ビザンツ帝国史

1.東ローマ帝国からビザンツ帝国

(1)西ローマ帝国滅亡後の東ローマ帝国の歴史的地位

(2)ユスティニアヌス帝(位527~565)

  • ササン朝のホスロー1世と戦う(→東西交易路がアラビア半島西部に移動してメッカ・メディナが繁栄)
  • ②北アフリカのヴァンダル王国・イタリア半島の東ゴート王国を征服・西ゴート王国から領地を奪う→地中海の覇権を回復
  • ③法学者トリボニアヌスに命じて『ローマ法大全』を編纂させる。
  • ④首都コンスタンティノープルビザンツ式の聖ソフィア大聖堂を建設。
  • ⑤異教徒弾圧の一環としてアテネアカデメイア(プラトンが創設)を閉鎖
  • ⑥中国から養蚕業を導入(→絹織物はビザンツ帝国の主要な輸出品となる)

(3)ユスティニアヌス死後

  • ①異民族との戦い
    • ゲルマン系ランゴバルト人 →イタリア半島北部平原に建国
    • スラヴ人 →セルビア人が正教会に改宗し、セルビア王国を建国
    • トルコ系ブルガール人…ブルガリア王国を建国するが、後スラブ人に同化。
    • ササン朝ペルシアとの抗争が続き疲弊。
    • アラブ人イスラーム勢力…シリア・エジプト・北アフリカを奪われる(正統カリフ第二代ウマル)

(4)ビザンツ帝国の経済

  • コンスタンティノープルの繁栄 → 東西交易路の要衝・養蚕技術の導入による絹織物産業の発展
  • ②純度の高い金貨ノミスマ → 地中海商業圏の基軸通貨。東地中海の経済的覇権を維持。

(5)ビザンツ帝国の統治

  • ①3世紀末以来の専制君主制を維持し、中央集権的な官僚機構を統治基盤とする
  • ②異民族の侵入に対するヘラクレイオス帝(位610~641)の対応
    • 軍管区制…地方に軍の駐屯地を置き、その長官に民政と軍政の両権を委ねる。
    • 屯田兵制…軍管区の兵制に一定の土地保有を義務づけて農民兵とし、防衛力の充実と地租収入の安定をはかった制度。
  • ③皇帝教皇主義…皇帝が神の代理人としてコンスタンティノープル教会(ギリシア正教会)の総主教を管轄下に置く。

(6)レオン3世(位717~741)の聖像禁止令

(7)ビザンツ帝国の文化

  • ①ローマ法大全…十二表法以来のローマ法を集大成。11世紀にボローニャ大学で研究が始まる。
  • ビザンツ様式…ギリシア十字・ドーム(円屋根)・モザイク壁画を特色とする教会建築様式。→聖ソフィア聖堂やサン=ヴィターレ聖堂などが有名。

(8)マケドニア朝(867~1056)

2.ビザンツ帝国の滅亡

(1)十字軍時代

  • セルジューク朝小アジア進出に対抗してアレクシオス1世が援軍を要請。
        • 国内ではプロノイア制を施行。皇帝が臣下に恩恵として国有地の管理権を与えることを見返りとして、国家への軍事的奉仕を求める。
  • ローマ教皇ウルバヌス2世の提唱で派遣された第1回十字軍がシリアを占領。

(2)ラテン帝国(1204-1261)

(3)パラエオロゴス朝(1261-1453) ※ビザンツ帝国最後の王朝

3.ビザンツ帝国周辺地域史

(1)スラブ人の移動

6世紀、アヴァール族の圧迫されたスラブ人が3方向に分かれて移動を開始。

(2)ギリシア正教

  • ビザンツ皇帝、スラブ人諸国を影響下に置くため、正教会の宣教師を派遣して布教 ←キリル文字を考案
    • →東スラブ人・南スラブ人のセルビア人・スラブ化したトルコ系ブルガール人などが信仰した。

4.ポーランド

(1)ピアスト朝(10~14C)

(2)ヤゲウォ朝(1386~1572)

(3)選挙王政

  • 1572年、ヤゲウォ朝断絶後に国会による国王選挙が導入される。
    • →国内貴族と結んだ外国勢力の選挙干渉などにより国力衰退に繋がる。
  • ポーランド分割(1772・93・95)で消滅。
  • コシューシコ

(4)その後