ランス10第二部を終えて 「物語の設定枠組みに登場人物が挑むことに対するロールプレイングゲームとしての答え」


  • RPGというゲームがロールプレイするのではなく、キャラたちを眺めるだけになってしまったことに対する、原初的な解答
    • 黎明期からエロゲRPGを牽引してきたランスシリーズのラストが、RPGの原初回帰だったということは、すごく示唆的だと思いませんか?
    • そもそもRPGはプレイヤー自身がゲームのキャラクターに自己投影して冒険や物語を追体験して楽しむことが主題であったはずです。しかし、いつしかゲームのプレイヤーはゲームの主人公とは乖離し、外から物語上のキャラを眺めて楽しむようになっていきます。ランスシリーズのプレイヤーは誰も自分のことをランスとは思わないでしょう。だからこそ、おりこうなゲームキャラではない、モラルも常識も糞食らえな破天荒ランスくんの魅力が描けたこともまた事実であります。しかし、ランスシリーズという世界観をただ消費しているに過ぎないこともまた事実であり、このジレンマにどのように決着をつけるかが問題となっていたのですね。
    • これを上手くまとめたのが、ランス10の第二部。ランスシリーズの世界を創造した神は、外からキャラクターを眺めて無聊を慰める存在として設定されています。つまりは視点的には、私たちと一緒なのです。さーて、今回のシリーズではランス君がどんな活躍をしてくれるのかな〜ということを期待して、シナリオを読んでいくのですね。この娯楽のために、ランス君たちの世界はいつまでも終わることができず、手を変え品を変え、視聴者を楽しませる悲喜劇を展開し続けなければならないという、煉獄の中にいたのです。
    • この煉獄の中に、創造神、そしてゲームのプレイヤー自身をも投じるのがランス10第二部の見どころ!!!第二部の主人公くんは、プレイヤーである「あなた」自身であることが強調されています。勿論デフォルトの名前を変更できて、自分の名前も付けられます。そう、これこそ、RPGの原初回帰。自分自身がゲームの主人公として、世界観を楽しむという所に回帰しているわけです。
    • 最終的に第二部の主人公は創造神であることが明らかになります。創造神は、自分の無聊を慰めるためだけに世界を創り、そこへ悲劇を与えて楽しんでいました。そんな創造神をして、自ら創成した世界で、主人公として等身大の体験をさせしむことで、人生を生きることに喜びを見出させるのです。すなわち、世界の人物たちに意図的に過酷さや悲劇を味わせて、それを眺めて楽しみ無聊を慰める、という行為から脱するのです。エロゲ黎明期から始まったランスシリーズは、それ以前の前提であった「主人公=自分自身」というロールプレイから脱することで大ヒットしました。すなわち読み手とは異なる、強烈なキャラ個性を持つ「ランス」くんという主人公像を呈示することで、大人気となったのです。だからこそ、ランスシリーズの風呂敷を畳む際にとられた手法が、ロールプレイへの原初回帰というのはすごく示唆的なのです。ランスの活躍を眺めて楽しむのではなく、主人公は「あなた」なんですよ!ということが第二部ではしきりに強調されていたのも、そのためなのです。
    • こうしてプレイヤーはランス10第二部をプレイすることで、自分自身が物語するんだということを取り戻し、ランスという強烈なキャラにさよならをすることができるのです。ランス10のラストは、ランスがずっとそばに居ろと命じたシィルに看取られて死ぬところで幕を閉じます。私たちを楽しませるために、黎明期からずっと活躍させられ続けたランスくんに、ようやく休息の時が来たのでした。ありがとうランス!ランスシリーズの存在はエロゲ史において語り継がれていくことでしょう。