戦後中国史

1.国共内戦中華人民共和国の成立

1945年

  • 9月2日、日本、降伏文書調印
    • ‣日本降伏後、国民党の腐敗と独裁に批判が出ており国家統一の在り方をめぐり国共対立。
  • 10月10日、双十協定
    • ‣国民党と共産党が結んだ停戦協定。国内和平・内戦回避などに合意した。
  • 11月、国共内戦始まる
    • ‣停戦協定が結ばれていたが、国民党はそれを破り、アメリカの支援を受けて攻勢。

1946年

  • 1月…国共停戦協定 → 政治協商会議
    • ‣米前参謀総長マーシャルの介入で停戦し、国共両党および少数党派、団体の代表が重慶に集まり開催した会議。平和に基づく建国の方針を確認した。
  • 7月…国共内戦本格化:国民党が停戦協定を破棄
    • ‣国民党の動き…総兵力でまさり、アメリカの支援も受けて軍事的に圧倒的優位。
      • 民衆の反発…国民党幹部が腐敗し、深刻なインフレが生活を圧迫し、反発。
      • 民族資本家の反発…米国からの借款・援助は米国資本に中国市場を開放したので不満。
    • 共産党の動き
      • 新民主主義…半植民地・半封建の性質を持つ中国社会において、当面の革命は資本主義を目指すブルジョワ民主主義革命でもなく、社会主義をめざすプロレタリア革命でもない。帝国主義勢力や封建勢力からの解放が必要で共産党労働者階級が指導しながらも、農民階級や他の民主主義勢力と協力して革命を進めるという新しい形の革命。

1947年

  • 1月 中華民国憲法…南京に遷都した国民政府が国共内戦の最中に施行。
  • 3月 人民解放軍創設
  • 10月 中国土地法大綱:地主の土地所有を廃止し、農民に耕地を与える土地均分化を徹底。土地を獲得した農民は内戦を地主に対する戦いとみなし、人民解放軍にぞくぞくと加わる。
    • 人民解放軍は47年半ばから反抗。49年末までに中国全土を解放。

1949年

  • 9月、人民協商会議
    • ‣北京において勝利を目前にした共産党が開催した会議。共産党の他、民主諸勢力、中小ブルジョワジー、知識人を代表する様々な党派の代表が集まり、新国家の体制について協議した。
      • 労働者階級を指導者とし、労農同盟を基礎とする。
      • ブルジョワ民主主義者と国内各民族も団結させて、反封建・反帝・反官僚資本を唱え、統一中国の平和と民主主義のために闘うことが示される。
  • 10月1日、中華人民共和国成立。
  • 12月、中華民国成立:蒋介石が台湾で建国。安保理常任理事国。71年に国連から追放。

2.中華人民共和国建国後の展開

新中国の統治方針…漸進的に社会主義へ移行

  • 農民に土地を分配して封建的な地主制を廃絶 → 1950年6月、土地改革法
  • 財閥に握られていた近代的工業を国営化、中小企業を育成。伝統的な家族制度の打破

1950年

  • 2月 中ソ友好同盟相互援助条約
    • ‣日本に対する共同防衛と中国の復興と建設のための経済援助を約束。
    • ‣見返りとして中国はモンゴル人民共和国の独立を追認した。
  • 6月 土地改革法…農民に土地を分配して封建的な地主制を廃絶
  • 10月 朝鮮戦争への義勇軍参戦

1951年

  • 三反五反運動:国家機関での三害(汚職・浪費・官僚主義)に反対し、五害(贈賄、脱税、国家資材の窃盗、手抜きと材料のごまかし、経済情報の盗み取り)に反対する運動。運動が大成功をおさめ、ブルジョワ的残滓のある新民主主義内部におけるプロレタリアートの勝利とされた。

