雑録

【日本史】政治史人物整理 55年体制の内閣

  • 概略
    • 講和問題で対立していた社会党が再統一すると、それに対して保守合同がなされ、自民党が成立した。岸信介による強行的な安保条約の改正は安保闘争を発生させたが、続く池田勇人内閣は経済問題に焦点をあて、経済成長を遂げた。石油危機により高度経済成長期は終焉を迎えるが、日本は重厚長大から軽薄短小へと産業構造への転換に成功し危機を乗り越えた。だが余剰資金が土地投機に流れ込んで発生したバブル経済がはじけると、汚職と腐敗に塗れていた55年体制は崩壊した。

1.55年体制の成立

(1)第一次鳩山一郎 内閣(1954.12-1955.3) 日本民主党

  • ①組閣:反吉田を唱え、日本民主党を結成した鳩山が早期解散を条件に左右社会党の支持を得て組閣。
  • ②解散:少数与党による選挙管理内閣であり左右社会党との約束通り45日で解散。

(2)第二次鳩山一郎内閣(1955.3-1955.11) 日本民主党

(3)第三次鳩山一郎内閣(1955.11-1956.12) 自由民主党

  • ①組閣:多数党となった自民党を基盤にして組閣。
  • ②保守政治:憲法調査会法公布、国防会議発足、教育委員会法改正
  • ③日ソ関係改善:鳩山一郎自らモスクワに赴き日ソ共同宣言調印(56.10.19)、国交回復を実現。
  • 国際連合加盟:日本の国連加盟に反対し続けたソ連が反対を取り下げ、56.12.18実現。
  • ⑤経済:1954年末頃からの「神武景気」を受け『経済白書』で「もはや戦後ではない」と宣言。
  • ⑥科学:原子力の研究開発・利用推進を目的とする原子力基本法公布(55.12)、原子力委員会発足(56.1)。

(4)石橋湛山内閣(1956.12-1957.2) 自由民主党

2.安保闘争

(1)第一次岸信介内閣 (1957.2-1958.6) 自由民主党

  • ①組閣:戦前満州経営に手腕を発揮し東条内閣で太平洋戦争中の物資動員を扱いA級戦犯となった「昭和の妖怪」岸が石橋内閣の後を受けて組閣。
  • ②外交 

(2)第二次岸信介(1958.6-1960.7) 自由民主党

  • ①組閣:1958年5月の総選挙で自民党が絶対多数を獲得したため自らの構想に基づき組閣。
  • ②安保問題
    • 1958
      • 10.安保改革着手 → 安保改定に伴う混乱を事前に予測して警察官の権限強化を規定した警察官職務執行法を国会に提出するが審議未了・廃案 → 保革対立激化
    • 1960
    • 1.岸、ワシントンに赴き新安保条約・日米地位協定に調印
    • 5.19.衆議院で新安保条約の批准について強行採決 → 1か月後の自然成立を狙う。以後国会は空白状態、連日国会周辺にデモ(60年安保闘争)
    • 6.19.条約批准が自然成立(衆院通過30日経過後、憲法61条による)
    • 6.23.条約発効。岸信介内閣が総辞職を表明(7.15総辞職)
  • ③社会と経済…ミッチーブーム、岩戸景気(58-61)、社会保障(新国民健康保険法、国民年金法)

3.高度経済成長

(1)第一~三次池田勇人内閣(1960.7-12/1960.12-63.12/1963.12-1964.11) 自由民主党

  • ①政治の季節から経済の季節へ…革新勢力と対決した岸内閣とは異なり、「寛容と忍耐」をスローガンに「所得倍増計画」を掲げる。
  • ②経済政策
    • 農業基本法(61.6)…生産性向上と農家所得の増大を目指し、農具の機械化など近代化を進める。→農業兼業化が拡大、農村労働力が大都市へ流出、「三ちゃん農業」発生
    • LT貿易(62.11)…当時の日本は中華民国(台湾)を唯一正当な中国政府としていたが、政経分離の方針を掲げて中華人民共和国との貿易を拡大。準政府間貿易を開始する。交渉にあたった廖承志・高碕達之助の頭文字をとってLT。
    • IMF14条国から8条国へ移行(1964)…国際収支の赤字を理由とする為替制限(=保護貿易)ができなくなる。→日本が国際競争力をつけたので、為替面でことさら保護される必要はなくなったと世界に判断された。
    • OECD(経済協力開発機構)への加盟(1964)…貿易の自由化が義務化。→日本は先進国の仲間入りを果たす。
  • ③社会政策
    • 国民皆保険・皆年金の実現(1961)
    • 人口・産業の地域格差の是正を目的とする新産業都市建設促進法制定(1962)
  • 東京オリンピック(1964)…大会開催のためのインフラ整備でオリンピック景気(高速道路網・東海道新幹線)。閉会直後、池田は喉頭癌のため退陣。

