今回のヘリテージツーリズム論演習は、前回の巡検を踏まえ「札幌市街地においてアイヌ文化を観光資源とするにはどうすればよいか」を議論するという内容。
- 余談メモ:東北のアイヌの地名
- 最終課題は札幌でない地域を取り扱っても良い。例えば、東北地方にもアイヌ名の地名があるが、北海道のものとどのように違うのか、比較の対象となる。
議論「札幌市街地においてアイヌ文化を観光資源とするにはどうすればよいか」
受講生たちの意見
- 先端ガジェットについて
- 先端ガジェットを使いこなせていない。ミナパのパネルで観光客がレーザーディスプレイの使い方を理解していない。それをレクチャーする必要がある。ガジェットを使う場合、それが壊れている可能性がある。メンテナンスやインストラクションも必要でコンテンツの予算をかけねばならない。
- 解説員や案内員の設置について
- 情報の発信がなされていないし、解説員がいない。かでる2・7の展示室は無人だった。アイヌグッズ販売場所はポータルとなる公式サイトが存在していない。ヒトに予算がついていない。昔はかでる2・7にも解説員さんが常駐していた。つだのぶこ先生(アイヌ女性ではじめて博士号をとった)。
- 置いてあるだけ問題
- アートやパネルなど、ただ設置されているだけで、放置状態となっている。地下街のところの作品は、ホテルの下にあった。普通の人はあまり気づかないし、入れない。
- 駅の利用
- 駅の名前をアイヌ語でサブタイトルにすれば?香港の地下鉄駅は駅ごとに特徴がある。人々は地名と駅の飾りを撮るために訪問する。
- アイヌ文化のプロモーション
- なぜプロモーションを採用しないのか?知名度のないものに注目してもらうためにはAIDMAの法則を利用すればよい。パフォーマンスが行われているところでアイヌのパフォーマンスなどをするべき。人の注目を集めることが重要。商業化、パフォーマンス化は問題があるが、考えるべき。動的なパフォーマンスの重要性。プロモーションがうまく行っていない理由を考えるべき。
- 実現しなかったプラン
- 地下鉄、飛行機の案内でアイヌ語を言う案がだされたが、日高のバス路線でしか実現していない。NZの航空機はマオリ語を使用する。日常のなかでアイヌ語を使用するべき。
- 札幌駅のアイヌ像
- 人や解説員はコスト高。札幌駅のアイヌ像を、新宿駅のハチ公のように、待ち合わせ場所としてのモニュメントなどにする。
- 動線など
- ①駅、人の動線を考えていない。柱のところに展示があっても、誰も見ないのは当たり前。
- ②ミナパ1 空間の目的が複数あるのはいいこと。別の目的で行ったらアイヌがあった。敷居を低くする。→
- 教授からのお言葉「インシデンタルツーリズム」☆アイヌ文化を目的としていない人々がアイヌ文化に触れる→興味を持つ/目的ありきのツーリズムではなく、一般大衆をどのようにして巻き込むか。
- ③ミナパ2 「もったないところ」。アイヌ語が流れて来ても、意味が分からない。字幕とかがあったほうがよい
- ④北海道でやった方がいいこと 駅の表札でアイヌ語表記にする 平岸駅→ピラケシ等
- トイレの利用
- トイレに貼るのはどうか?中国の個室トイレには液晶のテレビがある。
- 西武鉄道のトイレの通路。西武鉄道はすすんでいる チャレンジしている会社
- 観光政策として到達点ははっきりしていない
- AIDMAの最後のアクション。何を目的として接してもらうのか。何に繋がるのか。目的がはっきりしていないマーケティング活動。到達点はどこなのか?
