近世ヨーロッパ史【4】主権国家体制の成立(近世ヨーロッパ各国史)

1.16世紀中頃 「カール5世の挫折」の歴史的意義

(1)皇帝の普遍的権威が失墜

  • 神聖ローマ皇帝は各国の王の上位にたつという、ヨーロッパ全域を支配する皇帝権が存在した。
  • ②カール5世の退位により神聖ローマ皇帝がヨーロッパ全域を支配しようとする考えが挫折。

(2)「主権国家」に転換

  • 主権国家とは何か? → 明確な領域を有し、確立した主権が存在する国家のこと(※現在の国家形態)。
    • 国内:最高権力としての性格→国内の政権は唯一つ。封建領主のようなその他の政治権力は存在せず。
    • 国外:独立性を持つ→ローマ教皇神聖ローマ皇帝等の国家よりも上位の権威からも介入されない。
  • ②「絶対王政」は「主権国家」の一形態
    • 16~18世紀に成立した主権国家は王権神授説などによって国王が主権を握る → 「絶対王政
    • 国王による集権化 → 力の衰えた封建貴族と新興の市民階級を国王が束ねる。
      • 常備軍…平時から常置される軍隊。中世では平時において軍隊は解散されていた。
      • 官僚制…王命に従い国家行政事務を担う専門的な役人集団。貴族階級が取り込まれる。
    • 社団(中間団体) ※絶対王政期における民衆統治の特徴。
      • 国王の支配権は民衆個人には及ばず。ギルド・大学などの職能集団や都市・村落共同体などの地縁組織を介して民衆を支配・統合した。
  • 重商主義 → 官僚制と常備軍維持の財源を確保し国富を増やすために政府が積極的に経済に介入!
    • 重金主義…貴金属の所有領を増やすことで国家財政を富ます。植民地で金銀を略奪。
    • 貿易差額主義…輸出を増やし輸入を抑える。輸出拡大に向けて国内産業を保護育成。

(3).世界システム

  • 個々の国家を強化して、世界的な分業体制の中で、地位を高めようとするようになる。

2.スペイン=ハプスブルク

2-1.カルロス1世 (位1516~1556) ※皇帝としてはカール5世(位1519~1556)

(1)スペイン統治

2-2.フェリペ2世 (位1556~1598)

(1)カトリック支配
(2)太陽の沈まない帝国

2-3.スペインを衰退させた要因

(1)オランダ独立戦争
(2)私拿捕船からの攻撃
  • ①私拿捕船とは、国の許可を受け、敵国植民地や船を略奪する民間船のこと。
  • ②イギリスのドレークは私拿捕船でスペイン植民地や船を略奪して金銀などを奪う→アルマダ海戦の一因
(3)異教徒追放による経済衰退
(4)アルマダ海戦
  • 1588年、オランダ独立を援助するイギリスに対してスペイン大艦隊が派遣される。
  • スペイン側は船数130隻、乗船兵は3万を数えたが、ガレー船による旧式な近接船を挑んだスペインに対し、イギリスは軽砲装備の小型船で戦い始終優位を保った。ドーヴァ海峡の悪天候もあり、スペイン軍は大敗。
  • この遠征の失敗は「太陽の沈まぬ国」スペインの威信失墜につながった。

3.「17世紀の危機」

(1)状況

  • ①1620年代以降、16世紀に成立した「世界的な分業体制」の成長が一時的に止まる。
    • 西ヨーロッパと東ヨーロッパの貿易が停滞
    • アメリカからの銀の輸入が減少
  • ②物価が上昇しなくなり、地域によっては人口の減少傾向。
  • ③例外…オランダは圧倒的な経済力をもって繁栄し続ける(※17世紀覇権国家オランダ)

(2)原因

  • ①16世紀における人口激増による食料・原料・燃料などの需要増加のための価格高騰。
  • ②気候の寒冷化による農業不振(ヨーロッパ北部で小麦・ブドウ栽培ができなくなる)。

