2020-06-16 戦後ソ連史 受験世界史 戦後史 ロシア史 1.ソ連の「雪どけ」と平和共存政策 (1)スターリン死(1953)後の政策転換 (2)フルシチョフの対アメリカ外交 2.ソ連の威信低下 (1)ブレジネフ時代(1964~82) 3.ペレストロイカとソ連の崩壊 (1)ソ連社会の停滞(1970年代~) (2)ゴルバチョフの改革 (2)-1.ゴルビーの内政 (2)-2.ゴルビーの「新思考外交」 (3)ソ連の解体 4.ソ連崩壊後のロシア情勢 エリツィン政権(1991~99) プーチン政権(2000~08) 関連:ロシア史 通史まとめ 1.ソ連の「雪どけ」と平和共存政策 (1)スターリン死(1953)後の政策転換 ①外交政策の転換 1955年 ティトー率いるユーゴスラヴィアと和解、西ドイツと国交回復 ②ソ連共産党第20回大会(56年2月)における「雪どけ」 →東欧諸国に衝撃!!! a)スターリン批判…フルシチョフによる秘密報告。個人崇拝・大量粛清・大国主義などを理由にスターリンを批判。 b)平和共存…社会主義国と資本主義国は互いに平和共存できるという考え。中国はこれに反発し、中ソ対立が激しくなる原因となった。 c)コミンフォルム解散…1956年4月。スターリン批判や緊張緩和の中で解散された。 (2)フルシチョフの対アメリカ外交 ①ソ連の軍事的優位 大陸間弾道弾実験成功 人工衛星打ち上げ成功…1957年10月。ソ連がスプートニク1号と呼ばれる世界初の人工衛星を打ち上げアメリカに衝撃を与える(スプートニク=ショック)。ちなみに日本の教育にも大きな影響を及ぼし、理系教育が拡大され、社会科は経験主義社会科から系統主義社会科へと転換した。 ②フルシチョフ訪米 1959年9月。ソ連の最高指導者として初めて訪米。アイゼンハウアーと会談した。アイゼンハウアーの訪ソと米英仏ソ4か国首脳会談が約束されたが60年初めにU2型偵察機がソ連領内で撃墜され、お流れ。 2.ソ連の威信低下 (1)ブレジネフ時代(1964~82) ①フルシチョフ解任で書記長に就任。国家元首兼任。 ②作家ソルジェニーツィン(『イワン=デニィーソヴィチの1日』、『ガン病棟』など)を国外に追放。「水爆の父」サハロフを流刑処分 ③1968年:「プラハの春」(チェコスロヴァキア民主化運動)をワルシャワ条約機構軍で弾圧 ④1979年:アフガニスタン侵攻。親ソ政権を樹立 → イスラーム勢力と内戦 ⑤1980年:ポーランドのワレサ委員長の「連帯」による改革運動を弾圧。 ⑥米ソ緊張緩和:SALT(戦略兵器制限交渉)、START(戦略兵器削減交渉)、東西ドイツ基本条約 ※ソ連社会は長い停滞の時期に入る。 支配機構を牛耳るのが特権的官僚。指導部が老齢化、ネポティズム(縁故主義) 経済改革がなされない;資源外交による工業製品の購入、重厚長大に固執し産業構造のソフト化が遅れる 3.ペレストロイカとソ連の崩壊 (1)ソ連社会の停滞(1970年代~) ①農業:生産不調。原油や金を輸出して大量の小麦や飼料を輸入。 ②工業:コンピュータなどの先端電子産業部門で欧米日に立ち遅れ、環境汚染も深刻。 ③政治:硬直化した共産党一党支配のもとで若い人材が登用されず。 ④文化:反体制派文化人の国外追放策により文化面でも停滞。ソルジェニーツィンなど ⑤外政:アフガニスタン侵攻(1979) ‣国際世論の批判を浴び、米国との関係も緊張。 ‣イスラーム教徒の反政府ゲリラによる抵抗で泥沼化。 ★1983年ブレジネフ死去→ 後継のアンドロポフとチェルネンコも死去!→1985年 ゴルバチョフの登場!! (2)ゴルバチョフの改革 (2)-1.ゴルビーの内政 ①グラスノスチ(情報公開) ソ連のこれまでのイデオロギーに基づく秘密主義を廃して大胆に情報公開を進めるという内容。 1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故が契機となった。 ②ペレストロイカ(改革) 政治 1988:ソ連型人民民主主義の修正 1989:複数候補者制選挙に基づく連邦人民代議員大会、連邦最高会議制が実行 1990:強力な権限を持つ大統領制を導入。 経済 中央指令型計画経済から市場経済へ移行 (2)-2.ゴルビーの「新思考外交」 ★冷戦にもとづいた外交から緊張緩和外交への転換! ①1988:新ベオグラード宣言…ゴルバチョフが社会主義諸国に対するソ連の指導性を否定した宣言。翌89年の東欧革命に繋がった。 ②1988~89:アフガニスタン撤退(ブレジネフがアフガニスタンに侵攻し泥沼化していた。) ③1989:12月ブッシュ(父)とマルタ会談→「冷戦終結」宣言! (3)ソ連の解体 ①反ゴルバチョフ=クーデタ(1991.8) ゴルバチョフの休暇中に保守派が改革の行き過ぎを阻止するためにクーデタを起こすが3日で失敗に終わった。ゴルバチョフはソ連共産党を解散させ、自らも書記長を辞任した。 ②独立国家共同体成立とソ連消滅(1991.12) ロシア、ウクライナ、ベラルーシのスラヴ系3共和国首脳が宣言し、21日に11共和国が参加して創設された。この成立を機にゴルバチョフは大統領を辞任して、ソ連は消滅した。 4.ソ連崩壊後のロシア情勢 エリツィン政権(1991~99) 1991年8月の反ゴルバチョフ=クーデタで保守派の鎮圧に活躍し、ゴルバチョフに代わって最高実力者となった。91年12月、ソ連崩壊後のロシア連邦初代大統領に就任し、CISの指導者となった。 果断な実行力でロシアの資本主義化を進めたが、独裁的傾向も強かった。 プーチン政権(2000~08) 旧ソ連KGB出身。貧富の差の拡大、汚職の流行、マフィアの横行に対し、力による抑え込みマスコミ支配による情報統制、原油高騰による経済の回復などを通して政権の安定を図った。 関連:ロシア史 通史まとめ 前近代ロシア史 19世紀ロマノフ朝の展開 帝国主義ロシア ロシア・ドイツの革命と第一次世界大戦の終結 戦間期ソ連の社会主義国家建設 戦後ソ連史