1952年

  • 農工業が建国前の水準を上回る → 共産党、政治的支配を強める

1953年

  • 第一次五カ年計画(~57)→農業と手工業の集団化、社会主義的工業化が実施される。

1954年

3.大躍進の失敗

建国期

1958年 第二次五カ年計画 スタート

  • 「大躍進」…人間資本と精神主義に基づく生産増強運動
    • 人民公社…農村における生産活動と行政・教育活動等を一体化した組織。
    • 土法高炉による非科学的な鉄鋼増産
    • 無謀な農業政策…四害駆除運動、密植・深耕運動
  • 大躍進の結果
    • 工場労働者の疲弊と機械の消耗、農民の生産意欲の低下を招く
    • 1959年から3年連続の自然災害と大凶作→未曾有の経済困難が発生し、大量の餓死者が生まれる。
    • 毛沢東国家主席の座を劉少奇に譲る。

調整政策

  • 毛沢東らが進めていた大躍進政策が大量の餓死者を出して破綻したあと、劉少奇や鄧小平が行った経済政策。
  • 重工業建設のテンポを落とし、農業と工業生産の回復、農民の私有地を増やす。

毛沢東の逆襲

4.文化大革命

文革の背景

  • 1949 中華人民共和国建設
  • 1953~57 第一次五カ年計画 → 強引な工業化、農業集団政策
  • 1958 第二次五カ年計画 「大躍進」失敗 
  • 1958 毛沢東国家主席の座を劉少奇に譲る。
  • 1961~ 調整政策
    • 劉少奇、鄧小平らが中心となり農業と軽工業生産の回復を行う。
    • 毛沢東の巻き返し;社会主義段階においても階級闘争が存在し、党や国家の幹部に残存するブルジョワ思想を取り除く革命を継続すべきだという信念を固める。
      • 修正主義化を防止する為、党内の資本主義復活をはかる実権派(走資派)から権力を奪取する権力闘争を展開!!

1966 プロレタリア文化大革命 !!

  • ①奪権闘争期
    • 大衆動員を図り紅衛兵組織→「造反有理」(謀反には理由がある)をスローガンに旧文化破壊
    • 1968年 劉少奇失脚 → 毛沢東の権力は回復するが、奪権闘争に勝利した後の方向性を示すことが出来ず。造反する学生、労働者、兵士は毛沢東思想を権威として暴走!! 
  • 林彪事件後 ~「鄧小平&周恩来」VS「四人組」~
    • ※1972 中ソ対立を利用してニクソンが中国に接近。1972年2月に訪中を実現。中国は外交政策の歴史的転換の中でも権力闘争を繰り広げる。
      • 文革初期に批判された鄧小平が再び復活!周恩来と協力して秩序の回復と経済再建にあたる。
      • 毛沢東の威信を背景とする江青(毛沢東第三夫人の女優)ら「四人組」は「批林批孔運動」を展開して、毛沢東の個人崇拝を強め、周恩来・鄧小平らの実務家と対決。

5.改革開放

華国鋒時代(1976~81)

  • ②1977年
    • 7月 鄧小平復活! →「四つの現代化」…農業、工業、国防、科学技術
    • 8月 文化大革命終了宣言
    • 10月「二つのすべて」…毛沢東路線を継承することをアピール!「毛沢東の決定したことはすべて支持し、毛沢東の指示はすべて変えない」というもの。
  • ③1978年
    • 10月 鄧小平が日中平和友好条約の為に渡日。日本を見て改革開放を決意したとのエピソードも。
    • 12月 鄧小平が改革・開放政策を提唱! → 華国鋒は実権を奪われる。
  • ④1979年:経済特区の設置→外国資本や技術を導入するために設置。広東・福建4都市と海南島
  • ⑤1981年:華国鋒は鄧小平に批判されて失脚。

最高実力者鄧小平時代(1981~97死去)

  • 胡耀邦総書記(1982~87)
    • 1985:人民公社解体→ 農村への生産請負責任制導入:個々がそれぞれ政府から生産を請け負い、政府に納める生産分以上に生産した場合は自由に販売できるようになった!!
    • 1987:胡耀邦が失脚。政治的自由に寛容であったためとされる。後継は趙紫陽

胡錦濤時代(2003~12)