極東蘇連史006「終戦工作」(日本の降伏の原因は原爆落されたからではなく、終戦外交をソ連に依存していたので、ソ連の対日参戦を受けて、ポツダム宣言受諾に動いたという話)

第6回は「終戦工作」のおはなしでした。

(1)ドイツ降伏後の終戦工作

(1)-1.終戦工作の定義
  • 国内の意見調整
    • 終戦が難しかった 負けてる戦争を敗戦国日本の側から終わらせることは難しかった
    • 日本にしてみれば、蘇連が唯一の救世主だった!
  • 1946年5月7日 ドイツの降伏
  • 最高戦争指導会議構成員会議 → これが終戦を決めていく。
    • 陸軍参謀総長と海軍軍令部総長について
      • 両統帥部長≪統帥部(実際に軍を動かす)≫ ⇔ ≪国務≫陸軍大臣海軍大臣陸相海相が軍のトップではない) 
      • 国務統帥を揃わせる必要がある!
    • 軍務局長を排除したかった(意図があって、狙いがあってそうした。局長たちを呼ぶと強硬論になり和平論にならず、機密が漏れてしまうから。)
      • 陸軍海軍の若者が強硬 しかも和平論がバレれば暗殺される 秘密のうちに和平論を多数派にしなければならなかった。
      • 松谷誠らが実務面を担当
  • 注意すべきこと
    • 同じ人物が、強硬論と和平論を局面によって使い分けており、その人物の主義主張ではないこともある。
      • たとえば鈴木貫太郎。和平派だが、強硬論を唱えることもあり、ポーズとして使い分けている。
(1)-2.継戦論
  • 6月8日御前会議
    • 国家総動員法をもって議会は軽視されたようなイメージだが、議会は開かれている
    • 議会の役割はショー。新聞は必ず議員の発言を克明に記載する。 議会での論戦が新聞を読めば分かる。 最近はフツーの議論が新聞に掲載されなくなった。
    • 議会が開かれていたために強硬論になってしまう 鈴木貫太郎の演説は無責任な強硬論ではない。
    • 戦争をやりたかったのは国民と中間の人。下手に民主主義の制度を残しているため国民のために体裁を作ろう必要がある。1945年の政治状況として的を射ている
(1)-3. 天皇の和平論
  • 6月頃に 天皇は「一撃和平論」から「和平論」へ 
    • 一撃和平論とは?一度日本が勝ってから和平を迎えるどこで和平を取る
  • 沖縄戦は司令官が6月3日に自殺
    • 6月22日 最高戦争指導会議構成員会議(天皇を交えた)でソ連を介した仲介とした和平 
    • 近衛文麿天皇の勅使としてモスクワに派遣する構想などソ連を介した和平交渉を展開
  • 具体的な和平の条件は、松谷誠、加瀬俊一、高木惣吉、松平康昌の4人で作成
    • これが一番の和平工作のなかでポイントになる 実際に作っていた 上の人達はこれらを認める
  • これにもかかわらず結局ソ連は参戦してくるのです。。。
  • 和平の条件というのは結局、どういう条件を呑んで日本が戦争を終わらせるか
    • 日本が蘇連にもらせる「お土産」。 満洲関係の権益と樺太に関しては蘇連に返す 千島列島は想定外 対英米を仮想敵国としてソ連と結ぶ。
    • ソ連のお礼としては領土だけではなく、
  • 戦争に負けていることに加えて交渉すらしたくない

(2)

(2)-1.特使派遣の挫折
  • 鈴木貫太郎内閣 ポツダム宣言
    • 駐ソ大使:佐藤尚武 
      • cf.佐藤外交とは→日中関係が好転した。林内閣の外相。
      • 1945年7月26日に出されたポツダム宣言は無条件降伏である。日本が蘇連を通して和平交渉したいというのは、米英も知っているはず。なのに無条件降伏を要求しているわけだから、無条件降伏以外にはありえない。
  • 日本政府の目論見と連合国の意向の食い違い
    • ソ連を仲介とした条件和平(日露戦争時のアメリカを期待している) ⇔ 米英は日本のこと知ってて無条件降伏を要求(7.26)
      • スターリンは日本の蘇連を仲介した和平工作を知っているので、蘇連から連絡を受け入ている米英は日本の意図を踏まえた上で、無条件要求を出している。
  • 電報でトウゴウヒデノリが出先機関で交渉は難しいだろうかやってくれといっている
    • だが佐藤はそれに対して反論。東郷・佐藤論争。二人は同い年。佐藤は特使派遣は難しいという。
  • 8.8宣戦布告(ソ連の対日参戦)
    • 受けた側はお返しに宣戦布告返しを返すはずなのに、この時日本は作っていない。
(2)-2.8月9日の閣議
  • 戦争中は最高戦争指導会議 
    • 国務と統帥が集まる会議を作る
  • 最後の決定の時にだけ閣議でやっている
  • 下村宏 情報局総裁 朝日新聞社 情報統制を取り仕切る
  • 8月9日の会議でほぼポツダム宣言受諾となる
    • →深夜の御前会議 8月10日、受諾
    • ほぼ方向は決まったのだが・・・
  • 戦争の終わらせ方を見た時に 蘇連の仲介への期待がかなり有力な大きな方針
    • それをもって8/8まで期待している→→それでソ連が対日参戦したので→→ポツダム宣言受諾
  • 原爆を落したから、日本がポツダム宣言を受諾した説について
    • 原爆の効力は過小評価。原爆が堕ちたので戦争の負けを認めたのではない。
  • ここまでもってくるまでに 和平派の人達が和平工作を続けてきた
  • トップは建前上 議会とか御前会議で和平を言えない 国民の目を気にしている
  • 丸山真男が意識構造を論じている→軍人官僚の決定がなぜ遅いのか 「無責任の体系」
    • 下克上の雰囲気を指摘スル 陸軍大臣が強硬論をいうのは、和平を言えば若い者が収まらない 暴力団と同じ理屈
    • 部内が抑えられない この論法が横行する 陸軍大臣は勝てるといっている それは交戦派がかなりいるから
    • 陸軍大臣や議会が、国民の顔色を窺っている 
    • 独裁者ほど自分の言動がどう見られているかを気にする。
    • 民主主義的に選ばれた自信がないから
    • 彼らが見ているのは右翼 つまりは声がでかい人 だからトップも強硬論になってしまった。
    • 戦争負けてるから外交で終わらせたいと言えない
    • 常に強硬論を言わないといけないという状況に陥っている
    • 負けてると分かっているのに、負けたとは言えない。