雑録

【用語メモ】満洲国

国史大辞典より
満洲国」まんしゅうこく(鈴木 隆史)

  • 概要
    • 満洲事変の結果、中国東北(満洲)と内モンゴルを主な領域として設立された日本の傀儡国家。
    • 日露戦争以来、日本は南満洲と東部内モンゴルをふくむ満蒙地方を日本の国民的生存にとって不可欠な「特殊地域」であると主張し、その排他的独占を要求した。しかし日本の満蒙独占の要求は、第一次世界大戦後のワシントン会議で列強のきびしい批判にさらされる一方、中国の民族運動による強い抵抗に直面しなければならなかった。列強の圧力と中国の民族的抵抗による満蒙支配の動揺は日本の支配層に深刻な危機感を与えた。すでに満蒙地方は日本資本主義の重要な投資市場および原料資源の供給地となっており、さらに軍事的にも陸軍の対ソ戦略の基地として重視されていたからである。
  • 満洲事変
    • ときの政党内閣は国際協調路線に従って満蒙問題の解決をはかろうとしたが、軍部と右翼勢力は武力解決を主張し、そのための国家改造運動に着手した。昭和三年(一九二八)六月の張作霖爆殺事件は対満武力発動を企てた日本軍人の最初の陰謀であったが、その後関東軍板垣征四郎石原莞爾両参謀を中心に綿密な満蒙領有計画をねりあげ、昭和六年九月柳条湖事件の謀略を機に満洲侵略を開始した。
  • 満洲国の成立
    • 日本政府は、当初、事件の不拡大を表明したが、軍中央部は直ちに関東軍の行動を追認し、ただ国際関係への配慮から関東軍の満蒙領有案には反対した。そこで関東軍は新国家建設に方針を転じ、天津に蟄居中の清朝廃帝愛新覚羅溥儀を頭首にかつぎ現地の親日派要人を利用して建国工作を推進し、それに満洲青年連盟など在満日本人グループが積極的に協力した。昭和七年一月満洲全域を占領した関東軍は第一次上海事変の間隙をぬって建国をいそぎ、同年三月一日張景恵・煕洽ら中国側要人による東北行政委員会に黒竜江省吉林省遼寧省(のち熱河省を包摂)を領域とする満洲国の独立を宣言させ、溥儀を執政とし、元号を大同、首都を新京(長春を改称)と定めた。
  • 傀儡国家
    • 同年九月日本は満洲国政府と日満議定書に調印して満洲国を正式に承認し、翌年三月には国際連盟総会が満洲国否認のリットン報告書を採択したことに反対して国際連盟から脱退した。日本の国際的孤立化とひきかえに設立された満洲国は、日満議定書によって日本の在満既得権益と日本軍の駐留を認め、さらに執政溥儀の関東軍司令官あて書簡および秘密協定によって関東軍満洲国統治の実権を与えた。
    • 満洲国は形式的には独立国の形態をとり、国務院・参議府・監察院などの国家機関をおき、国務総理と各部長(日本の大臣にあたる)には中国人が就任したが、国務院の実権は日本人の総務長官と各部の次長がにぎり、多数の日本人が国家機関の主要ポストを占めた。関東軍司令官は駐満全権大使と関東長官を兼ね、満洲国に対する内面指導をつうじて満洲国の国政を左右した。その後昭和九年十二月に対満事務局(総裁は陸軍大臣)が設置されると、関東軍満洲国の軍事・行政全般に対する実質的指導権を掌握した。なお満洲国は同年三月一日帝政を実施し、執政溥儀を皇帝とし、国号を満洲帝国、元号を康徳と改めた。
  • 五ヵ年計画
    • 満洲建国の目的は、満洲を日本の総力戦準備に必要な軍需資源の供給地とするとともに戦備を充実して対ソ戦に備えることにあった。そのため関東軍は強力な経済統制政策によって軍事優先の経済開発を推進し、昭和十二年度から重要資源の自給自足と対日供給を目的とする産業開発五ヵ年計画を実施した。同年七月日中全面戦争が開始されると、日産コンツェルン満洲移駐による満洲重工業開発株式会社が発足し、鉄道と撫順炭礦をのぞく満鉄(南満洲鉄道株式会社)の系列会社を傘下に収めて満洲経済の総合開発をめざした。
  • 五ヵ年計画の修正
    • 五ヵ年計画は日中戦争の長期化に伴って翌十三年三月に大幅に修正され、重要物資の対日増送に重点が移された。五ヵ年計画の実施とともに農産物に対する国家統制も次第に強化された。特産大豆をはじめとする重要農産物の流通はきびしく統制され、政府によって生産地に割り当てられた農産物の蒐荷政策が行政機関や農事合作社(のち興農合作社)をつうじて強行された。
  • 移民政策
    • また昭和十二年度から本格的な日本人農業移民政策(二十年百万戸移民計画)が実施に移され、入植地として広大な農地が中国人農民から強制買収された。これにあわせて日本国内では分村・分郷による満洲移民が国策として奨励され、翌十三年から満蒙開拓青少年義勇軍の送出も開始された。
  • 抗日運動
