中世ヨーロッパ史【4】中世ヨーロッパ各国史

1.イギリス史

(1)古代ブリタニア

(2)イングランドの成立

  • ①アングロ=サクソン朝
    • 5世紀後半よりアングロ=サクソン人が渡来し、ケルト系先住民を圧迫しながら部族国家を形成。
    • ウェセックス王エグバードが七王国(ヘプターキー)を統一。アルフレッド大王はデーン人の侵入を撃退。
  • ②デーン朝(1016-1042)
    • クヌートイングランドを征服。デンマークの王位も継承し、ノルウェーも支配して「北海帝国」を築いた。
    • クヌート死後は衰退し、後にアングロ=サクソン朝が復興。
  • ノルマン朝(1066-1154)
    • ノルマンディー公ウィリアムがハロルド2世をへースティングズの戦い(1066)で破って征服。
    • 反抗貴族の土地を没収して土地台帳を作成。王権の強力な封建制度が敷かれる。

(3)プランタジネット朝(1154-1399)

  • ヘンリ2世(位1154-1189)
    • ノルマン朝断絶後、相続関係から仏からアンジュー伯アンリが渡英してヘンリ2世として即位。
    • フランスの西半部分を領有しアンジュー帝国を形成。
  • ジョン(位1199-1216)
    • 仏王フィリップ2世と争い、大陸の領土の大半を喪失。
    • カンタベリ大司教任命問題で教皇インノケンティウス3世から破門される。
    • 戦費を諸侯に負担させようとしたため、反抗されマグナ=カルタを承認させられる。
      • マグナ=カルタ(大憲章)の歴史的意義→内容は慣習的に認められていた封建的特権を再確認するもの。諸侯による課税審議などの側面が王権を制約したとしてイギリス立憲政治の基礎とされた。
  • ヘンリ3世(位1216-1272)
    • 重税などでマグナ=カルタを無視したため、シモン=ド=モンフォールの反乱を招く
    • シモン=ド=モンフォールが旧来の諸侯の会議に州代表(騎士・市民)を加えた議会を招集したことから、イギリス議会の起源とされる。
  • エドワード1世(位1272-1307)
    • シモン=ド=モンフォールを打倒。聖俗諸侯・州・都市代表を招集し議会を開く。この議会は当時の身分制社会を「模範」的に反映していたので、模範議会と呼ばれる。

(4)身分制議会

☆身分制議会とは西欧中世末期に設置された国王の諮問機関。国王の召集で身分別に集会をひらく。

  • ①王権を制約する側面
    • 課税承認権(審議権)…戦費などを目的とした国王の課税要求の交渉・承認を行う。
  • ②王権を伸張させた側面
    • すべての身分に関わる公共の事柄については、国王による課税を認める。→王権の伸張を促し、国王による主権国家形成の第一歩となる。

2.フランス史

(1)西フランク王国

(2)カペー朝(987-1328)

  • ①王権弱体期
    • 987年、パリ伯ユーグ=カペーが国王に選出されカペー朝成立。王権はパリ周辺に限定され、各地に大小の諸侯が分立する封建国家。
    • 南フランスには王権が及ばず。
    • イギリス領の存在…1066年に英王となったノルマンディー公領。
      • 英王だがノルマンディー公としては仏王の臣下。
      • ノルマンディー公位を継承し、1154年に英王となったアンジュー伯領など、広大な英領がフランスの内部に存在。
  • ②王権伸張期
    • フィリップ2世(位1180-1223)
      • 第三回十字軍に参加(途中帰国)
      • アルビジョワ十字軍(南仏の異端カタリ派)派遣→王権伸張
      • 英王ジョンを破り足り区の英領の大半を奪う。
    • ルイ9世(位1226-1270)
      • アルビジョワ十字軍を完成 → 南仏にも王権が拡大
      • 修道士ルブルックをモンゴル帝国(都市カラコルム)に派遣
      • 第6回・第7回十字軍を行う → 第7回の途上で病死
      • ギュイエンヌ地方(ワインの産地)は英から奪えず
    • フィリップ4世(位1285-1314)
      • 聖職への課税をめぐる教皇との対立から三部会を開いて各身分の支持を得る。
      • 教皇ボニファティウス8世を襲撃、監禁=アナーニ事件
      • 教皇庁を南仏のアヴィニョンに移す=「教皇のバビロン捕囚」
  • カペー朝の終焉と百年戦争の開始。
    • 1328年、フィリップ4世の三人の子どもたちが子をなさず王統断絶
    • フィリップ4世の甥フィリップ6世がヴァロワ朝を開始するがフィリップ4世の孫で英王のエドワード三世が王位継承権を主張→百年戦争の開始!

3.英仏百年戦争

(1)百年戦争の原因

  • ①根本的な英仏の対立
    • ノルマン=コンクエスト以来、英王家はイングランド王かつフランス内部に封臣として領土を保有。複雑な英仏関係が発生
    • 大陸の重要地点をめぐって抗争
      • フランドル地方…毛織物工業の中心地で英産羊毛の輸出先。
      • ギュイエンヌ地方…ワインの産地でイギリス領。
  • ②直接的なきっかけ
    • カペー朝断絶後ヴァロワ朝を創始したフィリップ6世がギュイエンヌ地方の没収宣言 → 英王エドワード3世は母親がカペー家出身であったので王位継承権を主張!