(3)影響

4.17世紀オランダの覇権

(1)アントウェルペンの発展

(2)オランダ独立戦争

(3)アントウェルペンからアムステルダム

  • アントウェルペンの破壊 →オランダ独立戦争中の1585年スペイン軍により破壊される
  • アムステルダムの発展
    • 背景:南部から亡命商工業者が流入し、経済活動が劇的に発達。
    • 産業
      • 造船技術が高く、バルト海交易で圧倒的な優位。
      • 東欧からの輸入…穀物輸入が食料価格の安定をもたらし、帆布や材木などの造船資材の輸入がさらなる造船業を発展させた。
      • 毛織物業・陶器業・醸造業など
      • 農業…大規模な干拓により耕地を拡大した近郊型農業。
      • 漁業

(4)オランダ東インド会社(連合東インド会社

  • ①成立:1602年、イギリス東インド会社(1600)に対抗するためこれまで生まれていたアジア貿易の会社を統合。
  • ②世界初の株式会社
  • ③ジャワ島のバタヴィアを拠点にして香辛料貿易を独占。
    • 香辛料がとれるモルッカ諸島へ到達し、アジア域内貿易の拠点マラッカにも進出。
    • アンボイナ事件(1623)…モルッカ諸島のアンボン島でおこったオランダとイギリスの紛争。オランダ商館員がイギリス商館員20名(うち日本人雇用者9名)を虐殺。→イギリスは東南アジアから撤退しインドに拠点を移す!
    • 南アフリカにケープ植民地を建設しインド航路をおさえる。

(5)アジア域内貿易の掌握

  • 対日貿易
    • 17世紀、貴金属産出地であった日本が貿易統制政策を実施。→オランダ以外のヨーロッパ勢力が排除され、オランダが日本銀の交易を掌握。
  • ②対中貿易
    • オランダは中国貿易でも優位に立ち、東アジアのネットワークに本格的に参入。
  • ③アジア内貿易
    • アジア各地に建設した商館を拠点に、インドの藍や綿布、東南アジアの香辛料、日本の銀などを入手し、これらを相互に交換する交易にあたる。
    • 明末の混乱に乗じて台湾も占領、ゼーランディア城を建設←1661年、鄭成功に攻略され追放される。

(6)オランダの覇権

  • ②環大西洋経済地域の頂点へ
    • 全世界に商業網を張り巡らせる。
    • アムステルダムが世界の商業・金融の中心となる。
  • ③文化や芸術の発展…自由主義と宗教的寛容が広がり、外国人学者が集まり国際的な文化が花開く。
    • a.グロティウス
      • 『海洋自由論』…オランダ中継貿易の発展を受けて海洋航行の自由を主張し、国際法による航海自由の原則確立に寄与。
      • 戦争と平和の法』…三十年戦争の悲惨さに衝撃を受け著述。国が有する自然権や戦時における各国の守るべき義務・権利などを述べ、国際法を体系化した。
    • b.デカルト…フランス出身。演繹法による合理的認識方法を主張。近代哲学の父。
    • c.スピノザ…合理的思考方法から汎神論にいたり、この世は神と同一であるとする。
    • d.ライプニッツ…単子論。世界は宇宙を内包する存在である単子(モナド)がそれぞれに独立しながら無数に集まって構成されているとした。

(7)オランダの衰退

  • ①根本的な原因
    • 連邦制による中央集権化の弱さ。
    • 経済基盤が中継貿易で製造業は脆弱(cf.毛織物業→賃金が高く国際競争力を失う)
  • ②外国からの圧力
    • 17世紀後半における3回にわたる英蘭戦争・ルイ14世の介入(南ネーデルラント継承戦争とオランダ侵略戦争。)
  • ③世界市場の変化
    • オランダ商人が独占していた香辛料の人気がなくなり、インド産綿布・中国産茶がもてはやされる。

