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  • 越沢明『満洲国の首都計画』(ちくま学芸文庫、2002年)

    現在、中国の長春では満洲国時代の日本帝国遺産が観光資源となっている。
    それでは満洲国時代にどのように植民都市長春/新京が形成されたのか。
    満鉄付属地時代の長春満洲国時代の新京の都市形成過程を追うのがこの本の趣旨である。

    以下参考になった箇所

    清朝→民国の長春時代

    • 満鉄付属地の獲得と都市建設
      • 「満鉄は鉄道付属地の都市建設に創業当初から取り組んでおり、営業開始の3ヶ月後、つまり1907年7月に〔……〕長春奉天では実測測量に着手した。〔……〕奉天長春、遼陽 ー 既存の比較的大きな都市の近郊に設置された付属地。奉天長春では付属地と旧市街(中国人街)の中間区域に商埠地(開市場)が中国現地政府によって設定され、三種類の市街地によりモザイク状の都市が構成されることになる。〔……〕満鉄が都市建設に最も力を注いだのは奉天長春であった。〔……〕長春は一地方都市であったものの、日本とロシアの鉄道分割地点となり、その重要性が一躍増したため、大規模な都市建設を行ったのである。」(61-64頁)
    • 満鉄付属地と中国人市街
      • 「〔……〕満鉄は都市計画において付属地と既存の中国人街との連絡に注意を払っている。〔……〕長春においても付属地と城内を連絡する幹線道路が重視されている。当時、満鉄付属地はいわば中国領土内に浮かぶ陸の孤島であり、中国人街との連絡を断つような都市計画を実行したならば、付属地は発達せず、市勢は衰退し、満鉄の都市経営は成り立たなくなってしまうに違いなかった。」(81頁)

    満洲国時代

    • 長春が首都に選ばれた理由
      • 「第一に、旧勢力との関係である。奉天、ハルピンは長らく旧東三省政府、ロシア(ソ連)の政治的拠点であり、その影響力は無視できないものであり、これを嫌ったこと。そして、両都市とも地理的に南と北に偏っていた。また、吉林は満鉄と中東鉄道から離れており交通の点で不便であった。第二に、地価の問題である。長春はローカル都市であるため地価が安く、用地買収をして、都市計画を実施するのに有利であった。また、奉天、ハルピンは既成の都市であるのに対し、長春では新たに都市をつくり、首都建設を通して満州国という新しい国家の成立を内外に宣伝する政治的効果も配慮されたものと思われる。」(118-119頁)
    • 溥儀の宮殿と天子南面
      • 「新京は政治都市である。宮殿(正確には当時はまだ帝政ではないため執政府)は首都も最も重要な構成要素である。国都建設局側は、溥儀サイドの「絶対南面との厳たる申出」に沿って、宮殿の正面を南面させ、そこから直線道路を伸ばし、官庁街を配置する計画をたてた。これは中国の都城の伝統的な計画原理に従ったものであり、北京の紫禁城天安門の南に続く官衙街はその典型である。〔……〕これに対して満鉄経済調査会は中国の都城の原理にはとらわれず、地形等の関係から宮殿を南面させていないプランを作成した。〔……〕宮殿正面方向については、南面させるという国都建設局の主張が最終的に採用されている。」(124-130頁)
    • 新京と親水公園
      • 「雨水調整池は、今日の日本の宅地開発に伴って設置されるコンクリート製の無味乾燥な人工的な構造物(普段は空となっている)ではなく、新京においては自然の小河川が活用されている。すなわち、新市街を何本も流れる伊通河支流を堰止め、人工湖をつくり、そこに雨水を流し込んだのである。新京の都市計画において、このような小河川沿いの土地はボート、釣りに利用され、冬はスケートリンクとして利用される市民の休養レクリエーションの重要な施設となったのである。」(178頁)
    • 大同公園・牡丹公園・黄龍公園
      • 「大同公園の人工湖(碧波塘)の東側部分におけるボート遊びは〔……〕中国人(当時の用語では満系)を優先的に扱うことに決めた。この措置は中国人から好評を博した。大同公園、牡丹公園は中国人市民から特に親しまれていた。南湖公園は新市街の南にある最大の公園である。当初は黄龍公園(黄龍は皇帝を意味し、宮殿、順天大街、黄龍公園という軸線を考慮したものと思われる)と称したが、その後、公園面積・湖水面積とともに大幅に拡大されたものである(公園西部は従前通り、黄龍公園と呼ばれた)。南湖(水面96.8ヘクタール)は、安民大路の築造と並行して、高さ10メートルの堤防で河川を堰止め、誕生したもので、新京の都市景観に大きな変化を与えた。1942年の異常渇水にあたっては、浄月潭貯水池も枯渇したため、南湖の水を水道に利用した。このように親水公園は単に美観のためや、雨水処理のためのものではなく、非常水源の確保という都市の防衛機能ももっていたのである」(187-188頁)
    • 国都建設計画第一期事業の完成
      • 「国都建設計画第一期事業は計画通り完成し、わずか五年間という短期間で人口33万人を擁する近代的な都市が出現した。1937年9月、大同広場で国都建設記念式典が盛大に挙行されている」(192頁)
    • 児玉公園
      • 「公園の利用について、1940年5月6日(日曜日)の児玉公園(旧称西公園)を調査したところ、日本人と中国人の比は2対1であった。これは児玉公園が旧満鉄付属地にあることを考えると、中国人の利用者数はむしろ非常に多いといえる。これは上海の租界にある公園が「犬と中国人と立入るべからず」という立札が一時あったことに象徴されるように、欧米人のためのものであったことと好対照をなしている。」(215頁)
    • 満州国の政府官庁
      • 満州国の政府官庁は、新京都市計画の二大軸線(大同大街と順天大街)に沿って配置されている。特に順天大街には宮廷、政府庁舎、法院が配置され、その建築様式は一定のものに統一されている。このような官庁建築群は都市の"顔"をつくるものである。日本人が近代以降に手がけた都市計画で、都市の中心地区が一定の建築様式にもとづいて構成され、一つの政治的表現をつくり出している事例は新京を除いては存在しない」(238頁)
    • 新京の官庁の建築様式(興亜式)が確定された事情・要因
      • 「〔……〕満洲国の政治的形態、イデオロギーの反映である。満洲国は日本の満洲進出の産物で、日本の保護国あるいは傀儡国家であったことは事実としても、建前としては五族(日、漢、満、蒙、鮮)の民族協和を謳っており、官庁建築にはそれぞれが具現化される必要があった。そのため欧米の古典様式や国際様式(いわゆるモダン建築)を採るわけにはいかず、東アジアの民族性をなんらかの形で表現する必要があった。」(248頁)

