【演習A報告001】植民地研究の研究史整理

1.はじめに

  • 問題意識と問題設定
    • 冷戦の終結ソ連の解体によりグローバル資本主義が世界を覆うようになると、ヒト・モノ・カネ・情報などの移動が活発化していった。しかしボーダレス化が進む一方、国家や民族、文化など、価値観や社会認識の異なる他者とどのように融和し、関わっていくかということが、今日的課題として発生している。歴史を振り返ると、日本はこれまでに満洲国を成立させ異民族集団の中で交わるという経験を積んだ。各民族が完全に分離して一切交わらなかったということは考え難い。異民族集団との関わりのなかで、日本人はどのように生活や消費を行ったのか。また、日本人大衆は、満洲国をどのような認識でとらえており、どう関わったのか。そして、このような交流によって植民地及び日本本国はどのように変容したのか。これらの実態を把握することは、現代においても、異民族集団と関わる際に役立つはずである。ここでは、満洲観光/旅行(または三越などの百貨店の顧客や満鉄の利用状況など)を取り上げ、被植民者を含めた行動や生活の実態と、それらが地域や社会にどのような影響を与えたのかを明らかにしたい。

2.研究史整理

満洲国における観光/旅行の研究は、研究史上どのように位置づけられるだろうか。ここでは研究史を整理し、主要な文献をサーベイする。

  • 【1950年代〜60年代】戦後植民地研究の出発
    • 第二次世界大戦後、植民地をすべて喪失し、日本人の旧植民地への残留も連合国によって原則的に否認されたことは、敗戦直後の時期に植民地の研究を著しく低下させることとなった。また植民地の実証的研究に不可欠な一次史料もごく限られていた。それゆえ1950年代までは植民地研究への関心が低調だった。戦後の帝国主義・植民地研究は1950年代に始まる。日本帝国主義に対して国民が有効に抵抗できなかった反省が、学界に共有されており、研究者には、この同時代的失敗と破滅を徹底的に批判し、総括しなければ、戦後の日本の針路に展望は開けないという思いが根強かった。
    • 理論的出発点となるのは、井上晴丸・宇佐美誠次郎『国家独占資本主義論』(潮流社、1950)である。これは、日本資本主義の国家独占資本主義への移行過程の中に植民地侵略を位置づけ、地主・商業資本的侵略、産業資本主義的侵略、金融的侵略の各側面から、それらの収奪と横領の諸形態を明らかにした。
    • 満洲に関する植民地研究は、満鉄の研究から始まる。早稲田大学政治経済学部の安藤彦太郎を中心とする満鉄史研究グループが1959年に機関誌『研究ノート日中問題』を創刊して研究を進め、その成果をもとに『満鉄−日本帝国主義と中国』(御茶ノ水書房、1965)を公刊した。
    • その一方で、1960年代には旧植民地関係者や一部の国民のあいだに、かつての日本の統治と対外政策を美化し、「主観的善意」を強調する植民地肯定論が登場した。具体的には、『満州開発40年史』、『あゝ満洲』、『満洲国史』などである。
  • 【1970年代〜80年代前半】植民地研究の活発化
    • 1970年代になると以下の3つの理由により、植民地研究が活発化する。第一に資料集・文献目録の出版などにより資料条件が整備されたこと。第二に日本の政治、司法、教育の反動化や、日本企業のアジア進出の本格化が、「帝国主義統治」や「1930年代の日本」への関心を喚起し、敗戦前の日本国論・ファシズム論への関心が高まったこと。第三に経済史の分野でも、研究の関心が産業革命期から両大戦間期(独占資本主義確立期)へと移行しつつあったことである(柳沢遊・岡部牧夫「解説・帝国主義と植民地」柳沢遊・岡部牧夫編『展望日本歴史20』東京堂出版、2001)。
    • 70年代の満洲研究を規定することになったのが、鈴木隆史「『満州』研究の現状と課題」(日本貿易振興機構アジア経済研究所研究支援部編『アジア経済』12(4) 1971)である。これは1960年代の満州研究の動向を整理し、日本帝国主義による満州支配の研究課題として以下の三点を上げた。第一に、満州における植民地支配を日本帝国主義の構造的一環として把握するという立場から、従来の個々の実証研究を発展させ、満州植民地経営史の全体像を構築すること。第二に満州における日本の植民地支配は、日本帝国主義の植民地体制全体の中でどのような位置を占めていたかを明らかにすること。第三に日本帝国主義の支配に対する中国人民の抗日民族闘争の展開過程を、支配の全過程について系統的に解明すること。これらの研究課題により実証研究が進展していった。また1970年代は植民地研究が学会のテーマとなり、土地制度史学会、歴史学研究会、経営史学会などで報告が行われた。