5.イギリス テューダー朝ステュアート朝ハノーヴァー朝

5-1.イギリスの宗教改革主権国家の成立

5-1-1.テューダー朝
  • ①ヘンリ7世(在位1485~1509)
    • 1485 バラ戦争をおさめてテューダー朝を創始。 集権国家の基礎を築く。
    • 1497 ジェノヴァ人カボットの北米沿岸探検を後援
    • ☆星室庁裁判所について
    • 身分の高い者を裁く国王直属の星室庁裁判所はウェストミンスター宮殿の「星の間」で開催され王権の象徴とされていた。かつての教科書ではヘンリ7世が設立したものとされていたが、2015年の山川用語集ではヘンリ8世が整備したと叙述されている。
  • ②ヘンリ8世(在位1509~47)
    • a.イギリス国教会の創設
      • 背景…最初の妻カザリンとの離婚を認めない教皇クレメンス7世と対立。
      • 国王至上法(首長法)…イギリス国王を「国教会の最高の首長」と定めた法律。イングランド教会はカトリックから分離独立し、イギリス国王に従属することになった。
      • 結果
        • ローマ教皇庁に納められていた十分の一税などが国王の収入とされ財政基盤が強化。
        • 修道院を解散し膨大な土地と財産を没収。→売却された土地を取得した新興地主はジェントリと呼ばれる。
        • Cf.ジェントルマン階級…上流貴族とジェントリ(身分的には平民)により構成されたイギリスの支配階級。始めは膨大な地代収入を基盤とし、19世紀半ばからは主に内外の証券投資によって生活した。政治や文化活動、社会奉仕などの指導的立場に立った。
    • b.第一次囲い込み
      • 背景:世界市場であったアントウェルペンへの毛織物輸出が急速に成長し、原料の羊毛を生産するための牧羊地が必要。
      • 影響
        • 暴力的に土地を追われた農民たちの浮浪化・極貧化が問題となり政府は囲い込み禁止令を出す。
          • Cf.第二次囲い込みは穀物増産のため公的に行われたことが相違点として重要。
      • トマス=モアは『ユートピア』で「羊が人間を食う」と囲い込みを批判。王の離婚に反対し、処刑される。
  • ④メアリ1世(在位1553~58)
    • ☆スペイン国王フェリペ2世との結婚による影響→国民の反発
      • カトリック復興 →新教徒を弾圧し「血まみれのメアリ」と呼ばれる。
      • ハプスブルク家VSフランスの戦争に加担し、カレーを喪失する。
  • エリザベス1世(在位1558~1603)
    • a.内政
      • 1559 統一法…イギリス国教会の祈禱や礼拝の統一はかる。メアリ1世時のカトリック復帰による混乱をおさめ、国教会が確立。
      • 1601 救貧法…従来はカトリックが救貧活動を担っていたが、宗教改革者は救貧には批判的。宗教改革後のイギリスではジェントリが勃興する一方、貧民が増加。このため教区の責任で救貧を行う制度が整備された。
    • b.外政
      • 1577 ドレークの世界周航(~80)
      • 1584 ウォルター=ローリの北米ヴァージニア植民(失敗)→女王死後1607年タバコ栽培により発展
      • 1588 アルマダ海戦フェリペ2世治下のスペインを撃破。
      • 1600 イギリス東インド会社 ←輸出不況による失業者増加解決のためアジアとの直接交易を目指す
    • c.文化
5-1-2.イギリス国教会
  • ①特色:カルヴァン主義を採用しているが、司祭(主教)制を維持し礼拝や儀式はカトリックに類似。
  • ②意義:国王を頂点とした主権国家・新教国としての国民意識
    • →国王を中心にした国教会は、ローマ教皇やスペインの干渉を排し、人々が政治的・経済的・文化的にイギリス人としてまとまるのに役立つ。