- アイヌ先住民研究センター
- 【教授の御言葉】→アイヌ民族の文化を盛り立てよう!→それに対する批判、国に対する批判がかなり多い。10年前なら現在のように先住民を観光資源として扱うツーリズムの授業など反対が多すぎてできなかったであろう。
- アイヌフォント
- ロンドンや香港のメトロのフォントを参考にし、フォントを改善する必要がある。アイヌフォントで興味を持ってもらう。
- 教授から出た問題点の指摘
- 民族がもつデザインや意匠のIPは難しい。民族が歴史的に持ってきた知識などは守れない。それをどうするのか。いろいろな国で取り組まれているが、文化人類学のテーマとなる。北極圏のサーミの人々は80年代から問題か発生してきた。サーミの意匠を先住民じゃない人々が商業化してしまったのだ。民族評議会で商標登録をし、サーミ族の印をつけた 。そしてマーケットの判断にゆだねる。先住民と知的財産の問題点はまだある。アマゾン川の先住民が持っている薬草の成分の知識を、大手製薬会社が勝手に使って金儲けしちゃった!どうすれば彼らの収入源になるのかを考慮する必要があり。
- 民族の意匠
- 「自分たちの」というが、アイヌの方にとって「自分たち」という帰属意識は複数存在するのではないか。アイヌが「ひとつ」になってはじめてその先がある。民族の総意を代表して発言できる組織がない。アイヌ協会は難しいし、地方差もある。次のステップではNZみたいにどこまでをアイヌと認めて保障するのか。全く考えられていない。国家・共同意識がない
教授によるこれまでの研究人生の紹介
- 修士論文は主に植民地統治下における建築について 武漢の租界など
- 帝国主義下の植民地における治外法権のエリア。それぞれの国が建てものを立てていった。当時の帝国主義列強が建てた建物を中国の人々がどう使っているのか。都市空間論的アプローチ。日本と比較する研究。日本人が現地で調査をするのは難しいので武漢市の都市計画課のみなさんと協力した。原住民が手伝ってくれる。街を歩いて調査し、ロシアが植民地支配で生み出した都市空間が今どうつかわれているかをインタビューする。道路にたちながら道路の使われ方を見る、記録をする、民俗学の調査をしていた。8月にやっていた。M1の夏休みの時にやったのであまりにも暑い、原住民が水をくれる。最終日近くになるとビールを飲むような仲に・・・
- フィールドワークは現地の言葉でやれ。参考文献は見ない。
- フィールドワークをやるにあたって、現地の言葉できちんと調査をするようにしなさい。現地に行く前に参考文献を読むのはやめなさい。事前知識があると偏見が生じる。参考文献よりも正しい答えは現場に或る、昔残っているものがどう使われているのか?
- 博士課程へ
- 就職するが有給休暇を使ってオーストラリアのケアンズまで行くなどの生活を送っていた(教授になってからは2泊3日でバンクーバーに行ったことがあった)。仕事を辞めた後に放浪の旅に出る。中国南部をウロウロしていると、民族や国家とは何かについての疑問が生じてくる。ナシ族について博士論文を書くことに決める。
- ナシ族と観光
- 雲南省、リージャンは観光地化していった。街が変わっていった。観光によって街がどう変わっていったのか?『世界遺産と地域振興』という本が出ている。97~98年、中国国内旅行は活発化しておらず、バックパッカーばかりであった。その記録を発表していった。地元に仲間を作って行う調査。北京大学の仲間とやった。雲南大学とか地元の政府とかと一緒に調査をする。共同発表のような形。みんなでやってみんなでシェアする。協力してもらえた。
- ローカルルールの変化
- 川で洗って野菜を食べており、そこには地元のルールがあった。朝は野菜、食器は昼、夜は洗濯。観光地化によって外部から来た人々により文化が変わっていく。
- 民族衣装の着用率が高い。なんで→地元の政府が新しい衣装を開発している。機能性をいかした新しい衣装をデザインしましょう。
- 統計データについて
- 文化の継承や新しい開発について、統計データがなかった。旧市街地のデータを全部調べた。従来の居住者が消えて、新しい人が入ったことを数字で示す。昔の景観と今の景観がどのように変わっていったのか。手に入る資料で変化を追う。
- 外部から来た人たちによる文化変容が悪いわけではなく、彼らもまた一生懸命生きているのだ。
- あくまでも現象を指摘しただけで価値判断には触れず。外部から来た人も一生懸命生きているだけなのだ。アンケートを取ると地元のナシ族からは全部断られる。外から来た人たちは置いてくれた。外から来た人は仲良くしてくれる。なんで?と聞いたら、おまえも外部からきた人間だろ?と言われた。みんなそれぞれ生活している。あくまでも現象は現象
- 建築物は残るが伝統的な生活は失われる
- 原住民は旧市街地の自分の家を貸し、新市街地に家を作る。世界遺産を何のために登録したんだ?という問題の発生。もともとの人たちの生活や文化は失われていった・・・集落では新しい家を作るとき近所の人たちに頼んでいたが、次第に大工に頼むようになる。現地には大工などいなかった。それゆえ隣町の大工に頼むと、隣の建築様式に変化してしまう。
- まとめると町並み保存は大事、だが、文化や生活は失われる。人間が暮らしている空間は生き物なので、全体として見て行かないと結局は上手くいかなくなる。木材も足りなくなってくる。家を改修するのにお金がかかる。世界遺産を保存するにはこれだけのお金がかかる。--雲南では森林保護プログラムや地元政府から手伝いの要請もこなした・・・大きなテーマは個人ではなく、良い仲間とやっていく。
- 外国の事例研究で生み出した理論をどのように当てはめるか
- 中国のナシ族の観光を日本の北海道の観光にどのように活かすか。建築、民族文化など、アイヌに当てはめるとどのようなことがいえるか?