    • 70年代後半になると、多分野で実証が進展し、資本輸出、金融、居留民、鉄道、経済「開発」、民族運動、植民地政策などがテーマとなった。また、植民地研究と隣接領域の交流が進み、ファシズム史、移民史、国際関係史、外交史、都市計画史、思想史などに関連する研究が進んだ。
  • 【1980年代後半〜1990年代】新しい研究潮流の台頭
    • 1980年代後半になると、アジアNIEsの台頭及びその民主化と、社会主義体制の急速な凋落・崩壊により、これまでの帝国主義論研究から様々な視覚が登場することととなった。
    • アジアNIEsの台頭
      • 韓国、台湾、東南アジアの一部がNIEsとして経済を成長させ、さらに独裁から民主化へと政治状況も変化する中で、これらの地域の現代史の前史として植民地時代をとらえる視点が登場した。
    • 社会主義体制の凋落・崩壊
      • 「発展段階論的歴史把握」への懐疑を広める。植民地研究を強く規定してきた資本主義発達史・帝国主義史の方法について相対化が顕著に進む。研究者の方法的立場を「帝国主義と植民地」という伝統的歴史認識から転換させた。
    • あたらしい研究潮流
      • 具体的には、帝国主義論を政治や経済以外の領域に拡大して適用しようとする帝国主義社会史や文化帝国主義論、単線的な発達史観を克服し、その相対化をめざす世界システム論、帝国主義概念を通時的に拡張する帝国論、再生産される帝国意識やその文化を問題とするポスト・コロニアリズム論、NIEsの台頭の要因を植民地期の社会変動にもとめる植民地近代化論など。
    • 90年代以降の植民地研究の全般的動向として以下の傾向がみられる。
  • 【1990年代以降】ポストコロニアリズムと帝国史研究
    • ポストコロニアリズム
      • 1960年代末以降、独立後/帝国崩壊後もなお存在する植民地主義、しかもそれは植民地後/帝国後を生きる人々のうちに深く内面化され、(残滓ではなく)常に再生産されて更新し続ける。ゆえにその克服には、制度的な脱植民地化/脱帝国化まで展望しなければならない、という観点の主張が論ぜられてきた。日本では1990年代に入り、脱冷戦・脱社会主義のなかで、ポストコロニアリズムの課題に関連する海外の研究の紹介・検討が一揆に進んだ。
    • 国史研究
      • 1990年代以降、方法・対象とも多様化した日本の植民地研究は、一括して帝国史研究とよばれ、従来の帝国主義研究と対比される。日本史研究会の1999年度大会の近現代史部会は「帝国日本の支配秩序−十五年戦争期を中心に」をテーマとしており、そこで駒込武が帝国史の射程について整理している((駒込武「コメント」『日本史研究』452、2000)。その特質は以下の四点にまとめられる。第一に複数の植民地・占領地と日本「国内」の構造的連関を究明する。第二に宗主国と植民地の影響関係を相互規定的に捉え、特に植民地の状況が宗主国に与えた影響に注目する。第三に従来の経済史的な植民地研究に比して、政治史や文化史の領域を積極的に解明する、第四に自明とされてきた民族・文化概念が、歴史的に植民地支配と不可分に形成されてきた過程を重視する。以上、四点の視覚を通じて、従来の枠組みでは捉えられなかった「植民地帝国」としての日本の総合的な探究が企図されている。
      • 帝国主義史研究と「帝国史」研究の違いについて。従来の帝国主義史研究は「同化政策」対「民族解放闘争」という二項対立的な図式が暗黙の前提とされてきた。一方で、「帝国史」研究は、さまざまな次元での相互作用に着目しながら、植民地政策にはらまれた内部矛盾や、支配者と被支配者のインターフェイスに生ずる諸問題をさらに立体的に解明しようとする。
  • ポストコロニアリズム・帝国史研究における「観光」の位置づけ
    • 国史研究では、「植民地における資本主義の様態を、経済史研究とは異なる関心から問題にする動向がある。植民地という条件下では、資本主義が生み出す不可逆的変化が、人々の感覚や情動にいかに作用するのか。この問いかけは、表象分析にとどまりがちなポストコロニアル研究を内在的に批判し、経済史的な研究との交流の可能性を示唆する。その徴候は、例えば観光をめぐる諸研究の高まりにうかがえる。……植民地の観光開発や日本国内の植民地表象(博覧会など)は文化的支配の代名詞となったが、近年では観光の基盤整備の実証的な分析に加えて、被植民者を含めた具体的な観光行動が検証され、現地社会の変容や抵抗の可能性についても論じられるようになった。他方、観光開発の欲求は、日本「内地」の周辺部を巻き込んだ開発競争を誘発するなど、帝国内の地域間関係を変化させる」(『植民地研究の現状と課題』p.67)
    • 以上のように、「観光」について研究することで、現地社会の変容や帝国内の地域間関係の変化を明らかにすることができる。

3.満洲観光に関する主要文献