    戦後

    • 建設途中であった日本の植民地建築(宮廷府)を中国が再開、完成させる
      • 「1945年当時、新京の宮殿は未完成であった(壁体まででき上っていた)。また宮殿から南に伸びる順天大街の官庁街で竣工していた庁舎建築は6棟のみであり、半分以上の区画は空地であった。1950年代初め、長春の当局は、順天大街(現・新民大街)沿いの建築を再開することにし、〔……〕未完成の宮廷政殿の工事を再開し、元の設計図を参照して完成させた(ただし二階建てを4階建てに改造し、長春地質学院として使用。瓦の色は漢民族の宮殿の色である緑色に変更した)。〔……〕現在、順天大街の空地に建てられた本建築は吉林省図書館のみであるが、その建築様式はかつての満洲国の官庁建築と共通している。」(286頁)
    • 現在の長春が「森の都」なのは植民地時代の影響か!?
      • 長春は「森の都」であり、「水と緑のネットワーク」と公園緑地系統(park system)が世界的に見ても高い水準で実現している大都市である。長春は中国国内でも緑が濃く非常に豊かで、都市の骨格的なインフラがしっかりとした都市として知られており、日本では仙台と姉妹都市を結んでいる。長春が緑豊かな都市として形成された第一の理由は、1930年代当初の都市計画がワシントンを凌駕すべく緑豊かな都市の実現をめざして着手されていたこと、第二の理由は、中華人民共和国において過去の都市計画の遺産(planning heritage)を大事に継承し、緑の都市づくりの思想を堅持し、発展させてきたからである。」(364-365頁)
    • 宮廷府は「地質宮」としてライトアップまでされる
      • 「文化公園の芝生はきれいに管理され、芝生内は立入り禁止となっており、ライトアップの対象である大学の校舎は通称、「地質宮」と呼ばれる長春のランドマークといえる建物であり、1930年代に新宮廷として建設が着手され、解放後の1950年代半ば、地質学院(科学技術大学の旧称)の校舎として建設が着手され、建物が豪華すぎると人民日報で批判されたという経験を持っている。」(369頁)
    • 南湖もランドマーク
      • 「市内最大の南湖公園は、長春にとって緑のシンボルであり、セントラル・パークである。満々と水を蓄えた南湖の周囲には樹林地が広大に拡がっている。南湖を堰き止めている堤防の柳は大きく成長しており、湖面ではボート遊びをしている。南湖を横断する南湖大橋(当初の木橋からコンクリート橋に架け替え済み)では市民が釣り糸を垂れ、樹林地にはリスなど小動物が生息している。」(369頁)
    • 長春と日本帝国旧植民地遺産
      • 「〔……〕神武殿(武道館に相当する)は建築家宮地二郎の設計による立派な建物であり、吉林大学の講堂、ホールとして使用されている。近年、長春市人民政府では、戦前の満鉄、「満洲国」の建築物であっても、優れたものは、歴史的な建築遺産、ランドマークであると考えており、保護建築の指定を行っている。神武殿も旧ヤマトホテル(現春誼濱館)などと並んで保護建築の指定がなされている。」(375頁)
    • 現・長春の観光スポット
      • 「現在、仮宮殿(偽宮殿)は歴史教育の場所として、長春におけるもっとも著名であり、真面目な観光スポットとなっている。〔……〕長春では全国的に知られた観光スポットがもう一つ存在する。それは、中国最大の映画スタジオ、長春映画撮影所(旧満洲映画協会の施設を利用)であり、数年毎の映画祭は長春で最大の全国的なイベントとなっている。」(380頁)