哈爾濱観光について指摘された点

近代植民地史の演習において哈爾濱観光について報告してきたが、そこで助言された点などをメモしておく。

  • 先行研究に対する関わり
    • 観光事業者側が提示した「教科書的な」観光(観光バスルート)と実際の旅行者が訪問した「逸脱」について
      • 観光案内・パンフレットで紹介されていない地域に旅行者が観光に訪れている。それは即ち、「事業者側が見せたいルート」から観光客が逸脱していると考えられる。そうすると、今度は逆に「事業者側が見せたかったもの」が浮き彫りとなる。つまりは観光客の「逸脱」的な旅行行動から、観光政策立案側の政治性を明らかにすることができるというのだ。従来の研究で明らかにされてきた「政治性」というものを別の形で補うことができる。官側が提示していた教科書的な観光(例えば観光バスによる定められたバスルートという政治性)が先行研究で注目されてきたが、旅行者の正規ルートではない「逸脱」からも、政治性にアプローチできるのではないか。

 

  • 複層的に絡み合った構造的な問題を意識
    • 哈爾濱の白系ロシア人のような事例はアイヌの観光にもあった。アイヌ文化を消費する事例。権力者が北海道に来た時にアイヌの伝統的な踊りが要望されると、普通のアイヌ民族を集めてきて躍らせるようになる。そうすると金銭関係が発生するようになり、白老駅周辺ではアイヌ民族による観光客に対する客引きなどが発生した。しかし当然ながらこれらの行為をよく思わないアイヌ民族もいて、アイヌ民族同士で対立するようになる。観光業に従事するアイヌを「観光アイヌ」とアイヌ民族が蔑視する。このようにして、アイヌ民族は観光業の中に組み込まれていく。哈爾濱における白系ロシア人の人々も同様であり、複層的な構造を持ったいたと思われる。そのため複層的な問題を単純化しすぎない。複層的に絡み合った構造を捉えることが出来れば意味がある。

 

  • 官側の目論見
    • 今回の報告では実際に満洲に行った旅行者の旅行記・紀行文の分析が中心であったが、官側の資料にも着目する必要がある。官側や観光事業者サイドも観光系の雑誌を出していた筈なので(JTBの『旅行満洲』や満鉄の『満洲グラフ』など)、それらに掲載されていた旅行記や紀行文が、満洲観光をどのように捉えていたかを考慮に入れる必要がある。官側の目論見と比較した時に見えて来るものがある。