前回の博物館学の演習の授業で、先住民族の自文化展示が議題となった。
質疑応答の際、「先住民は、自文化展示をすることで、誰に何を伝えたいのか?」という質問をした。
報告者の回答に対し、私は明確な理解を示すことができなかった。
(※教授は、和人目線によるアイヌ展示とアイヌ自身によるアイヌ展示を比較することで、認識のギャップに気づけるとコメント)
それ故、先住民族による自文化展示について探究すべく、北海道博物館(公式web)を訪ねた。
北海道博物館の展示と学芸員の方のおはなし
- 展示概要
- 展示は5つのゾーンに分かれており、前近代、アイヌ文化(近現代)、近現代、現代、自然系の5つである。普通、展示経路を順々に回るのが筋なのであろうが、アイヌ文化展示から見ていくことにした。ここでは現代におけるアイヌ民族の子どもが宿題で「家族の歴史を探ろう」というテーマを調べるという体裁をとって展示している。このゾーンは、アイヌ目線でアイヌ文化を展示するものとなっているので、まさに先住民族による自文化展示なのだろう。明治において和人が自分に都合の良い目線でアイヌ民族を観光資源にした絵葉書などの展示のキャプションに、アイヌ民族の子どものキャラクターが好ましくないと所感を述べているシーンを用意するなど、かなりアイヌ民族の自文化展示を意識していると言えよう。その他、アイヌ民族のムービーなどが自由に見られる機材が置いてあったので、片っ端から見て来た。
- 伝統文化をミーハー的エンタメ目線で観光資源として消費する行為について
- やはり自分にとってアイヌは漫画の影響が大きく(『ゴールデンカムイ』を始め『シュマリ』や『シャーマンキング』のホロホロなど)、ミーハー的エンタメ目線がどうしても抜けない。ツルを模した舞やイオマンテの儀式など、アイヌ民族の真摯な伝統祭祀のムービーや展示に対し、ハッハーこれ『ゴルカム』で見た!とかいう反応をしてしまう。あー!!アザラシ!!!これアシリパさんが棍棒で殴ってた!!ふぇぇ〜〜とかテンションが上がってしまって本当に申し訳ない限りである。
- 民族文化の継承を娯楽的記号的な消費の対象としてしまうことについて皆さまはどう思います?無関心よりは伝統継承とか認知度向上に役に立つじゃん!とかいう意見もありますが、安易な見世物的消費に陥ると、アイヌ民族の伝統が消費アイテムの一種になってしまう危険性があるかと思われます。アイヌ民族の方々は、北海道にいる入植者ですらない本州の和人に、ミーハー的エンタメ目線で観光資源として消費されることをどう思っているのでしょうね?
- 中近世の展示
- アイヌゾーンがアイヌ目線に基づく自文化展示だった(アイヌ民族自身が展示しているかどうかは謎だが、配慮していることは間違いないであろう)ので、他の展示はどうなのだろうと興味津々で他のゾーンを回る。しかしゾーン1の前近代北海道史における中近世の扱いはどうだったかというと・・・従来通り和人から見たアイヌ観やねん!!蠣崎氏から始まり、コシャマインの戦いに武田。豊臣氏への帰属、江戸初期の商場知行制、移行した場所請負制とアイヌ民族の搾取、クナシリメナシ、明治近代における和人の入植、北海道の開発へという流れ。
- 中近世における展示はやはり日本人目線によるものだったので、【☆質問大歓迎☆】を掲げている情報デスクのお姉さんのところへ行く。「先住民族による自文化展示について、ゾーン2ではアイヌ目線による展示なのですが、中近世はアイヌ目線の展示ではありませんでした。他の博物館で、中近世における展示をアイヌ目線で行っているところはありますか?」と。完全に軽い気持ちで聞いたのだが、なんと学芸員が召喚されてしまった。
- 学芸員の方のおはなし
- アイヌ民族の自文化展示を見られる場所
- アイヌ民族による自文化展示を行っているところは2ヵ所ある。一つ目が北大植物園のまえのビル、これはアイヌ協会が展示したもの(公益社団法人 北海道アイヌ協会)。二つ目がニブタニという地域にある、アイヌの方が個人収集したものを展示している方の資料館(萱野茂 ニ風谷アイヌ資料館 | 平取町オフィシャルサイト)。前者は展示をしたのは和人であり、アイヌ民族による自文化展示とはいえるかは微妙。展示されたのも70年代の価値観。一方で、後者はアイヌ民族が取り入れて来た文化もありトラクターなどもあるとのこと。
- 2020年の国立アイヌ民族博物館(ウポポイ(民族共生象徴空間) NATIONAL AINU MUSEUM and PARK)
- 史料的制約
- 歴史を扱うには必ず根拠が必要であり、好き勝手に歴史叙述を行ってはいけない。複数の史料に基づき事実を積み重ねて、実証しなければならない。しかし、その史料に制約があるのもまた事実であり、中近世における文字史料は和人によるものしかない。アイヌ民族は文字記録を残しておらず、どうしても和人の史料から歴史を描くしかできない。そのため、ある種、教科書通りの流れとなってしまう。しかし、北海道博物館は展示に工夫している。その他の博物館では13世紀にいきなりアイヌ民族が登場したように見えてしまう。これが右派の日本単一民族国家説の根拠となってしまっている。アイヌ民族は先住民族といっても縄文文化までは同じだし、続縄文文化・擦文文化・オホーツク海文化って言っても日本民族が分化しただけでしょ?とか言われることになる。そこで、北海道博物館は、アイヌ民族がイキナリ出現したのではなく、歴史の流れの中で独自の文化を形成し、明治期になってアイヌとして和人に見なされるようになり、抑圧・差別される過程を提示している。
- アイヌ民族の自文化展示を見られる場所
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