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満鉄発行のグラフ誌『満洲グラフ』において映画に関する記事はどのような内容だったかを分析していく。
「総務室弘報課映画製作所」(『満洲グラフ』第8巻第3号(通巻68号)、1940年3月号)
満鉄の総裁室弘報課映画製作所の事業紹介。
- 日本に於ける映画法の制定
- 「劇映画」の他に「文化映画」の分野を取り上げる。
- 「文化映画」とは?
- 「〔……〕学術、芸術、産業、技術、教養、娯楽、風俗、習慣、行事、其他の都会や田舎における人工、或は自然の景観等「文化」と呼ばれている諸形態の文化現象や自然現象を映画化するものである」
- 「文化映画」の構成
- 文化映画の「各個の挿話は必ずしも発展する必要がない。それ故、関連のない各個の挿話を、作者の社会的意図の下に組み立てて、はじめてテーマが展開し得る」
- 満鉄と映画組織の変遷
- 代表作
- 満鉄映画の作品数は二百本。「秘境熱河」と「草原バルガ」が優秀作品。特に「秘境熱河」は欧州各地で上映され好評。
- 音声
- トオキイ時代のため、東宝映画会社と結び、録音を依頼。
- 満鉄映画製作所の機構
- 企画係と製作係の二つに分かれる。社内各所から製作依頼に接した場合、企画会議を開いて製作一切を審議の上実子に移す仕組み。
「まんてつ・えいが 新作紹介」(『満洲グラフ』第8巻第5号(通巻70号)、1940年5月号)
昭和14年度最後の作品で完成を急いでいる映画の紹介。
『少年拓士の日記』
- 製作の背景
- 拓務省開拓民を描いた『広原児』及び鉄道自警村拓士を描いた『開拓突撃隊』に対してあまりにもご都合主義であるとの批判が寄せられる。
- 「あの映画を見てゐると、開拓地の事情があんまりうまく行き過ぎてゐる。全く何も彼も結構づくめだ。入植匇々である、まだ二三年にしかならないではないか、あんなに作物が豊穣だとは受取難い。苦難もあらうに、それが少しも描かれてゐない。やつぱり都合の悪いものには蓋がしてあるらしい。例へば極寒30度と聞く、あの恐ろしい冬をどうして暮らしてゐるのだろうか」
- 拓務省開拓民を描いた『広原児』及び鉄道自警村拓士を描いた『開拓突撃隊』に対してあまりにもご都合主義であるとの批判が寄せられる。
- 満鉄側の弁明
- 開拓民は確かに大変であるが、続かなかった人は開拓民としての敗北である。これまでは敗者の生活ではなく、希望に燃える明日の開拓団を描いた。
- 「何んにも隠しては居りませぬ。一望荒涼の平野、ここに足を踏み入れた当座はさぞかし思案に暮れた人達もゐたでせう、また根気負けして日本へ逃げ帰つた人達もゐたでせう。高粱飯にまゐつた人もありませう、併し、それらの人たちはお気の毒ながら開拓民としての敗者です。〔……〕従つて、私達は敗者の生活を描くよりも、希望に燃える明日の開拓民の姿を描いたのでした。」
- 開拓民は確かに大変であるが、続かなかった人は開拓民としての敗北である。これまでは敗者の生活ではなく、希望に燃える明日の開拓団を描いた。
- 『少年拓士の日記』の特徴
- 「少年諸君を何一つ隠すところなく、表と裏とから描いて見ました」とあるが、少年たちが苦労に打ち克つ美談としての側面が前面的に押し出されている。裏の側面の事例として屯墾病と凍傷が挙げられる。だが屯墾病は勇壮さが寂しさに打ち克つことで少年の心が蘇生していくように描かれる。そして凍傷は必ず誰しもがかかるものだが、雪でもんで克つと語っている。