Heritage tourism(013-A part)【予習・下調べ】「先住民族を観光資源として利用することの問題点~所謂「観光アイヌ」について~」

現在受講しているヘリテージツーリズム論演習では、「先住民族の文化継承を目的としたツーリズムの在り方」が特に重要視されている。

  • 2020年アイヌブーム
    • 北海道では2020年にオープンするウポポイ(民族共生象徴空間)を始め、ゴールデンカムイのコンテンツツーリズムなどでアイヌの観光資源化がブームとなっている。

  • ポジティブアイヌとそれに対する批判
    • 従来のアイヌ像ではなく「カッコ良いアイヌ文化」を全面に押し出し、アイヌ文化の継承に役立てようというのだ。こうしたアイヌたちのことを「ポジティブアイヌ」という。しかしながら、アイヌたちにもジェネレーションギャップや考え方の相違があり、このような「ポジティブアイヌ」を許さない風潮があることも認識しておかねばならない。

  • 観光アイヌ
    • 和人によるアイヌに対する酷い差別は現在にもあり、迫害の対象となって学校空間から排除されてしまう。学歴社会にアクセスできないため、結果として貧困に喘ぐようになり、自らの文化を切り売りしてカネを得なければならない。そのためアイヌの人々の中には、観光に対するマイナスイメージがある。アイヌ文化を観光資源化しようとする「ポジティブアイヌ」に対しては「観光アイヌ」と呼称し、否定的な立場に立つのである。
    • それゆえ、ここでは北海道新聞の記事において「観光アイヌ」に関し、どのような言説があるのかまとめることとする。

「<天はあおあお 野はひろびろ>新法とウポポイ 清算されぬ民族の歴史」北海道新聞朝刊全道、2019年7月8日、13頁

〔……〕ニュースがどれも「民族共生象徴空間(ウポポイ)」に絡めて報じられることをどう考えればいいのか。数年前にそういうものが造られると聞いた時、違和感を覚えた。国が率先して予算を投入する巨大なテーマパーク。これをもって国が本気であることを万民に伝える。〔……〕しかしここは観光施設である。それが証拠に今から年間百万人の入場者などという数字が飛び交っている。所詮(しょせん)はお金の話。〔……〕これがいわゆる「観光アイヌ」の延長上にあるのではないかという疑いも拭えないのだ。インバウンド産業に組み込まれることにはならないか。

「<水曜とーく>アイヌ文化アドバイザー*アイヌ民族の歴史 理解を」北海道新聞朝刊地方(室蘭・胆振)、2018年1月24日 19頁

―2020年に白老町アイヌ文化復興の拠点「民族共生象徴空間」が開設され、アイヌ文化を観光に取り込む動きが加速しています。
「否定はしません。観光でアイヌの人たちが経済的に潤うようになればいい。だが、1970年代にアイヌ民族が自立を目指して運動した時に否定したのは『観光アイヌ』です。彼ら彼女らはずっと観光産業に利用されるだけでした。だからアイヌ文化を観光だけで捉えるのはやめようという運動が起きたのです。そういう歴史を踏まえた観光化なのか、はらはらします」

「<こころ揺らす>第6部 アイヌと観光の未来を描く*5*批判ばねに「光」築く」北海道新聞朝刊全道、2018年1月4日、26頁

 木彫りは独学で習得し、店頭で実演しながら販売。作品は飛ぶように売れ、「熊成り金」と言われることもあった。コタンは全国からの観光客でにぎわい、民族衣装のアイヌが記念撮影に応じたり、歌や踊りを披露したりしていたという。しかし、こうした姿がアイヌ民族の内部から「文化を金もうけに利用するな」「アイヌを売り物にするのは恥だ」などと批判の的になった。壬生さんは「当時は、批判はもっともだと思った。だが生きるために必要だった」と振り返る。

 世界的にも観光に携わる先住民族は、批判にさらされることがある。その生活や文化の異質性が観光の対象になる場合が多く、観光客の期待に応えようと、伝統的な姿を強調すればするほど異質さが際立ち、結果的に差別や偏見を助長する側面もあるからだ。

 〈白老駅付近にアイヌの部落がある、いかに暑くても疲れても、蝦夷(えぞ)の土を踏んだからにはその珍物を見ざるべからず〉

 これは1917年(大正6年)8月、白老町にあったアイヌ民族のコタン(集落)を紹介した全国紙の記事の一節だ。コタンの近くには「案内所」もあり、日常の暮らしぶりが観光の対象になっていたという。

 これに対し、一部のアイヌ民族は「差別を助長する」として観光に携わる同族を「観光アイヌ」と蔑視した。昭和初期に活躍した後志管内余市町出身のアイヌ民族歌人違星北斗(いぼしほくと)(1901~29年)は作品で激しい批判を繰り返した。

 〈芸術の誇りも持たず宗教の厳粛もない アイヌの見せ物〉

「<人に詩(うた)あり>「わたしのコタン*ムックリの音高…」、北海道新聞朝刊全道、2002年1月7日、33頁

 阿寒湖畔でアイヌ民芸の土産店を一人で切り盛りして三十年以上になる。幅二メートル、奥行き八メートルほどの小さな店にはムックリ、木彫りのペンダント、アイヌ刺しゅうの織物などが並んでいる。店は温泉街に宿泊客が出る夏場の夜だけ開く。

 「夏場の日中は週に二、三日、湖畔のアイヌコタンで観光客にアイヌ文化の解説をしています。観光アイヌと軽べつする仲間もいるけれど、観光があるからアイヌ文化が残っている部分もあるんです」

〔……〕阿寒湖畔で観光客向けのアイヌの舞を見た。涙がこぼれてきた。情けなかったからではない。懐かしさが次々とこみ上げてきた。「子供のころ、アイヌの言葉や踊りは人前では出してはいけないと教えられてきたから。でも、踊り、堂々とやっていいんだ。アイヌ語を使ってもいいんだ。そう思ったら…」

〔……〕一方で弟子さんはこうも書く。「(子供のころ、観光客が)窓からのぞきこんで、何を食べてるかとか、新聞読んでるよとか、ひそひそ話をして行くんです。(中略)大きくなるにつれて、バスが止まるとあわてて窓を閉めたりするようになりました」。そして、それは今だって、同じなのだ、と。

「<国立公園に生きる 阿寒60歳の再出発>4*アイヌの誇り*観光通し文化継承*8地区重文指定に貢献」北海道新聞朝刊道東、1994年8月12日、21頁

かつて阿寒湖畔のアイヌたちは、同じアイヌ民族から「観光アイヌ」と非難された時代があった。阿寒アイヌ民族文化保存会会長の床明さん(50)は、自信と誇りを持って言う。「アイヌであることを売り物にするな、と言われた。でも観光客に見せるからこそ、正確な踊りを伝承してこれた」-。

 観光客でにぎわう阿寒湖畔のアイヌコタン。ここにはアイヌ民族の民芸品店が軒を連ね、オンネチセ(大きな家)では、春から秋の観光シーズン中、アイヌ古式舞踊を一日六回、公演している。国立公園指定後、観光地として急成長する阿寒湖畔に、道東各地のアイヌが職を求めて移り住んだ。