戦後東欧史

1.第二次世界大戦後の東欧・バルカン地域

①親ソ政権

  • 第二の建国 …WWⅡで徹底的に破壊され、枢軸化したので徹底的に改革された。
  • 親ソ政権…ソ連が自国の安全保障のために後押しを行い、共産党が主導権を発揮した。

人民民主主義

ユーゴスラヴィア

2.社会主義圏の拡大

3.雪どけの影響

  • ポーランド反ソ暴動(ポズナニ暴動)
    • 1956年6月。ポズナニで生活改善と民主化を要求する民衆と、軍・警察とが衝突。政府はソ連の介入を恐れてゴムウカを起用。自主路線を約束して事態を収拾し、ソ連軍の直接介入を免れた。
  • ハンガリー反ソ暴動(ハンガリー事件)
    • 1956年10月。首都ブダペストで知識人・学生・労働者たちがおこした反ソ・反政府・改革要求運動。改革派の ナジ=イムレが新首相に就任し、ソ連軍の撤退、一党独裁の廃止、ワルシャワ条約機構からの脱退を声明したため、軍事介入され踏み潰された。ナジは処刑され、カダル政権が成立。

4.社会主義諸国の独自展開

  • アルバニアソ連がユーゴスラヴィアと和解したことから外交関係を閉ざし、中ソ論争では中国を支援
  • ルーマニアチャウシェスクが自主独立を唱え、1962年頃からソ連優先のコメコンワルシャワ条約機構には批判的。68年のチェコ介入にも参加せず。東欧一の地下資源(石油)に恵まれ、経済の自立化をはかろうとしたことが背景にある。
  • ③チェコスロヴァキア…「プラハの春」:1968年1月から東欧最大の工業国チェコスロヴァキアで爆発的に自由化運動が広まる。ノヴォトニー大統領は失脚し、ドプチェク政権が誕生して自由化・民主化が進められた。しかし8月にソ連・東欧5カ国が軍事介入し、自由化運動は潰された。
  • ブレジネフ=ドクトリン

5.東欧社会主義圏の解体

(1)ポーランド

  • ② ギエレク政権(1970~80)
    • ゴムウカに代わった第一書記。経済政策に失敗し、80年の“自由化”で引退
  • 1980:自主管理労組“連帯 ”
    • 80年に食料品の大幅な値上げの発表に対して、全国的なストライキが起こり政府は自由な組合活動を認めた。その新しい自由な労働組合は“連帯”と呼ばれ、指導者にワレサが就任。
  • ③ヤルゼルスキ政権(1981~85)
    • “連帯”運動の大発展によりギエレク政権が倒れた後、政権を握る。ソ連の軍事介入の危機に直面し、戒厳令を布告して“連帯”運動を抑えた。

(2)東欧革命

  • 東ドイツ:ホネカー退陣
    • 1989年10月市民の大量脱出とデモにより支配が動揺して退任、18年間の独裁が終了した。11月にはベルリンの壁も開放され、90年10月3日に西ドイツに吸収統合されてドイツ連邦民主共和国となった。
  • ハンガリー:カダル失脚
    • ハンガリー反ソ暴動の後、ナジ=イムレに代わって政権を握ったカダルが88年5月に失脚した。
  • ポーランド:“連帯”が政権獲得
    • 89年6月、東欧で最初の自由選挙を実施し“連帯”系が大勝利。90年にはワレサが大統領。
  • ブルガリア:ジフコフ辞任
    • 89年11月、共産党書記長ジフコフが辞任し、35年に及ぶ権力者の座から退いた。
  • ⑤チェコスロヴァキア:ハベル大統領就任
    • 人間の顔をした社会主義を訴えた憲章77に参加したハベルが89年に大統領となる。

(3)ユーゴスラヴィア内戦

  • 1980:独自の社会主義体制をとっていたティトーが死亡し、内部の民族・宗教的対立が深まる。
  • 1989:冷戦の終結で国民統合の役割を果たしていた社会主義イデオロギーが喪失。
  • 1991:民族の利害対立が表面化して内戦に突入!
  • 現在:スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、セルビア、コソヴォ、モンテネグロ、マケドニアの7か国に分離している。