(2)第一~三次佐藤栄作内閣(1964.11-67.2/1967.2-1970.1/1970.1-1972.7) 自由民主党

  • ①組閣:池田勇人の後継指名を受け総裁に就任して組閣。池田内閣が殆ど行わなかった外交的懸案に取り組む。また池田内閣と差別化するため「社会開発」をスローガンに掲げる。
  • 日韓基本条約(65.6)…1910年以前(韓国併合以前)諸条約の失効を確認し、日本と韓国の外交関係を正式に樹立。日本は韓国を「朝鮮にある唯一の正式な政府」と位置付けた。付属協定で、財産および請求権を互いに放棄し、日本は韓国に経済協力を行うことを規定。
  • ③公害対策…高度経済成長の歪みとして公害問題が浮上→公害対策基本法(1967)・環境庁設置(1971)
  • ④沖縄問題…非核三原則(67.12)、小笠原諸島返還(68.6)を経て、沖縄返還協定調印(71.6)。
  • ⑤新安保条約自動更新→70年安保闘争新左翼の諸問題(大学紛争・よど号ハイジャック事件浅間山荘事件)
  • ⑥社会状況…いざなぎ景気を代表する大阪万博(70.3)が開催される。
  • ⑦新しい政治課題には対応できず具体的な政策を打ち出せずに退陣。
      • ドル=ショック(71.8)…ベトナム戦争で経済的に苦しむアメリカが金交換を停止、輸入課徴金賦課などドル防衛政策を展開し、世界経済に影響を与える。日本は1ドル=360円の固定相場だったが、同年末には1ドル=308円に切り上げとなった。
      • 中華人民共和国が国連の代表権を得る(71.10)

4.石油危機とその脱却

(1)第一・二次田中角栄内閣(1972.7-72.12/72.12-74.12) 自由民主党

(2)三木武夫内閣(1974.12-1976.12) 自由民主党

(3)福田赳夫内閣(1976.12-1978.12) 自由民主党

  • ①組閣:田中角栄大平正芳福田赳夫の合意で、総裁選を行わず福田が首相に就任。国民の政治不信の中で、「協調と連帯」を掲げる。
  • ②海洋二法…領海を3海里から12海里に拡大する領海法・200海里の漁業水域暫定措置法
  • ③第二回サミット(ロンドン)…世界経済の活性化を図るため、日本の77年度実質経済成長率6.7%達成を約束 するが、石油危機以来の国内経済回復は遅く、達成困難と発表。
  • ④経済政策…石油危機への対処、円高不況の克服、欧米諸国との貿易摩擦解消を課題としたが成果でず。 
  • ⑤全方位平和外交
    • 東南アジア関係…東南アジア6カ国訪問・ASEAN5カ国と首脳会議・マニラで福田ドクトリン(日本の軍事大国化否定・東南アジアとの相互信頼尊重)を表明。
    • 中国関係…北京で日中平和友好条約に調印。批准書交換のため鄧小平が来日。
  • ⑥倒閣:自民党総裁予備選挙田中派を後ろ盾とした大平正芳に大敗し、総辞職。

(4)第一・二次大平正芳内閣(1978.12-1979.11/1979.11-1980.6) 自由民主党

(5)鈴木善幸内閣(1980.7-82.11) 自由民主党

  • ①組閣:選挙期間中に大平が死亡して同情票が集まり、ソ連脅威論も利用して自民党が安定多数を確保。後継総裁・首相には温厚な人柄である鈴木が党内派閥抗争を避けるため思惑もあり選ばれる。
  • ②日米関係:ワシントンでのレーガンとの共同声明に日米同盟関係を明記するなど日米協調。
  • ③税制問題:「増税なき財政改革」第二次臨時行政調査会発足。赤字国債依存体質からの脱却を目指す
  • 貿易摩擦:80年1-11月の自動車生産台数で日本が1位に急進。サミットでは日本の輸出抑制と内需課題が要求されるようになる。
    • 石油危機からいち早く脱却した日本…産業構造の転換に成功。省エネルギー指向、コンピュータ・ロボット技術の導入による工場やオフィスの自動化を行い、重厚長大(鉄鋼・石油化学・造船)から[16. 短小軽薄 ](半導体・IC・ハイテク)へ転換し、先端部門の海外需要増大により石油危機を乗り越える。
  • ⑤歴史教科書問題:中国・韓国から日本の歴史教科書について記述改定が求められる。
  • ⑥退陣:自民党総裁選に鈴木首相出馬せず総辞職。

(6)第一~三次中曽根康弘内閣(1982.11-83.12/83.12-86.7/86.7-87.11)自民・新自由クラブ(二次のみ)

(7)竹下登内閣(1987.11-1989.6) 自由民主党

  • ①組閣:中曽根裁定により、自民党総裁となり首相に就任
  • ②第14回サミット(トロント)…後発開発途上国の債務救済措置拡大・日米農産物交渉を事実上決着(牛肉とオレンジ)
  • バブル経済汚職…土地価格高騰が投機熱を煽り、政界・経済界の癒着と汚職が発生。
  • ④税制改革…88.12、税制改革関連6法が可決・成立。税率3%間接税(消費税)を課す。89.4から実施
  • 昭和天皇崩御(1989.1.7) → 新元号「平成」
  • ⑥総辞職…リクルート事件と消費税の強行導入で支持率10%と低迷し、世論の批判の中で総辞職。

5. 55年体制の崩壊 自民党政権の終わり

宇野宗佑内閣 (89.6-89.8)

第一・二次海部俊樹内閣 (89.8-91.11)

宮沢喜一内閣 (91.11-93.8)

  • 概要