1.繁栄する清朝に訪れる影
2.清朝冊封体制に対するイギリス自由貿易帝国主義の挑戦
(1)イギリスの自由貿易要求
(2)アヘン三角貿易
(3)アヘン戦争・アロー戦争
- ①アヘン戦争(1840~42)
- 林則徐のアヘン取り締まりに対し、英は中国の不当な貿易体制打破を大義名分に掲げて開戦!
- ②不平等条約の締結
- ③アロー戦争(第二次アヘン戦争)(1856~60)
- a.アロー号事件…イギリスはアヘン戦争後も期待したほどの利益はあがらず不満が生じ、条約改定の機会をうかがっていた。そのためアロー号事件(イギリス船籍を主張する船の中国人乗組員が海賊容疑で逮捕された事件)を口実にしてフランスと共に出兵する。※この間、清は国内の太平天国の乱(1851~64)でも苦戦していた。
- b.ロシアの調停:天津条約(1858)…外国公使使北京駐在・キリスト教布教自由・外国人の中国内地での旅行の自由・開港場の増加と貿易の自由。
- c.戦闘再開:天津条約批准書交換使節の入京を清軍が武力で阻止し、戦闘再開
- d.再びロシアの調停:北京条約(1860)…天津条約の批准・天津の開港・九龍半島南部の割譲・付属協定でアヘンを「医薬品」として輸入を自由化
4.清朝近代化の苦悩
(1)洋務運動
(2)仇教運動
(3)同治中興
(4)露清関係
(5)清仏関係
5.東アジアの主導権を巡るヘゲモニー争い
(2)日清戦争
- ①背景:甲午農民戦争…1894年、朝鮮南西部の全羅道で東学の信者が全琫準の指導で起こした反乱。朝鮮政府は清に鎮圧軍の派遣を要請。対抗して日本も出兵。日本は清朝に徹底鎮圧を提案するが拒否される。
- ②勃発
豊島沖の海戦…94.7.27。日清戦争スタート!
黄海海戦 …94年9月。清国海軍の主力北洋艦隊を壊滅させる。
平壌の戦い…94年9月。清国陸軍を朝鮮から退却させる。
6.日清戦争敗北後の清王朝
(1)変法運動
7.辛亥革命
(1)保皇派の動き
(2)革命派の動き
8.第一次世界大戦と東アジア
(1) WWⅠにおける日本の対外進出
(2) WWⅠ後の中国
9.北伐(中国国民革命)
(1)第一次国共合作と孫文の死
(2)北伐開始
(3)北伐再開
(4)北伐完成
(5)南京政府:蔣介石の統治
10.日中戦争
(1)満州事変から日中戦争の勃発まで
(2)安内攘外
- ☆蔣介石の方針は「安内攘外」…国外の敵を討つためには、まず国内を平定しなければならないという考え。満州事変などの日本の軍事対応よりも、国内の統一を優先した。
- ①蔣介石の統治
- A)関税自主権の回復(1930)…1928年の北伐完成後蔣介石は国内統一を進め、列強に対しては不平等条約の撤廃を働きかけ、30年に関税自主権を回復させた。ちなみに領事裁判権の撤廃は太平洋戦争勃発後、列強が中国の協力を必要としてからである(1943)。
- B)瑞金制圧(1934)…国民政府軍の包囲攻撃で中華ソヴィエト共和国臨時政府の首都瑞金を制圧。
- C)幣制改革(1935)…それまで中国の通貨は基本的に銀で、紙幣は各銀行が発行していたため、通貨価値や通用範囲が不安定だった。国民政府は銀を禁止し、ポンドに連動した四大銀行が発行する銀行券を法定通貨=法幣と定め、金融的統一を推進した。これにより国家独占資本的金融支配が確立し蔣介石の権力が強化された。
(3)西安事件 1936年12月12日
(4)日中戦争の展開
- ①盧溝橋事件(1937.7)…日本と中国の軍事衝突。日中戦争の発端となる。
- ②第二次国共合作(1937.9)…国民党と共産党が協力。共産党の紅軍は蔣介石の指導下に入り、八路軍と改称。
- ③南京事件(1937.12)…南京占領に対し多数の捕虜・民間人を殺害。国際的な批難を浴びる。
- ④重慶政府(1938~46)…国民政府は南京陥落後も武漢、さらに奥地の重慶に遷都して、ソ連やアメリカの支援を受けつつ、抗日戦を継続。日本は短期間で中国が屈服すると思っていたが、長期戦に突入した。
- ⑤汪兆銘政権成立…蔣介石のライバルの汪兆銘は日中戦争における共産主義勢力の拡大を嫌い、第三次近衛声明に応じて重慶を脱出。1940年3月に南京に新国民政府を樹立。日本の傀儡政権にすぎず弱体。
11.戦後中国史
(2)中華人民共和国建国後の展開
新中国の統治方針…漸進的に社会主義へ移行
- 農民に土地を分配して封建的な地主制を廃絶 → 1950年6月、土地改革法
- 財閥に握られていた近代的工業を国営化、中小企業を育成。伝統的な家族制度の打破
1950年
1951年
1952年
- 農工業が建国前の水準を上回る → 共産党、政治的支配を強める
1953年
- 第一次五カ年計画(~57)→農業と手工業の集団化、社会主義的工業化が実施される。