1.16世紀中頃 「カール5世の挫折」の歴史的意義
(1)皇帝の普遍的権威が失墜
(3).世界システム
- 個々の国家を強化して、世界的な分業体制の中で、地位を高めようとするようになる。
2.スペイン=ハプスブルク朝
2-1.カルロス1世 (位1516~1556) ※皇帝としてはカール5世(位1519~1556)
2-2.フェリペ2世 (位1556~1598)
2-3.スペインを衰退させた要因
(1)オランダ独立戦争
(2)私拿捕船からの攻撃
- ①私拿捕船とは、国の許可を受け、敵国植民地や船を略奪する民間船のこと。
- ②イギリスのドレークは私拿捕船でスペイン植民地や船を略奪して金銀などを奪う→アルマダ海戦の一因
3.「17世紀の危機」
(1)状況
(2)原因
- ①16世紀における人口激増による食料・原料・燃料などの需要増加のための価格高騰。
- ②気候の寒冷化による農業不振(ヨーロッパ北部で小麦・ブドウ栽培ができなくなる)。
4.17世紀オランダの覇権
(1)アントウェルペンの発展
(2)オランダ独立戦争
(4)オランダ東インド会社(連合東インド会社)
(5)アジア域内貿易の掌握
(6)オランダの覇権
- ①南北アメリカへの進出
- 北米
- ニューネーデルラント植民地…17世紀前半、北アメリカのハドソン湾河口に建設される。第二次英蘭戦争のブレダ条約で英領。
- ニューアムステルダム…1625年、ニューネーデルラントのマンハッタン島建設。交易で栄える。1664年にイギリスに奪われ、今日のニューヨークとなる。
- 南米
- 北米
- ②環大西洋経済地域の頂点へ
- 全世界に商業網を張り巡らせる。
- アムステルダムが世界の商業・金融の中心となる。
- ③文化や芸術の発展…自由主義と宗教的寛容が広がり、外国人学者が集まり国際的な文化が花開く。
5.イギリス テューダー朝→ステュアート朝→ハノーヴァー朝
5-1.イギリスの宗教改革と主権国家の成立
5-1-1.テューダー朝
- ①ヘンリ7世(在位1485~1509)
- 1485 バラ戦争をおさめてテューダー朝を創始。 集権国家の基礎を築く。
- 1497 ジェノヴァ人カボットの北米沿岸探検を後援
- ☆星室庁裁判所について
- 身分の高い者を裁く国王直属の星室庁裁判所はウェストミンスター宮殿の「星の間」で開催され王権の象徴とされていた。かつての教科書ではヘンリ7世が設立したものとされていたが、2015年の山川用語集ではヘンリ8世が整備したと叙述されている。
- ②ヘンリ8世(在位1509~47)
- ④メアリ1世(在位1553~58)
- ⑤エリザベス1世(在位1558~1603)
- a.内政
- b.外政
- c.文化
5-2.イギリス革命
- ①ジェームズ1世(在位1603~25)
- ②チャールズ1世(在位1625~49)
- a.議会の反発…1628年、専制政治に反対して権利の請願を可決→議会の同意なしに課税したり、法によらず逮捕したりしないことを約束させられた。
- b.国王VS議会
- 1629年:王が議会を解散 → 以後11年間、無議会時代へ
- 1639年:王がスコットランドに国教を強制 → 反乱発生
- 1640年
- 4月 戦費調達のため、議会を招集 →激しく対立し3週間で解散(短期議会)
- 11月 再び議会を招集(~1453年:長期議会)→対立がより深刻。
- c.内戦
- d.議会派の分裂 →独立派が水平派とともに長老派を追放(次いで独立派は水平派も弾圧)
- 長老派 :大地主・富裕商人が母体。立憲王政を目指す。
- 独立派 :独立自営農民・商工業者が母体。共和政を目指す。
- 水平派 :貧農・小作農・職人が母体。財産と参政権の平等を目指す(急進)。
- e.国王の処刑…1649年、チャールズ1世が処刑され共和政へ →(1640/42~49ピューリタン革命)
- ③イギリス共和政(1649~60)
- 1649 アイルランド征服…クロムウェルがアイルランドを王党派の拠点として征服。
- →イギリス人不在地主が3分の2の土地を所有し、アイルランド人が貧農として搾取される体制が構築。
- 1650 スコットランド征服…チャールズ2世がスコットランドに上陸したためクロムウェルが征服。
- →翌1651年にチャールズ2世はフランスへ亡命。
- 1651 航海法…中継貿易で繁栄するオランダに打撃を与え、イギリス貿易の保護・促進を目的とした。イギリス⇔植民地・ヨーロッパ間の貿易において、イギリスか相手国本国の船を利用することを定め、オランダ船の排除を狙った。→英蘭戦争(第一次:1652~54) 勃発。
- 1653 クロムウェル独裁 → 終身の護国卿に就任して、軍事独裁を行う。
