2020-06-20 第一次世界大戦【1】大戦前夜の列強対立 受験世界史 第一次世界大戦 (1)「パクス=ブリタニカ」に対するドイツの挑戦 (2)三国協商 (3)イギリス陣営VSドイツ陣営 (4)オーストリアのバルカン進出 (5)バルカン戦争 (6) ヨーロッパの火薬庫 (1)「パクス=ブリタニカ」に対するドイツの挑戦 1890 ドイツ、ロシアとの再保障条約の更新拒否 →露仏同盟(1891)…ロシアは工業化の資本を得てフランスは外交的孤立を解消 → 列強関係は流動化 ドイツの挑戦 バグダード鉄道建設推進 ※3B政策 …ベルリン、ビザンティウム、バグダートを結ぶ→英の3C政策に対抗 建艦競争 → イギリスとの間で海軍拡張競争を展開。 (2)三国協商 ①イギリス外交の転換 ☆従来は光栄ある孤立を保っていたが・・・ 東アジアにおけるロシアの進出に対抗・・・1902 日英同盟を結ぶ。 ドイツの挑戦にそなえる・・・1904 英仏協商成立。 ②ロシア外交の転換 日露戦争の敗退で東アジアからバルカンへ再進出に転じる→露、独墺と対立→イギリスと和解 1907 英露協商 イランにおける両国の勢力範囲を決める アフガニスタンはイギリスの勢力範囲 チベットには不干渉 → 中国の主権 ③三国協商 英仏露は独墺を共通の脅威とみて、協力してそれぞれの植民地や勢力圏を守ろうとする。 (3)イギリス陣営VSドイツ陣営 ①イギリス陣営 イタリアの動き 伊は三国同盟の一員だったが・・・未回収のイタリア(イタリア統一戦争後もオーストリアに残留した地域。南チロル・トリエステなど)をめぐって伊墺間で対立 フランスに接近→チュニジアにおけるフランスの、リビアにおけるイタリアの優位を承認。 ②ドイツ陣営 三国同盟からイタリアが離れていく → ドイツは同盟国オーストリアとの安定重視 ③英独対立の激化 イギリスとドイツをそれぞれの中心とする二つの陣営に分かれ、1910年以降軍拡競争 (4)オーストリアのバルカン進出 オーストリアは多民族国家。国内にスラヴ系民族を内包 →オーストリアはセルビアなどスラヴ系諸国に対抗し、バルカン半島へ進出 1908 青年トルコ革命勃発→ベルリン会議で管理権を得ていたボスニア・ヘルツェゴビナ併合 ボスニア・ヘルツェゴビナにはスラブ人が多数居住するため大セルビア主義を掲げてスラブ人地域の併合をねらうセルビアは墺へ反感を持つ。 青年トルコ革命に乗じて自治国ブルガリアはトルコから独立 (5)バルカン戦争 1912 バルカン同盟結成…ブルガリア・セルビア・モンテネグロ・ギリシア 1911~12 伊土戦争→バルカン同盟はトルコ侵攻へ 1912~13 第一次バルカン戦争 バルカン同盟VSトルコの結果、トルコが敗北。ロンドン条約でイスタンブルを除く全ヨーロッパ領とクレタ島を奪われた。 1913第二次バルカン戦争 第一次バルカン戦争でのブルガリアの取得領土が広大であるとしてセルビア・モンテネグロ・ギリシアが侵攻。ルーマニアとトルコもこれに加勢した。ブルガリアは多くの領土を奪われる。 敗戦国のブルガリア、トルコはドイツに接近。 (6) ヨーロッパの火薬庫 列強の二極化によるバルカンでの民族主義対立:パン=ゲルマン主義VSパン=スラヴ主義 バルカンにおける勢力変動による列強対立の悪化 独墺土勃VS英仏露セルビア・モンテネグロ→ヨーロッパの火薬庫