戦後西欧史

1.戦後イギリス史

アトリーⅠ・Ⅱ(1945-51)→チャーチルⅡ(51-55)→イーデン(55-57)→マクミラン(57-63)→ヒューム(63-64)→ウィルソンⅠ(64-70)→ヒース(70-74)→ウィルソンⅡ(74-76)→キャラハン(79-79)→サッチャーⅠ~Ⅲ(79-90)→メイジャーⅠ・Ⅱ(90-97)→ブレアⅠ~Ⅲ(97-2007)→ブラウン(07-10)→キャメロンⅠ・Ⅱ(10-16)→メイⅠ・Ⅱ(16-19)→ジョンソンⅠ・Ⅱ(19-)

(1)内閣の動向

(1)-1.アトリー労働党内閣(1945~51)
(1)-2.マクミラン保守党内閣(1957~63)
  • a)組閣
  • b)特徴
    • EECへの加盟をド=ゴールに拒否される。陸相プロヒュームが売春婦に国家機密を漏らし総辞職した。

(2)60年代イギリス イギリス病

  • ①イギリスの停滞
    • 国内の完全雇用と高水準の福祉を達成するが、大国の威信を保つための軍事支出が財政を逼迫。
    • 物価と賃金の上昇の悪循環からインフレが進み、経済成長率でEEC諸国や日本に大きく遅れる。
  • ②ウィルソン労働党政権(1964-70)の改革
    • ポンド切り下げ(1967)…ポンドの対ドル平価を14.3%切り下げ。輸出増による国際収支増が目的。
    • スエズ以東より撤兵(1968)…経済状態悪化から軍事支出を抑えるため。大英帝国は終焉した。

(3)新自由主義

  • サッチャー保守党政権(1979-90)
    • 内政:福祉の縮小、国有企業の民営化などにより「小さな政府」づくりを進め自由競争重視による経済再建に努め「イギリス病」の克服を図る。
    • 外政:フォークランド戦争(1982)でアルゼンチンに勝利し国威を発揚させた。
    • 末期:89年から住民に一律に課す新住民税の導入と公共サービスの低下が国民の不満を招き交代した。

(4)ポスト冷戦

  • メージャー保守党政権(1990-97)
    • サッチャーの後継。経済の最大の課題であるインフレの克服と高い失業率の低下を図ったが、指導力不足で効果があがらなかった。
  • ブレア労働党政権(1997-2007)
    • 18年ぶりの労働党政権。9.11以降ブッシュJr.に追随しイラク戦争(2003)に介入したので支持を低下させた。

2.戦後フランス史

(1)第二次世界大戦後の状況

(2)60年代フランス ド=ゴールの時代

  • 1959年;ド=ゴール大統領就任(1959-1969) 「フランスの栄光」を求めて米ソに挑戦
    • 核兵器の所有(1960)
    • ②独自外交の展開;西ヨーロッパでの主導権を確立し、第三世界の支持を獲得して国際政治上の地位向上を目指す
      • アルジェリア独立承認(1962)、中国承認(1964)、NATO脱退(1966)、イギリスのEEC加盟拒否
  • 反ド=ゴール派の動き
    • ①五月危機(1968年5月~6月)
    • 権威主義的な大統領制のもとで強められた中央集権的官僚制への批判、高度成長下での国内の南北経済格差への不満、経済危機が加わり学生・労働者を中心に諸制度の改革を求める運動が起きた。大学紛争からゼネストに発展し、政治危機が深まるが、68年6月の選挙でド=ゴール派が大勝し、一応収拾された。しかしド=ゴールの威信は深く傷ついた。
    • ②ド=ゴール退陣(1969年4月)
  • 60年代末の学生運動・労働運動
    • 戦後の政治・社会制度と経済成長によって変容した社会とのずれにより学生運動・労働運動が起こる
      • →フランス;1969 ド=ゴールの退陣 → ポンピドゥー

(3)70年代以降のフランス

  • ①ジスカールデスタン政権(1974-81)
    • 第1回サミットをパリで開催。経済不況への対策に成功せず、支持を失う。
  • ミッテラン政権(1981-95)
    • 左派系の大統領で基幹産業の国有化を行ったが経済は順調に進まなかった。内閣は保守派が組織したので保革共存政権(コアビタシオン)という権力構造となった。
  • シラク政権(1995-2007)
    • 内政:不況、失業者増大など経済問題に苦しむ。
    • 外政:核実験を再開して内外の批判を浴びたが、米英主導のイラク戦争に反対し指導力が評価された。

3.戦後ドイツ史

(1)戦後処理

  • a ) 4国分割占領…英米仏ソの四国協定で軍事分割占領が決定された。
  • b ) 旧首都ベルリンの分割管理…首都ベルリン自体はソ連管理下にある。ソ連管理下にあるベルリンをさらに4国で分割しているので注意が必要である。
  • c ) 民主化の徹底…非ナチ化。ナチス関係者やナチスの伸長に役立った仕組みを解体。ナチ党の解党、宣伝の禁止やナチス関係者の公職追放のみならず、政治や教育分野にも及んだ。
  • d ) ニュルンベルク国際軍事裁判所…連合国がナチスの中心的な指導者を裁くために行った裁判。
    • ゲーリング…四カ年計画長官となり軍備拡大。軍需生産のために外国人労働者を酷使。空軍司令官としてポーランド猛爆を指揮し、国家元帥となった。
    • ヘス…ヒトラーの秘書からナチ党の副党首となった。41年単身飛行機でイギリスに渡り、独断で和平交渉を行おうとし、第二次大戦終結まで捕縛されていた。
    • リッベントロップ…ナチスドイツの外交官。英独海軍協定を成立させる。38年2月以降第二次大戦に至る全外交政策を指導した。