5-2.イギリス革命

  • ジェームズ1世(在位1603~25)
    • ステュアート朝の始まり:1603年エリザベス1世(処女王)の死でテューダー朝断絶。スコットランドからジェームズが招かれ即位。
    • 専制政治
      • フィルマーの王権神授説を信奉 → 議会無視の政治 →1620年、弾圧されたピューリタン(ピルグリム=ファーザーズ)がメイフラワー号で北米に移住。
  • ②チャールズ1世(在位1625~49)
    • a.議会の反発…1628年、専制政治に反対して権利の請願を可決→議会の同意なしに課税したり、法によらず逮捕したりしないことを約束させられた。
    • b.国王VS議会
      • 1629年:王が議会を解散 → 以後11年間、無議会時代へ
      • 1639年:王がスコットランドに国教を強制 → 反乱発生
      • 1640年
        • 4月 戦費調達のため、議会を招集 →激しく対立し3週間で解散(短期議会)
        • 11月 再び議会を招集(~1453年:長期議会)→対立がより深刻。
    • c.内戦
      • 1642年Civil War勃発 
      • 1643年クロムウェル鉄騎隊(厳格なピューリタン道徳に基づく規範の厳しい軍)を編成
      • 1645年ネーズビーの戦いで王党派を撃破!
    • d.議会派の分裂 →独立派が水平派とともに長老派を追放(次いで独立派は水平派も弾圧)
      • 長老派 :大地主・富裕商人が母体。立憲王政を目指す。
      • 独立派 :独立自営農民・商工業者が母体。共和政を目指す。
      • 水平派 :貧農・小作農・職人が母体。財産と参政権の平等を目指す(急進)。
    • e.国王の処刑…1649年、チャールズ1世が処刑され共和政へ →(1640/42~49ピューリタン革命)
  • ③イギリス共和政(1649~60)
    • 1649 アイルランド征服…クロムウェルアイルランドを王党派の拠点として征服。
      • →イギリス人不在地主が3分の2の土地を所有し、アイルランド人が貧農として搾取される体制が構築。
    • 1650 スコットランド征服…チャールズ2世がスコットランドに上陸したためクロムウェルが征服。
      • →翌1651年にチャールズ2世はフランスへ亡命。
    • 1651 航海法…中継貿易で繁栄するオランダに打撃を与え、イギリス貿易の保護・促進を目的とした。イギリス⇔植民地・ヨーロッパ間の貿易において、イギリスか相手国本国の船を利用することを定め、オランダ船の排除を狙った。→英蘭戦争(第一次:1652~54) 勃発。
    • 1653 クロムウェル独裁 → 終身の護国卿に就任して、軍事独裁を行う。
    • 1658 クロムウェル死亡 → 護国卿政権が崩壊
    • 1660 長老派の主導により王政復古
  • ④チャールズ2世(在位1660~85)
    • a.王政復古…仏に亡命中、ルイ14世の影響でカトリックを信仰したチャールズ2世が国王専制の復活を目指す。
    • b.議会の対応  
      • 審査法(1673)…国教徒以外の者が公職に就くことを禁じる。
      • 人身保護法(1679)…不法な逮捕を禁じる。
    • c.政党の誕生 → 次王チャールズ2世の即位をめぐる対立。
      • トーリ党…即位に賛成する王権尊重グループ → 後の保守党
      • ホイッグ党…即位に反対するグループ。後の自由党
    • d.第二次・第三次英蘭戦争(1665~67、72~74)
  • ⑥メアリ2世(在位1689~94)とウィリアム3世(在位1689~1702)の共同統治
    • a.即位:メアリとウィレムが王権を制限する「権利の宣言」を受け入れて共同統治の王(メアリ2世とウィリアム3世)として即位。
    • b.権利の章典…「権利の宣言」を若干補足した議会制定法。議会が同意しない課税や法律の否定、恣意的な逮捕・裁判の禁止など従来の権利を確認し、カトリックの国王即位を禁じた。議会の王権に対する優越を明確にし、立憲君主制の基礎となった。 → 名誉革命(1688~89)

