2020-06-20 国民国家形成【4】イタリア~リソルジメント~ 受験世界史 国民国家形成 (1)イタリア半島の分裂状況 (2)下からの自由主義運動 (3)サルデーニャ王国による統一運動 カルロ=アルベルト(位1831~49) ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世(位サルデーニャ王1489~61 イタリア王1861~78) (4)イタリア王国成立後の動き → 普のドイツ統一に乗じて墺領ヴェネツィアとローマ教皇領を併合! (5)未回収のイタリア…南チロル・トリエステ・イストリア・ダルマティアなど (1)イタリア半島の分裂状況 サルデーニャ王国 イタリアを統一することになる国。1720年、サヴォイア家がサルデーニャ島を領有して成立した北イタリアの小王国。都はピエモンテ地方のトリノ。 オーストリア領 ウィーン会議で北イタリアのロンバルディアとヴェネツィアを墺領が獲得。 中部イタリア トスカーナ大公国などの諸邦が分裂状態。 ローマ教皇領 ウィーン会議で復活。フランス兵が守護している。 両シチリア王国 ナポレオン戦争後、正統主義により復活したブルボン家がナポリ王国とシチリア王国を統合。 (2)下からの自由主義運動 ①カルボナリ…炭焼党。19世紀初頭に南イタリアで結成された秘密結社。イタリアの独立と統一、自由主義的改革を目的とした。 1820年にナポリ蜂起、1821年にピエモンテで蜂起 → 失敗 1830年に七月革命の影響で蜂起 → オーストリアの弾圧で消滅、組織解体 ②青年イタリア…1831年、マッツィーニが亡命先マルセイユで結成した政治結社。カルボナリの活動を継ぎ、共和主義に基づくイタリアの統一を目指した。 1849年、ローマ共和国樹立…二月革命の波及を恐れた教皇ピウス9世がローマを脱出したので、マッツィーニらの「青年イタリア」が共和国を建設した。だが仏軍の干渉で倒れた。 (3)サルデーニャ王国による統一運動 カルロ=アルベルト(位1831~49) 国王即位時から自由主義者として知られ、国民の期待もあって北イタリアの統一を目指す!! 第一次イタリア-オーストリア戦争(1848年3月~49年3月) →ラデツキー率いるオーストリア軍にノヴァラの戦いで敗北。近隣諸国の支援もなくカルロ=アルベルトは国王の地位を棄てさせられ、統一に失敗! ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世(位サルデーニャ王1489~61 イタリア王1861~78) 1852年 サルデーニャ首相にカヴールが就任。 産業の開発、修道院への課税など国内の近代化を進めるだけでなく、マッツィーニのような国際関係を無視した運動では統一を実現できないと考え、フランスのナポレオン3世に接近。 1855年 クリミア戦争参戦 英仏土側に立って露と戦う。国際的地位を上昇させ、ナポレオン3世との親密度を上げた。 1858年 プロンビエール密約 ナポレオン3世とカヴールの間で交わされた密約。サルデーニャがサヴォイア・ニースを割譲する代わりに、フランスはサルデーニャの対墺戦争を支援する。 1859年 第二次イタリア-オーストリア戦争(イタリア統一戦争) イタリア統一をめぐるサルデーニャ・フランスの対墺戦争。サルデーニャが連戦連勝したためナポレオン3世は自国の南に強大な統一国家が出来上がることを怖れて、ヴィラフランカの講和を結んで撤兵した。 サルデーニャはロンバルディアを獲得するにとどまり、ヴェネツィアは墺領として残存。 1860年 中部イタリア併合 トスカナなどの諸邦がサルデーニャへの合併を希望。カヴールはナポレオン3世と交渉して、プロンビエーレ密約でイタリア統一戦争の協力の代償としていたサヴォイアとニースを割譲することで、合意を取り付けた。 同1860年 両シチリア王国占領 プロンビエール密約に失望した青年イタリアのガリバルディがサルデーニャ王国から離反。赤シャツ隊を率いてシチリアに上陸し、さらに進撃してイタリア南部を占領、ローマを窺う情勢となる。 カヴールはガリヴァルディの両シチリア王国征服に危機感を抱き、共和主義の浸透を警戒。さまざまな干渉を行ってその進路を妨害した。 1861年 イタリア王国成立 (除;ヴェネツィア・教皇領) 首都:トリノ⇒フィレンツェ⇒ローマ ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世は軍を南下させ、モンテクローチェでガリヴァルディと会見。両シチリア王国を献上させた。 サルデーニャ王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世が初代国王となりイタリア王国が成立! (4)イタリア王国成立後の動き → 普のドイツ統一に乗じて墺領ヴェネツィアとローマ教皇領を併合! ①オーストリア領ヴェネツィア回収…普墺戦争にプロイセン側で参戦しプラハ条約で回収成功。 ②ローマ教皇領回収…普仏戦争でフランスが敗北して撤兵したことにより回収成功。 ⇒ローマ教皇はこれに反発して「ヴァチカンの囚人」と称して対立を続ける。 Cf.1929年ムッソリーニがラテラン条約で和解 ⇒ ヴァチカン市国成立 (5)未回収のイタリア…南チロル・トリエステ・イストリア・ダルマティアなど ①南チロル…オーストリア西部の山岳地帯。14世紀以来オーストリア領だった。第一次世界大戦後にイタリア領。 ②トリエステ…アドリア海北東岸の港市。14世紀以来オーストリア領だったが住民の4分の3はイタリア人。第一次世界大戦後にイタリア領。