(2)冷戦体制とドイツ

  • 1948
    • 【西】6月20日、西ドイツ通貨改革
      • マーシャル=プラン導入のためソ連に無通告で実施
    • 【東】6月24日、ベルリン封鎖
      • 無通告で西独通貨改革をされたので封鎖
  • 1955
    • 【西】5月6日、西ドイツNATO加盟
      • 5月5日、パリ協定発効し主権を回復。西独再軍備・米軍の西独駐屯を強行。

(3)60年代西ドイツ

  • ①アデナウアー政権(1949-63)…西ドイツ建国期の内外政を指導し「奇跡」と呼ばれる経済復興を成し遂げるが、西ヨーロッパ諸国との結合を強化したため東西ドイツ統一を困難にするとの批判を招き引退した。
  • ②エアハルト政権(1963-66)…アデナウアー政権の下で経財相として「奇跡的復興」を実現したエアハルトがアデナウアーの後継者として政権を維持した。
  • ③キージンガー政権(1966-69)…キリスト教民主・社会同盟と社会民主党から構成される大連合政府を樹立。与党が議席の9割以上を占め、政治的安定をもたらした。しかし、野党不在は学生や知識人に空虚感を与え、先進各国で学生運動が展開された68年にドイツでも戦後体制の変革を求める運動が最高潮に達し、69年に大連合政府は崩壊した。
  • ④60年代末の学生運動・労働運動
    • 戦後の政治・社会制度と経済成長によって変容した社会とのずれにより学生運動・労働運動が起こる
      • →西ドイツ;1969 大連合政府崩壊  → ブラント

(4)ブラント政権(1969-1974)の東方外交

  • ソ連=西ドイツ武力不行使条約
    • 1970年コスイギン(ソ連)・ブラント両首相がモスクワで調印。72年に発効。第二次大戦後の国境維持、両国間の武力不行使などを約した。

(5)70年代以降のドイツ

  • ①シュミット政権(1974-82)
    • 石油危機後の困難な国際政治、国際経済に果断な処置を行う。ナチス戦犯の時効撤廃、環境保護運動から「緑の党」が結成されるなど新しい社会的、文化的価値を求める動きが強まる。第二次石油危機により退陣。

社会民主党政権、緑の党と連立。2030年をめどに原子力発電の全廃を決定した。国内経済の停滞で支持率を低下させたが、米英のイラク強行策にフランスのシラクと協調して反対し支持を回復させた。

4.戦後イタリア史

イタリア情勢

  • a)キリスト教民主党政権(1945年末~)
    • 1943年に結成されたカトリック政党。イタリア最大の政党で反共政策をとり、大資本から農民まで幅広く支持され、しばしば政権を担当した。
  • b)王政の廃止(1946)…1946年6月、国民投票で共和政となる。

5.戦後南欧史 南欧の軍事・独裁政権

  • ★1970年代には南欧の軍事政権や独裁体制も姿を消す。東欧を除くヨーロッパでは議会制民主主義が共通の政治基盤となった。

戦後ポルトガル

  • a)サラザール体制
    • ポルトガルにおける独裁体制。軍部独裁政権に蔵相として招かれたサラザール財政再建に成功。1932年に首相となり33年には憲法を公布して自らに権力を集中させ、一党独裁を実現。検閲制度や政治警察により反体制運動を抑圧し植民地帝国の維持を目指した。第二次大戦後、冷戦構造の中で体制が維持され、サラザールは事故で引退する68年まで独裁を行い、後継者カエタノが体制を引き継いだ。
  • b)1974年革命
    • サラザール体制を打倒した革命。68年にサラザールの後継者となったカエタノは独裁体制と植民地帝国を維持しようとしたが、植民地戦争と石油危機による経済の混乱で不満が高まる。74年に青年将校団が無血クーデタに成功した。
    • c)世界最後の植民地帝国の崩壊
    • 500年にわたる植民地帝国に終止符が打たれ、アフリカではアンゴラ・モザンビーク・ギニアビサウが独立し、東南アジアの東ティモールインドネシアに併合された。

戦後スペイン史

  • a)フランコ体制
    • スペインにおける独裁体制。第二次大戦前夜のスペイン内戦を勝ち抜き権力を掌握。第二次大戦では中立国となるが義勇兵を派遣するなど枢軸国よりの政策を行うが、枢軸敗北で路線を転換。ローマ教皇庁アメリカと関係を深めて国際的孤立を乗り越えた。体制右派内の多様な人材を状況に応じて登用し、「奇跡の経済復興」を遂げ、1975年に死ぬまで政権を維持した。
  • b)スペイン民主化
    • 75年にフランコが死亡すると、かねてより後継者に指名されていたブルボン朝のフアン=カルロス1世が即位。78年新憲法によって民主的君主政に移行。

戦後ギリシャ

  • 戦後復帰した王政が1967年に軍事クーデタによって倒され軍事政権が成立。その後、共和制への移行、73年軍事独裁政権再来、74年民政復帰と安定を欠いたが、75年には共和政憲法が成立した。