雑録

MUSICUS!「来島澄」シナリオの感想・レビュー

音楽に固執し女のヒモとなり作曲を続けるが、堕胎を命じられた女は事故死してしまう話。
この√は花井三日月を捨てロックバンド「Dr.Flower」を解散した後の世界線
主人公は自己の音楽性を追求し作曲を続けるが他者を顧みず袋小路に陥ってしまう。
路上演奏で新興宗教に嵌っている孤児出身の中卒労働者を引っ掛けそのヒモとなる。
主人公は女から妊娠を告げられるが即座に堕胎を命じ、そして女は交通事故で死ぬ。
主人公は絶望するがそれでも作曲を続けることしかできない。
エンディングは孤独に作曲を続ける主人公がフェードアウトしていき幕を閉じる。

是清による芸術論の命題「絶対的な音楽というものは存在するか/聞き手がいて初めて音楽というものは成り立つのか」という問いに対し、絶対的な音楽を追い求めた末路の答え。

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  • 音楽というものは聞き手がいて初めて成立するものである。
    • このルートは三日月をソロデビューさせ、育てて来たバンド「Dr.Flower」を解散させ、孤独になってしまった主人公の末路を描く話である。ここで問題として挙げられるのが、音楽表現は他者がいて初めて成り立つというもの。結局、主人公は孤独に陥った結果、自己の表現したい音楽のみ追い求めることとなり、結果として他者に理解されなくなり、そしてまた孤独に陥るという負のスパイラルを繰り返すことになる。ここで不幸だったのは両親及びヒモとなる女を巻き込んでしまったこと。当初、主人公は孤独になってもその生活を自分一人で完結できていた。自分一人食わせる位の収入はあり、創作に倦んだら街へ出て路上演奏を行う。それで一生が終われば良かったのである。しかし、この路上演奏で女を引っ掛けてしまい、肉体関係を持ち、女のヒモとなる。以後、主人公は音楽/作曲のみしか活動しなくなる。これがいけなかったのかもしれない。ヒモになって他に何もしなくなったせいで、世間との交流はますます断たれ、親から金をせびるようになり、作曲もますます周囲とは隔絶されたものとなってしまう。そして女の妊娠と花井是清が自殺した年齢に達するという二大パンチが炸裂する。主人公はヒモの女を愛しておらず、即刻堕胎を命じる。さらに花井是清が自殺した年齢に自分も達したことでその死を強く意識するようになる。主人公は堕胎を取り消し、家族を作ることを考えるが、その当日に、女は主人公が作曲した音楽を聴いていたため信号無視のトラックに気づかず交通事故死する。主人公は自分の音楽が誰にも届かず、また人を死なせてしまったことに絶望する。だが主人公は作曲する事しかできない。エンディングのスタッフロールではこの苦しみを音楽にしようとする主人公の後ろ姿がフェードアウトしていく形で提示され、物語の幕は閉じる。

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  • 主人公は絶望したとはいえ、まだ26にしか過ぎないから、この絶望をどのように乗り越えるか/あるいは乗り越えられなかったかを書いて欲しかったかもしれない。
    • 久しぶりにきちんとしたバッドエンドらしきものを読んだが、正規エンドよりもバッドエンドの方が感情を揺さぶるものがある。いや、むしろこれはエンディングの一つの在り方であり、バッドエンドではないのかもしれない。主人公は音楽に妄執しており、かつてヘルプで入っていたプテラノドンのバンドの一人からも、音楽は続けていることこそに意味があると言われる。主人公はヒモとなっていた女(来島澄)が死んだからといって、花井是清が自殺した齢になったからといって、特に自殺などせずひたすら音楽を作り続ける。しかもまだ年齢は26。大学院の修士課程修了だったらまだ社会人2年目にしか過ぎないのである。20代後半なんてまだ全然年老いてないし、人生は年齢ではなく一生伸びしろがある。そして、これからもこの先の人生を生きていかねばならない。ロックンローラーだから生き急ぎすぎなのか?このシナリオが後味悪く感じられてしまうのが、その後の人生が描かれていないからかと思われる。澄が死んだ後も作曲を孤独に続ける主人公がこの後、どうなるのか。乗り越えられるのか/乗り越えられないのか。是清のように自殺してしまうことを否定したのだから、そこまでちゃんと描いて欲しかったと思うのであった。

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