国民国家形成【4】イタリア~リソルジメント~

(1)イタリア半島の分裂状況

(2)下からの自由主義運動

  • ②青年イタリア…1831年、マッツィーニが亡命先マルセイユで結成した政治結社。カルボナリの活動を継ぎ、共和主義に基づくイタリアの統一を目指した。
    • 1849年、ローマ共和国樹立…二月革命の波及を恐れた教皇ピウス9世がローマを脱出したので、マッツィーニらの「青年イタリア」が共和国を建設した。だが仏軍の干渉で倒れた。

(3)サルデーニャ王国による統一運動

カルロ=アルベルト(位1831~49)

  • 国王即位時から自由主義者として知られ、国民の期待もあって北イタリアの統一を目指す!!
  • 第一次イタリア-オーストリア戦争(1848年3月~49年3月)
    • →ラデツキー率いるオーストリア軍にノヴァラの戦いで敗北。近隣諸国の支援もなくカルロ=アルベルトは国王の地位を棄てさせられ、統一に失敗!

ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世(位サルデーニャ王1489~61 イタリア王1861~78)

  • 1852年 サルデーニャ首相にカヴールが就任。
    • 産業の開発、修道院への課税など国内の近代化を進めるだけでなく、マッツィーニのような国際関係を無視した運動では統一を実現できないと考え、フランスのナポレオン3世に接近。
  • 1859年 第二次イタリア-オーストリア戦争(イタリア統一戦争)
    • イタリア統一をめぐるサルデーニャ・フランスの対墺戦争。サルデーニャが連戦連勝したためナポレオン3世は自国の南に強大な統一国家が出来上がることを怖れて、ヴィラフランカの講和を結んで撤兵した。
    • サルデーニャロンバルディアを獲得するにとどまり、ヴェネツィアは墺領として残存。
  • 1860年 中部イタリア併合
    • トスカナなどの諸邦がサルデーニャへの合併を希望。カヴールはナポレオン3世と交渉して、プロンビエーレ密約でイタリア統一戦争の協力の代償としていたサヴォイアとニースを割譲することで、合意を取り付けた。
  • 1860年 両シチリア王国占領
    • プロンビエール密約に失望した青年イタリアのガリバルディがサルデーニャ王国から離反。赤シャツ隊を率いてシチリアに上陸し、さらに進撃してイタリア南部を占領、ローマを窺う情勢となる。
    • カヴールはガリヴァルディの両シチリア王国征服に危機感を抱き、共和主義の浸透を警戒。さまざまな干渉を行ってその進路を妨害した。

(4)イタリア王国成立後の動き → 普のドイツ統一に乗じて墺領ヴェネツィアローマ教皇領を併合!

(5)未回収のイタリア…南チロル・トリエステ・イストリア・ダルマティアなど