5-3.ハノーヴァー朝(現在の王室:WWⅠの勃発によりウィンザー朝と改称)の成立

  • ジョージ1世(在位1714~27)
    • a.即位:ステュアート朝の断絶後、ジェームズ1世の曾孫であるドイツのハノーヴァー家のゲオルグが招かれて即位。英語やイギリスの慣習をあまり解せず、内政にも関心が低かったので責任内閣制の確立と発展につながった。
    • b.責任内閣制:内閣が議会の信任を受けて組織され、議会に対して責任を負う制度。ホイッグ党ウォルポールが議会多数の支持を失った際、国王の慰留にもかかわらず辞職したことが成立の発端。→「王は君臨すれども統治せず」

5-4.「イギリスの商業革命」と生活革命

内戦の混乱という危機を脱したイギリスはオランダの覇権に挑戦

  • ①「イギリスの商業革命」…ヨーロッパ国内に限られていた交易がアメリカやアジアに劇的に広がった。
    • 北米:ヴァージニア植民地ジェームズタウン・ピルグリム=ファーザーズのニューイングランド・ニューアムステルダムを占領(→NY)
    • 南米:ジャマイカ領有→黒人奴隷を使用してサトウキビプランテーションを経営。
    • アジア:アンボイナ事件により東南アジアから撤退しインド経営に転換
  • ②生活革命…茶や綿織物、砂糖やタバコ等の商品がヨーロッパ外から大量にもたらされイギリス人の生活が急速に変化。
  • ③製造業の発展…植民地が工業製品の大市場となる。

6.フランス ~ヴァロワ朝ブルボン朝

(1)ヴァロワ朝重要君主まとめ

  • フィリップ6世(位1328-50)…カペー朝断絶後即位。英のエドワード3世に継承権を主張され百年戦争開始
  • シャルル7世(位1422-61)…ジャンヌ=ダルクに救出された後、正式に戴冠。百年戦争に勝利。
  • シャルル8世(位1483-98)…反抗貴族を抑え集権化を行う。イタリア戦争開始。
  • フランソワ1世(位1515-47)…ハプスブルク家のカール5世と争う。オスマン帝国と同盟。

(2)ユグノー戦争

(3)ブルボン朝フランス

  • アンリ4世(位1589~1610)
    • a.宗教戦争終結させ国家統一を推進
      • 主権国家としての形を整備…中小貴族を官僚として登用し、大貴族の勢力を抑え、地方には監視のため国王役人を派遣。→フランス人は「一つの国民」としてのまとまる方向へ(国民の統合)
    • b.海外進出の開始
  • ルイ13世(位1610~43)
    • a.絶対王政の推進:1615 三部会を解散(以後1789年まで開催されず)
    • b.宰相リシュリー
      • 内政:ユグノーと貴族の力を削いで王権強化を目指す。
      • 外政:ハプスブルク家打倒を目指す → 新教側を支援してドイツ三十年戦争に介入。
      • 文化:アカデミー=フランセーズを創設 → フランス語の統一など文化統制をはかる。

7.ドイツ三十年戦争

(1)16世紀以降の東欧

  • ①世界的な分業体制→東欧は、商工業が発展した西欧への食料供給地となる。
  • ②グーツヘルシャフト(農場領主制)…エルベ川以東で発展した農業形態。主に西ヨーロッパ向けの輸出用穀物栽培を目的に、領主(グーツヘル)は農民保有地を奪って直営地を増やし、農民への賦役労働を強化した。
    • a.再版農奴制…プロイセンを中心に東欧で広がった農民支配強化の状況。グーツヘルシャフト拡大のなか、領主の農民に対する賦役労働や人格的支配が強化された。
    • b.ユンカー…エルベ川以東に住む地主貴族の呼称。グーツヘルシャフトの経営で富を得、18世紀以降プロイセンの官僚・軍隊の中心勢力として保守層を形成。WWⅡ後、土地改革により消滅。

