ

11月14日

  • 井上
    • 夜:承徳着、車中では雑誌「モダン満洲

11月15日

  • 井上
    • 承徳街公署、観光協会主事島主馬氏と会う、熱河八大廟、普寧寺(大仏寺)、普陀宗条之廟、須彌稫壽廟、避暑山荘、承徳ホテルで食事、駅

11月16日

11月17日

  • 井上
    • 観光バスで奉天北稜の見学、13時大連行き急行「はと」、19時40大連着、中央ビルホテル、西公園医大記念講堂で友人のヴァイオリン演奏を聞く

11月18日

  • 井上
    • 満鉄、大連日日新聞学芸部、駅前連鎖街(酒場)

11月19日

  • 井上
    • 大連大埠頭、門司行甲丸を見送る、映画館前進座「大日向村」

11月20日

  • 井上
    • 旅順見学をしようとするも観光バス乗車券売り切れ、映画を見る(小杉勇の「くろがねの力」、月形龍之助・原健作「敵討主従」)

11月21日

  • 井上
    • 飛行機で日本に帰る。5時日本航空営業所、ダグラス8人乗り熱田号9時45発、11時35京城着、乗り換え、21人乗り桂号、14時35発、15時36機内で蔚山を見る、16時前後九州博多湾、鴻ノ巣に着く。