日満関係史フィールドワーク(2)「【探訪】旧大日向村(現:長野県南佐久郡佐久穂町大字大日向)」

佐久穂町で国策映画を見て来た話。

探索・調査

  • 【探索】国策映画『大日向村』を求めて
    • 満蒙開拓平和記念館において「大日向村」の特集を見る。大日向村は当時分村移民のモデルケースとして和田伝の小説をもとに国策映画や国策紙芝居が作られた。それらを視聴した当時の人々は満洲大日向村(吉林省舒蘭県四家房)に視察旅行に行くようになり、観光資源となった。つまり昭和戦前期においてコンテンツツーリズムが成立していたのである。(もう一つの有名な戦前期のコンテンツツーリズムは漱石の『満韓ところどころ』。)国策映画『大日向村』は大いにもてはやされたとのこと。以上により国策映画『大日向村』を視聴しなければならないと思い立った。
  • 【調査】国策映画『大日向村』を見るにはどうすればよいか?
    • とりあえず郷土のことは図書館に聞けという鉄則で電話をかけることにする。旧大日向村は現在の行政区分では長野県南佐久郡佐久穂町に編成されているので佐久穂町の図書館に問い合わせ。答えて曰く、図書館に隣接している公民館が所有しているとのこと。続いて公民館と連絡を取ると、当時の16ミリフィルムそのものはテープ劣化のため放映できないが、戦後当時の映画を再編して販売されたVHSならば(正当な理由があれば)閲覧の許可を出せるという返事。所属と身分を告げ、義勇軍の関係者であることを説明すると許可が出る。約束の時間を取り決め、現地へと車を転がした。

視聴 国策映画『大日向村』(東京発声映画製作所、1940年)

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  • 寄生地主制・人口過剰・土地不足
    • 戦前の日本の経済問題として挙げられるのが寄生地主制・人口過剰・土地不足。寄生地主制により日本農民の多くは小作として零細農民化して苦しんでおり、人口を吸収できず土地不足に喘いでいた。それ故、この余剰人口を移民として送出することが唱えられていたのであった。大日向村もそれの例外ではない。山間の村であるだけに、その問題も顕著であった。土地が少なく炭焼きと蚕による貨幣経済に依存していた大日向村。昭和恐慌で生糸の値段が暴落すると炭焼きを増産するしかなくなる。それ故森林伐採が進み、原木がなくなってしまった。さらに炭焼きはすぐに現金化することができない。ゆえに掛買いをすることになり負債が膨らんでいく。働けば働くほど借金まみれになるのである。この経済システムの背景にいるのが油屋であり、炭焼きの集荷、販売から日用品の販売まで一挙に行い、負債を抱えた人々は資本主義に隷属することになるのである。ついには村税を回収できず破綻するのであった。

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大型機械化農業・肥料無し

  • 満洲への視察旅行の様子 大型機械化農業
    • 破綻した大日向村を救うため、満洲へ分村移民を出すことになる。その際、堀河清躬が実際に満洲へ視察旅行をすることになる。では映画ではその旅行で何が提示されたか。移民村が映し出されるのは勿論だが、そこで強調されているのが大型機械農業。トラクターによる広大な面積の農業経営の様子が大々的に見せつけられるのである。
  • 視察旅行後の報告会 ~肥料無しで大粒の稲穂・日清日露の血脈の地~
    • 堀河清躬は満洲視察旅行を終えて村人へとその報告を行う。そこで堀河氏が示したのは、満洲でとれた農産物と土であった。満洲では「肥料無し」で豊富な農産物がとれることが強調され、大粒の稲穂が映し出されるのである。そして肥沃な満洲の土が扱われるのだが、ここで本当に満洲の土かよと茶々入れが入る。これに対し、息子を日露戦争で亡くしたお婆さん役の人が泣き崩れ満洲の土地は血で贖った日本人の土地であるので肥沃であるとのナショナリズムが炸裂する。このお婆さんの演技は非常によくできており、お国の為に満洲移民に行きたくなってしまう効果が十二分にあると思われる。

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村を挙げての送出シーン

  • 村を挙げての送出
    • 村長の浅川武麿の手腕により分村移民の計画が進むが、劇中ではそうすんなりいかない。立ち塞がるのは油屋の債務問題であり、借金を踏み倒されると思った油屋は陰から妨害を図ってくる。分村移民で余剰人口を追い出した後は、余った耕地が拡大できる云々と甘い声で囁くのである。そんな中、村人に満洲行きを決意させる原動力となるものが二つ出てくる。一つ目は村娘の自殺。病気により自分が重荷となったことで家族が満洲に行けないことを嘆いた少女が感動的な遺書を残して死ぬのである。二つ目は老婆の移住の覚悟。89歳のお婆さんが家族と共に満洲に行くことを決意することで、満洲行きを渋る周囲の人物を奮い立たせるのであった。そして最後は送出の日が描かれて幕を閉じる。割れんばかりの歓声と万歳三唱のもとで華々しく満洲へと向かうのであった。

聞き取り・巡検

  • 【聞き取り】地元郷土史家先生のはなし
    • 当時、母村:大日向村への視察が殺到した。
      • 公民館でVHSを借り佐久穂町図書館で閲覧した後、地元郷土史家からお話を伺う。そこで興味を惹かれたのが、大日向村の母村への視察。満洲吉林省舒蘭県四家房の「大日向村開拓団」に視察旅行者が多く訪れていたのは知っていたが、日本にある母村の大日向村にも多くの人々が現地訪問に来ていたのであった。当時の訪問者のリストが作成されており、分村移民のモデルケースとして全国に注目されていたことが分かる。
    • 国策紙芝居『大日向村』
      • 和田伝の小説や東京発声映画製作所による国策映画は有名だが、メディアミックス展開として国策紙芝居もあるとのお話も伺う。当時の国策紙芝居を整理体系化した研究書『国策紙芝居からみる日本の戦争』(勉誠出版、2018年)をもとに、国策紙芝居『大日向村』の解説を色々と聞く。
    • 当時の報道として利用されるのが『アサヒグラフ』。新聞記事は大日向村の疑獄事件の報道に良く使われているような印象。
    • 堀河清躬の満洲視察旅行
      • 映画の中でも堀河清躬が満洲に視察旅行に行くシーンが登場するが、視察旅行の手記を見たことがあったとのこと。地元郷土史家先生の話では、堀河清躬が満洲に視察した際、白系ロシア人の女の子からサインをもらった話や、中華料理をごちそうになったことが書かれていたという話であった。それなりに旅行記や紀行文に目を通したが、純粋に目的の視察だけしているのではなく、満洲に行ったからには周辺の観光資源も観ていることが分かる。
  • 巡検】旧大日向村を走る 国道299号を行く
    • 図書館が閉館するまで地元郷土史家先生の話を伺った後、旧大日向村を車で流した。大日向村から群馬県上野村へと通ずる十国峠は冬季封鎖されていたため、そこまで国道299号線を遡り、そしてまた戻った。川を挟んだ断崖絶壁に家々や畑が張り付いているような感じであり、当時の分村移民を偲ばせる雰囲気であった。