- 明治末~大正初めの状況
- 伊藤博文と山県有朋が引退して元老となり、伊藤の後継者である西園寺公望と山県の後継である桂太郎が交互に政権を担当する桂園時代を迎える。だが第二次西園寺内閣は二個師団増設問題により軍部大臣現役武官制の倒閣機能が発動し崩壊する。代わって第三次桂内閣が成立するも「閥族打破・憲政擁護」を唱える第一次護憲運動が起こり桂内閣は倒れた(大正政変)。
【目次】
(1)第一次山本権兵衛内閣(1913.2~1914.4)と第一次護憲運動への対処
- ①組閣
- ②第一次護憲運動の成果
- 1)政友会との提携…立憲政友会の主義綱領の尊重。原敬(内相)・高橋是清(蔵相)などの入閣。
- 2)軍部大臣現役武官制の改正…陸海軍大臣の任用資格を現役から予備・後備の大・中将にまで拡大→軍部の政党への圧力を減らす。
- 3)文官任用令の緩和…陸海軍省以外の高級官僚を自由任用制とする。→政党員が高級官僚となる道を拡大。
- ③倒閣
- 1)廃税運動…山本の海軍拡張計画に反対して営業税・織物消費税・通行税の撤廃を求める運動が拡大。
- 2)ジーメンス事件…海軍首脳部が、軍艦建造・軍需品購入の際に、ドイツのジーメンス社、イギリスのヴィッカース社から多額の金を収賄していた汚職事件。
- 野党の立憲同志会が責任を激しく追及し内閣打倒を叫ぶ群衆が国会議事堂を取り巻く。
- 結局、貴族院の山県系議員の攻撃で海軍の予算案は削減され、第一次山本内閣は総辞職となった。
(3)寺内正毅内閣(1916.10~1918.9)と大陸進出
- ①組閣
- 元老山県有朋の推挙により組閣。山県閥の超然内閣を組織し、政党と対決する。
- ②大陸政策
- 1)西原借款…寺内の私設秘書西原亀三が北京政府段祺瑞政権に巨額の貸付。権益拡大を図る。
- →段祺瑞の没落により西原借款の政治的効果は得られず。
- 2)金輸出禁止…ヨーロッパ情勢に対応して金本位制を停止。
- 3) ロシア革命と日米妥協…日本は第四次日露協約(前大隈内閣)で露と中国支配を図るが帝政ロシア消滅!!
- 石井=ランシング協定…日が米の「門戸開放・機会均等」を認め米は日の満洲特殊権益を承認
- シベリア出兵…日本のシベリア独占支配を恐れた米が共同出兵を提唱 →成果なし
- ③倒閣
- 大戦景気のインフレとシベリア出兵で米価上昇 →米騒動が発生 → 寺内内閣総辞職。
【2】初の本格的政党内閣
※最初の政党内閣は憲政党を与党とした第一次大隈重信内閣(1898.6~11)
(1)原敬内閣(1918.9~1921.11)
- ①組閣
- ②初の本格的な政党内閣
- ③「平民宰相」だが庶民ではない
- 普選否決。選挙法改正(1919.5)による納税資格の引き下げ(3円以上)は立憲政友会の支持基盤である中小地主層への選挙権拡大。
- ④積極政策
- 四大政綱(国防充実・教育振興・産業奨励・交通機関の整備)進めるが、戦後恐慌の発生で行き詰る。
- ⑤倒閣
(2)高橋是清内閣(1921.11~1922.6)
- ①組閣
- ②当時の社会情勢
- ③外交…ワシントン会議に参加 → --外交は国際協調体制
- 四カ国条約…太平洋諸島・日英同盟破棄
- 九カ国条約…中国市場・石井ランシング協定破棄・山東省権益返還(日中交渉)
- ワシントン海軍軍縮条約…10年間主力建造監禁止。主力艦保有比率決定(英米:日=5:3)
- ④倒閣
(1)加藤友三郎内閣(1922.6~1923.8)の軍縮路線
- ①組閣
- ②軍縮
- ③シベリア撤兵…米英から批判を受け、シベリアからの撤兵を完了。
- ④病没と関東大震災の発生
- 加藤、首相在任中に病没(1923.8.24)。外相の内田康哉(こうさい/やすや)が首相臨時代理を務める中、関東大震災が勃発する(1923.9.1)。
(2)第二次山本権兵衛内閣(1923.9~1924.1)と関東大震災
- ①組閣
- 震災翌日(1923.9.2)に加藤と同じ海軍出身の山本権兵衛が再び組閣
- ②関東大震災への対処…帝都復興院総裁に後藤新平を任命し、東京の復興事業に着手
- 経済政策
- 支払猶予令(モラトリアム)…金融機関への支払いが1か月猶予される。
- 震災手形割引損失補償令…金融機関が抱えた不良債権を事実上日本銀行が肩代わり。
- 治安政策…震災後の流言により朝鮮人や社会主義者が殺害される
- ③倒閣