    • しかしこのような満洲における日本の植民地支配は、急激なインフレと重税、土地と農産物の収奪などの圧政に苦しむ在満中国人民の抵抗を免れることはできなかった。日本の満洲国支配に反対する中国人民の抵抗は建国初期の反日義勇軍や抗日遊撃隊の活動に始まり、昭和十一年ころには東北抗日連軍が各地に結成されるまでに成長した。これに対して関東軍は徹底した治安粛正工作を展開し、武力討伐のほか民間銃器の回収、保甲制度の採用、集団部落の建設など、あらゆる治安政策を強力に推しすすめた。その結果、昭和十五年以降、反満抗日運動は衰退にむかったが、各地に分散した抗日分子の抵抗は満洲国が崩壊する日までつづいた。
  • 思想動員
    • 関東軍満洲国の治安体制を強化する一方、昭和七年七月に結成した満洲国協和会をつうじて「王道楽土・五族協和」の建国イデオロギーによる民衆の思想動員にも力を注ぎ、満洲国施政の民衆への侵透をはかった。協和会は昭和十一年に挙国的国民動員組織に改組されて会員を大幅に拡大するとともに、青年訓練の実施、協和青少年団と協和義勇奉公隊の組織化を推進し、さらに行政機関と一体化して国策の遂行に寄与するなど、民衆を満洲国の戦時体制に組織的に動員するうえで積極的な役割を果たした。
  • 徴兵制
    • さらに満洲国政府は協和会組織を基盤として青年層を直接戦争に動員するため、昭和十五年に国兵法を制定して徴兵制を施行し、満洲国軍を実戦の戦場に送りこんだ。
  • 天皇崇拝
    • このほか満洲国では日満一体化を推しすすめるため、昭和十五年の「紀元二千六百年」を記念する満洲国皇帝の訪日を機として首都新京に天照大神を祭神とする建国神廟が創建され、中国人に対しても参拝が強制された。
  • 太平洋戦争の開始
    • 昭和十六年十二月太平洋戦争が開始されると、満洲国は全力をあげて日本の戦争遂行に協力することを誓い、鉄・石炭・軽金属・農産物の対日増送に重点をおく戦時緊急経済政策を発表した。しかし満洲の経済開発は資金・資材・労働力の不足などあらゆる面ですでに行きづまっていたため、同年末に策定された第二次五ヵ年計画も情勢の急変により国策としては決定されず、日本側の要求によってそのつど計画目標が定められることになった。その結果満洲国では計画的な産業開発の促進はもはや不可能となり、もっぱら鉄・石炭・農産物の対日供給量を確保するための経済的収奪が先行し、満洲経済の衰退を早めた。
  • 強制動員
    • また深刻化する労働力の不足を解消するため満洲国政府は昭和十七年に国民勤労奉公法を制定し、翌年から民衆の強制動員によって編成された国民勤労奉公隊を各地の軍事施設や重要産業に送りこんだ。国民勤労奉公制は先に実施された徴兵制とならんで人民総服役制の双璧をなし、その実施は満洲国におけるファッショ的人民支配の確立を意味していた。
  • 大戦の敗勢と生産計画の破綻
    • しかし太平洋戦争の戦局が日本の敗勢にむかうと、満洲国の戦時体制はあらゆる面で深刻な矛盾を露呈するに至った。資材の不足と輸送力の減退は各種の生産計画を破綻にみちびき、特に昭和十九年七―九月の米軍機による鞍山空襲は鉄鋼生産に致命的打撃を与えた。また対日増送のための農産物蒐荷政策は行政権力を総動員して遂行され、昭和十七年以降大幅に引きあげられた目標量を達成する成果を収めたが、せっかく蒐荷された農産物も輸送力や保管施設の不足のため、鉄道沿線や積出港にいたずらに野積みされる一方、農民の生活は窮迫の一途をたどった。
  • 関東軍の弱体化
    • 戦局の悪化はさらに日本の満洲国支配を軍事的に支えてきた関東軍の弱体化を招いた。関東軍は昭和十六年七月に実施した関特演(関東軍特種演習)をつうじて一時は約八十万の大兵力を擁したが、十八年以降、戦局の悪化に伴って精鋭部隊がつぎつぎに南方作戦に抽出転用され、もはや対ソ戦にも満洲国の防衛にも任えられなくなった。そこで大本営陸軍部は昭和十九年九月関東軍に対して、対ソ戦を極力回避しソ連参戦の場合は南満洲北朝鮮の山岳地帯に立てこもって持久作戦を行うことを命じた。関東軍はこの命令に従って新たな作戦計画をたて、翌二十年三月国境地帯の第一線部隊を南満洲方面に後退させたが、この移動は対ソ防諜を理由に厳重に秘匿され、北満洲地方に多く入植していた日本人開拓団の農民や一般の民間人は置きざりにされた。
  • ドイツ降伏後
    • 同年五月ドイツが降伏し、すでに日ソ中立条約の不延長を日本に通告していたソ連が参戦する可能性が強まると、関東軍は弱体化した戦力を補うため、同年七月から八月にかけて在満日本人男子のうち約二十五万人の「根こそぎ動員」を行なったが、装備すべき武器はすでに底をついていた。
  • ソ連の対日参戦と満洲国の解体
    • 八月八日ソ連は日本に宣戦を布告し、ソ連軍が一斉に国境を突破して満洲に進攻を開始すると、関東軍は総崩れとなり、満洲国皇帝と政府要人は鴨緑江下流通化省大栗子に落ち延びたが、日本の無条件降伏後の八月十七日、満洲国は解体を宣言し、十四年にわたるその歴史に幕を閉じた。