- 1658 クロムウェル死亡 → 護国卿政権が崩壊
- 1660 長老派の主導により王政復古
- 1649 アイルランド征服…クロムウェルがアイルランドを王党派の拠点として征服。
- ④チャールズ2世(在位1660~85)
- ⑤ジェームズ2世(在位1685~1688)
- ⑥メアリ2世(在位1689~94)とウィリアム3世(在位1689~1702)の共同統治
- ⑦アン(在位1702~14)
- スペイン継承戦争(1701~13)でルイ14世と戦う。
- スコットランドを併合(1707)し、グレートブリテン王国となる。
- 子どもが全て夭折したため、アンの死後ステュアート朝断絶
5-4.「イギリスの商業革命」と生活革命
内戦の混乱という危機を脱したイギリスはオランダの覇権に挑戦
6.フランス ~ヴァロワ朝→ブルボン朝~
(1)ヴァロワ朝重要君主まとめ
(2)ユグノー戦争
(3)ブルボン朝フランス
- ①アンリ4世(位1589~1610)
- ②ルイ13世(位1610~43)
- ③ルイ14世(位1643~1715)
- a.宰相マザランの時代
- b.親政時代(1661~) ボシュエの王権神授説を信奉し「朕は国家なり」と称す。
- c.「自然国境説」を論拠に対外拡張策を展開
- 南ネーデルラント継承戦争 1667~68
- 西領ネーデルラントを巡る争い。西王死去を機に西王女を妃に持つルイ14世が継承権を主張して侵攻。
- 脅威を感じたオランダがイギリスと共に出兵、ルイ14世はフランドルの一部を獲得するのみで戦争終結。
- オランダ侵略戦争 1672~78
- 南ネーデルラント継承戦争で敵となったオランダにルイ14世が侵略。
- 西、墺、英が蘭側につき仏は多少の領土を得て撤退。
- ファルツ継承戦争(アウクスブルク同盟戦争) 1688~97
- ルイ14世が義妹の血縁を背景に神聖ローマ帝国内ファルツ選帝公の領土継承を主張して侵攻。
- 神聖ローマ帝国は英、西、蘭と共に対抗。仏はほとんど成果なし。
- スペイン継承戦争 1701~13/14
- 断絶した西王位継承権をめぐる国際戦争。西王女を妃に持つルイ14世が孫をフェリペ5世として西王位につけたため、諸国が反発し戦争勃発
- 南ネーデルラント継承戦争 1667~68
- d.1713年 ユトレヒト条約
- e.1714年 ラシュタット条約:フランスとハプスブルク家の講和
- f.晩年…度重なる戦争と宮廷の浪費で財政が悪化。
- ④ルイ15世(位1715~74)
- a.オーストリア継承戦争、七年戦争へ参戦し国力を消耗。
- b.七年戦争期の植民地争奪戦でイギリスに敗北し多くの植民地を失う。
- c.寵愛する女性たちの政治干渉を許し国政は混乱。財政難。
- d.フランス王権の衰退
7.ドイツ三十年戦争
(1)16世紀以降の東欧
8.プロイセン
(2)プロイセン王国成立までの流れ
(3)プロイセン重要君主
- フリードリヒ=ヴィルヘルム1世(位1713~40)
- a.経済…財政改革・産業振興・徹底した国庫中心主義。国家経営を外国依存から解放。
- b.政治…貴族の政治的無力化を推進。領主貴族ユンカーを官僚・将校とする。
- c.軍事…軍隊強化に力を入れ、兵員数を倍加 → 「兵隊王」
- フリードリヒ2世(大王) (位1740~86)
9.オーストリア
(2)オーストリア重要君主
- ①マリア=テレジア(位1740~80)
- a.オーストリア継承戦争(1740~48) 【英・墺】VS【バイエルン・ザクセン・普・仏・西】
- a-1)背景:カール6世は男子相続者が絶えたため、王位継承法(プラグマティシュ=ザンクティオン)を制定し、娘のマリア=テレジアに全領土を継がせようとした。
- a-2)契機:カール6世死後、ハプスブルク家の弱体化を狙うプロイセン、ブルボン家のフランスとスペイン、ハプスブルク家皇女を妃に持つバイエルン選帝侯が、マリア=テレジアの継承に抗議。
- a-3)オーストリアの危機
- a-4)オーストリアの巻き返し
- マリア=テレジアの果敢な抵抗
- イギリスの支援(イギリスは植民地獲得戦争を優位に進めるため、フランスの兵力をヨーロッパ内にとどめておこうとする)
- a-5)アーヘンの和約…シュレジエンはプロイセン領となったが、マリア=テレジアはそれ以外のハプスブルク家領をほぼ継承することが認められた。
- b.シュレジエン奪還を目指して!
- c.七年戦争(1756~63) 【墺・仏・露・西】VS【普・英】
- d.七年戦争の裏側 → 七年戦争と並行してイギリスとフランスは植民地争奪戦を展開していた。(※第二次英仏百年戦争で詳述する)
- a.オーストリア継承戦争(1740~48) 【英・墺】VS【バイエルン・ザクセン・普・仏・西】