(2)ドイツ三十年戦争

ボヘミア反乱 (1618~23)
デンマーク戦争 (1625~29)
スウェーデン戦争(1630~35)
フランスの参戦(1635~48)

(3)ウェストファリア条約(1648)

8.プロイセン

(1)三十年戦争後のドイツ地域

(2)プロイセン王国成立までの流れ

(3)プロイセン重要君主

  • フリードリヒ=ヴィルヘルム1世(位1713~40)
    • a.経済…財政改革・産業振興・徹底した国庫中心主義。国家経営を外国依存から解放。
    • b.政治…貴族の政治的無力化を推進。領主貴族ユンカーを官僚・将校とする。
    • c.軍事…軍隊強化に力を入れ、兵員数を倍加 → 「兵隊王」

9.オーストリア

(1)ハプスブルク家の再興

(2)オーストリア重要君主

  • ①マリア=テレジア(位1740~80)
    • a.オーストリア継承戦争(1740~48) 【英・墺】VS【バイエルンザクセン・普・仏・西】
      • a-1)背景:カール6世は男子相続者が絶えたため、王位継承法(プラグマティシュ=ザンクティオン)を制定し、娘のマリア=テレジアに全領土を継がせようとした。
      • a-2)契機:カール6世死後、ハプスブルク家の弱体化を狙うプロイセンブルボン家のフランスとスペイン、ハプスブルク家皇女を妃に持つバイエルン選帝侯が、マリア=テレジアの継承に抗議。
      • a-3)オーストリアの危機
      • a-4)オーストリアの巻き返し
        • マリア=テレジアの果敢な抵抗
        • イギリスの支援(イギリスは植民地獲得戦争を優位に進めるため、フランスの兵力をヨーロッパ内にとどめておこうとする)
      • a-5)アーヘンの和約…シュレジエンはプロイセン領となったが、マリア=テレジアはそれ以外のハプスブルク家領をほぼ継承することが認められた。
    • b.シュレジエン奪還を目指して!
      • b-1)国内改革…中央・地方行政や軍制の改革を断行し、オーストリアを強国に成長させる。
      • b-2)外交革命…ハプスブルク家が宿敵ブルボン家と同盟関係に転換。
        • 三枚のペチコート同盟…仏ルイ15世の愛妾ポンパドゥール、ロシア女帝エリザヴェータとの同盟。
    • c.七年戦争(1756~63) 【墺・仏・露・西】VS【普・英】
      • c-1)契機:「外交革命」の機先を制してフリードリヒ2世から開戦。
      • c-2)戦況の転換:62年にロシアのエリザヴェータ2世が死去し、親フリードリヒ2世のピョートル3世が即位。オーストリアが不利になる。
      • c-3)結果:フベルトゥスブルク条約
    • d.七年戦争の裏側 → 七年戦争と並行してイギリスとフランスは植民地争奪戦を展開していた。(※第二次英仏百年戦争で詳述する)
  • ヨーゼフ2世(位1765~90) 
    • a.1765~80 母マリア=テレジアとハプスブルク家領を共同統治 →第1回ポーランド分割に参加
    • b.1780~ 単独支配
      • 農奴解放令(1781)…農奴の人格的自由を認める。賦役などの義務は有償廃止であり土地緊縛は続いた。
      • 宗教寛容令(1781)…プロテスタントや正教徒に信仰の自由を認め、ユダヤ人の待遇も改善。
      • 挫折 → 中央集権化が貴族や支配地域内の諸民族の反発を招き、改革は挫折
        • 「善良な意志にもかかわらず万事失敗に終わった人、ここに眠る」(墓碑銘)