2.アフリカ分割
(1)アフリカ分割
(2)植民地化を免れた国
(3)アフリカ分割をめぐる英仏対立
- ①イギリスの縦断政策…エジプトとケープ植民地を結ぶ。カイロとケープをさらにインドのカルカッタにつなげる3C政策を追求。
- ②フランスの横断政策…アルジェリア・チュニジアを拠点に、サハラ砂漠の南辺に沿って西アフリカから東海岸(ジブチ)に至る。
- ③ファショダ事件…スーダン南東部のファショダで英仏が衝突。当時スーダンはエジプト統治下にあったが、フランスが占領したため、イギリスが進軍した。英仏が独の強大化を警戒して妥協が成立。
⇒1904年英仏協商エジプトにおける英の支配的地位と、モロッコにおける仏の支配的地位を認め合い独に対抗
(4)各国のアフリカ分割
(4)-1.イギリスのアフリカ分割
- ①エジプト経営
- ②南アフリカ経営
- ③アフリカ縦断政策
- エジプトのカイロと南アフリカのケープタウンを結ぶ政策。インドのカルカッタとあわせて3C政策とした。アフリカ縦断政策ではフランスの横断政策と対立し、3C政策ではドイツの3B政策と対立することになった。
(4)-2.フランスのアフリカ分割
- ②英仏の妥協
- 1898年ファショダ事件で英仏衝突 ⇒ 英仏が独の強大化を警戒して妥協 ⇒ 1904年英仏協商(エジプトにおけ英の支配的地位と、モロッコにおける仏の支配的地位を認め合い独に対抗)
(4)-3.ドイツのアフリカ分割
(5)アフリカ分割の結果
- 収奪されるアフリカ…かつて奴隷供給地として労働力を収奪されたアフリカは、19世紀末以降、ヨーロッパ資本の投資先となり、地下資源と熱帯作物の供給地として収奪されるようになった。