帝国主義イギリス ~「世界の工場」から「世界の銀行」へ~

1.1873年の大不況とイギリスの動揺

(1)「世界の工場」から「世界の銀行へ」

  • ①原因:米独による工業化の進展
  • ②変質:製品輸出<資本輸出 → 銀行・保険会社が集まるロンドンのシティが世界経済の中心となる。

(2)イギリス覇権の動揺

  • ①国際競争力の相対的低下
    • イギリス:1873年の不況で深刻な影響を受け、イギリスは「大不況」となる。
    • 欧米諸国:保護関税制度で自国の産業を保護しつつ工業化を推し進める。
  • ②産業構造の転換に失敗
    • イギリスが達成した第一次産業革命は、石炭と鉄をベースとし比較的小規模な繊維工業が中心。故に第二次産業革命による社会のしくみ・技術体系が大規模かつ大量生生産を行う自動車産業などの新しい分野にすばやく対応できなかった。

(3)イギリス帝国主義の特徴

  • ①1870年代半ば以前
    • (a)自由貿易帝国主義 …自国産業の市場確保をめざして、世界各地に進出し、優勢な軍事力によって現地政権を屈服させ、自由貿易の論理にもとづき不平等な通商条約を押し付ける。インドにおけるシパーヒーの乱など現地での反乱などが起こると公式の帝国として直接支配する。
    • (b)植民地不要論…国防費の削減を求め、植民地を領有することは余計な浪費と見なす考え方。白人移住者の多いカナダなどの植民地に対しては、現地の自治的な責任政府を通じて間接支配を行うようになった。→1867年、カナダが最初の自治領となる。
    • Cf. 五大自治領…カナダ、オーストラリア(1901)を含めて、ニュージーランド(1907)、ニューファンドランド(1907)、南アフリカ(1910)。
  • ②1870年代半ば以降
    • ☆「大不況」&他の工業国との競争 → 覇権を維持するため帝国主義政策へ!!

2.イギリス帝国主義の展開

第二次ディズレーリ内閣(任1874~80)

第二次グラッドストン内閣(任1880~85)

  • 1882 ウラービーの乱 を鎮圧してエジプトを事実上の保護国化する。
    • ※正式な保護国化はWWⅠが開始された1914年。

第三次ソールズベリ内閣(任1895~1902)

3.イギリス帝国主義下の内政

(1)労働党の成立

(2)自由党政権の内政改革:1905~1908(キャンペル=バナマン内閣)、1908~1916(アスキス内閣)

  • 1911 国民保険法制定…労働党の協力を得た自由党が社会改革を行い制定。
  • 1911 議会法…下院の法案決定が上院に優先することを確定した法律。
    • ←対ドイツ海軍拡張費を得るため、ロイド=ジョージ蔵相が社会上層への税負担を増やすと、保守党が強い上院が抵抗したことが契機

4.アイルランド問題