「新京の観光について」(『新京の概況』新京商工公會、1942、106-112頁)

京商工会から発行された『新京の概況』は建国10周年を記念として出されたものであり、「新京の観光について」という章立てが存在する。新京観光の意義、観光バスのすすめについて述べた後、各項目を立てて、それぞれの観光資源の説明を施している。その観光資源は以下の通り、「新京駅」、「中央通」、「日本橋公園」、「新京神社」、「児玉公園」、「大同大街」、「忠霊塔」、「大同広場」、「護国般若寺」、「宮廷御造営地」、「孝子廟」、「大馬路」。

新京観光

  • 新京観光の意義づけについて
    • 「新京が満洲国の心臓であることは、今更云ふまでもない。振興満洲国の政治、経済、文化あらゆる分野の動向は、新京において完全にこれを看守することが出来る。その意味において新京を知ることは、満洲国全体を知ることであるともいへる。」(106頁)
  • 観光バスのすすめ
    • 「最も手取り早く観光の目的を果たすには、新京交通会社の観光バスを利用するがよい。約3時間半の短時間と金3円の料金で、国都を1週(ママ)するばかりでなく、新京に関するあらゆる常識を得ることが出来る。殊に車の乗心地は申分なく若く美しいガイドガールの説明は何人にも好感と満足を与える。満人のためには満語観光バスがある。」
    • 「(日語コース) 駅前-新京神社-児玉公園-忠霊塔-西広場-寛城子-日本橋通-宮内府-清眞寺-大同広場-協和会-経済部-南嶺建国期-南湖-国務院-宮廷造営地-興安大路-三中井又は宝山-駅前」

新京における各種観光資源概要

  • 新京駅
    • 「新京駅の沿革は、そのまま新京発展史である」として、東清鉄道の長春以南の接受から現在の駅舎の建設、満洲国の建国と新京への改称が述べられている。
  • 中央通
    • 駅前の広場を起点に、日本橋通り(左)、中央通り(中)、敷島通り(右)が放射状に走っており、中央通りは大同大街に接続する。満鉄支社、ヤマトホテル、新京神社、児玉公園などがある。
  • 日本橋公園
    • 駅前広場の放射状の三筋の大道のうち日本橋通りを進むと日本橋公園がある。正門には向かい合う銅製の怪獣、園内には附属地買収時代の記念の建物、創業館がある。
  • 新京神社
  • 児玉公園
    • 満洲開発の始祖児玉大将の偉勲を紀念する為、「西公園」を改称したもの。中央に潭月池を湛へ、野球場、陸上競技場等がある。
  • 大同大街
    • 「新京の背髄」。新発路から大同広場に至る間は大興ビル、大徳ビル、満洲鉱業ビル、ニツケビル、海上ビル、康徳会館、三中井百貨店、東拓ビル等の近代の大建築が林立し壮観を呈する。
  • 忠霊塔
    • 「ニツケビルと康徳会館の間、北安通を西に進むと高く聳ゆるものが忠霊塔」。
    • 「東洋平和のため満洲の土を鮮血に染めた護国の英霊を祀る忠霊塔こそ、新京に来往する人々の第一に訪つて敬虔な祈りと感謝の念を捧げねばならぬところ」。
  • 大同広場
    • 「国都の中心」。新京特別市公署、首都警察庁中央銀行満洲電々等の大建築がたち並ぶ。文字通りの市政の中心・経済の中心。
  • 護国般若寺
    • 大同広場から東北へ向かう長春大路を一寸入るとある。臨済宗の寺。門、仏殿、鐘楼、鼓楼が丹碧に彩られて頗る美しい。仏像は燦爛で満洲らしい寺。
  • 宮廷御造営地
    • 「新宮廷の用地は南北二千二百米、東西約四百五十米、その面積は五十一万二千平方米で、南は興仁大路に面し他は東西両万寿大街によつて囲繞せられ造営予算約千四百万円、8ヶ年継続事業となつてゐる」。
    • 「なほ現在の皇宮は城内東五馬路に続く興運路の奥にあつて、恐れ多くも御質素を極めたもの」。
  • 孝子廟
    • 「王夢惺といふ孝子を祀つたもの」。大同公園の正門の前を少し行くと右側の道路上に存在する小高い塚か古墳のやうなもの。「旅人に奇異の感を与える」が「大同大街の建設に当つて特に取り残されたほど満人の信仰の厚い孔子廟」。
  • 大馬路
    • 日本橋通の先、朝日通入口の角の朝日座(映画館)を超すと、ここからが所謂商埠地大馬路街である。一名城内とも云ふ純然たる満人商店街である。」
    • 「三馬路から四馬路への角に満系百貨店最大の泰発台」
    • 「四馬路には同じく満系百貨店最新流行の品物を揃えてゐることで、その名を高くしている振興合が偉観を呈している」
    • 「四馬路の十字路から少し手前に右へ入る細い横町があつて、入口に「新民戯院」といふ看板が上がつていゐる。横丁を入ると新市場といふ所で、煙草やマツチのかけ売りからあらゆる食べ物屋、占師、薬売りなど店を並べて雑踏を極めてゐる。ここに入り口の看板の示す新民戯院といふ支那風の芝居があつて正午から開演してゐる。茶荘といつてお茶を飲みながら日本の講釈か、浪花節といふやうなものを聴く席も数件ある。若い女が卓上の太鼓をたたきながら三味線の伴奏で勇ましいところを一席やつてゐる風景なども見られる。」
    • 「四馬路を超すとすぐに左側に横丁があつて沢山の看板が弓型に上つてゐる入り口がある。狭い入口ではあるが中へ入れば縦横に道路が走つてゐて、古着屋から古道具屋、靴や帽子等の古物店が並んで非常な雑踏を極めている。」