(2)戦争の経緯

前期
  • イギリスの優勢
    • クレシーの戦い…1346年8月。エドワード3世の英軍長弓隊が、フランス重装騎兵とジェノヴァ人傭兵クロスボウ部隊を撃破。英軍は初めて大砲を使用。
    • ポワティエの戦い…1356年。エドワード黒太子率いる長弓と歩兵の混成軍がフランス王ジャン2世の率いる騎士軍を撃破。ジャン2世は捕虜となった。
  • ペストの流行…黒死病。1348年からの大流行は人口の3分の1を失わせ、農業人口の激減による社会・経済の混乱を招いた。人々の死生観にも影響を与えた。→絵画「死の舞踏」
  • 農民反乱
    • 仏:ジャックリーの乱(1358)……仏北部一帯で発生。百年戦争における重税と傭兵の略奪を原因として起こる。ジャックとは農民の蔑称。
    • 英:ワット=タイラーの乱(1381)…イギリス東南部で発生。百年戦争の戦費のために課された人頭税が原因。ワット=タイラーはリチャード2世に人頭税農奴制の廃止を約束させたが、殺害されて一揆は崩壊した。
      • ジョン=ボール…ワット=タイラーの乱の思想的指導者。名言「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰が領主であったか」
中期

国王派と親英派に分かれたフランス諸侯間の戦い

後期
  • ジャンヌ=ダルクの活躍
    • オルレアンの包囲を解いてシャルル7世を救出し正式な戴冠式を実現させた(1429)。
    • 1930年に捕縛され英軍に引き渡された後、宗教裁判で異端宣告され火刑。
  • 終結…1453年、フランスが逆転勝利。カレーを除いてイギリス軍を駆逐。

(3)百年戦争後のフランス →長期間の戦争で諸侯が没落し、大商人と結んだ王権の伸張が進む。

  • ①シャルル7世…大商人シャック=クールを財務官に登用。戦費調達のため徴税制度を整備。
  • ②シャルル8世…反抗貴族をおさえ中央集権化を推進。対外的にはイタリア戦争。

(4)百年戦争後のイギリス →ばら戦争で王位継承争い!

  • ②戦争の結果
    • 参加した多くの貴族・諸侯は疲弊・没落。テューダー朝が集権国家を形成するきっかけとなる。
    • ※星室庁裁判所について…かつては反抗貴族を処罰する象徴として王権が強化されたヘンリ7世時代に設立されたと考えられていた。しかし現在はヘンリ8世が整備したという説もあり教科書によって記述が異なるので注意が必要である。

4.ドイツ史

カロリング家の断絶

  • 選挙王制…911年、カロリング家の血統が断絶 → 諸侯によう選挙で国王を選出
    • 国王と諸侯との封建的主従関係による「分立した王国」へ

ザクセン

  • ハインリヒ1世(位919~936)
    • ノルマン人・マジャール人・スラブ人の侵入を撃退
    • 選挙王制だったが、諸侯がザクセ家の王位世襲を認める → ザクセン朝のはじまり。

ザリエル朝

シュタウフェン朝

  • フリードリヒ1世(位1152~1190) 赤髭王バルバロッサ
    • 積極的にイタリア政策を展開 → 北イタリア諸都市の結成したロンバルディア同盟に敗北。
    • 英王・仏王と第三回十字軍に参加 →遠征先の川で溺死。

大空位時代

ルクセンブルク

  • カール4世(位1347~1378)
  • ジギスムント(位1411~1437)
    • コンスタンツ公会議を主宰
      • →聖書中心主義により教会を批判したフスを処刑 → フス派によるフス戦争に発展。
      • 教会大分裂(ローマとアヴィニョン教皇が並び立つ状態)を終わらせる。

ハプスブルク

5.東欧と北欧

(1)東欧の状況

  • ポーランド…ヤギェウォ(ヤゲウォ/ヤゲロー)朝(1386~1572)
    • 1386年、リトアニア大公ヤゲウォがポーランド女王ヤドヴィガと結婚しリトアニア=ポーランド王国が生まれる。
    • 1410年、タンネンベルクの戦いドイツ騎士団を撃破し、地位を確立。
    • 1572年、ヤゲウォ朝断絶→その後貴族達による選挙王制で内紛が続きポーランド分割により国家が消滅。

(2)北欧の状況

6.分裂時代の中世イタリア

(1)都市共和国の台頭

自治権を持ち、市民が市政を運営する領域都市国家の分立

(2)ローマ教皇

ピピンの寄進」を基礎とするローマ教皇の領土。インノケンティウス3世の時代に最大版図。皇帝との対立やアヴィニョン移転などにより拡大・縮小を繰り返した。現在はヴァチカン市国のみ残る。

(3)両シチリア王国

(4)皇帝のイタリア政策

  • 962年のオットー1世の戴冠以降、歴代皇帝がイタリアに介入政策を行う。
  • 皇帝からの干渉に対抗してロンバルディア同盟が結成され抵抗 → 盟主ミラノ

(5)教皇党VS皇帝党

7.イベリア半島

(1)イスラーム王朝の支配

(2)レコンキスタの進展とキリスト教

(3)スペイン王国の成立とレコンキスタの完成