16世紀前半 皇帝カール5世(西王カルロス1世)の時代
(1)宗教改革の背景!贖宥状の販売(1514)
- ①ルネサンスと宗教改革の関係
- 聖ピエトロ大聖堂改築計画(byユリウス2世)の費用を集めるため。教皇レオ10世が贖宥状を販売。
(2)宗教改革始まる『九十五カ条の論題』(1517)
- ①『九十五カ条の論題』とは?
- ルターが贖宥状販売を批判し、ヴィッテンベルク大学の教会扉に掲げた文書。
- ルターはイエスを唯一の救世主と信じる福音信仰に基づき、心からの改悛のみが魂を救うとし、贖宥状や教皇を批判した。→教皇はルターを破門するがルターは自説の撤回を拒否。
(3)神聖ローマ皇帝!カール5世の即位(1519)
- ①皇帝位をめぐる対立
- 西王カルロス1世は、神聖ローマ皇帝位をめぐってヴァロワ家の仏王フランソワ1世と対立していた(イタリア戦争)。
(4)宗教改革への介入!ヴォルムス帝国議会(1521)
- ①カール5世がルターを召還
- すでに教皇の破門状を焼き捨てたルターはカール5世からの自説撤回要求を拒否。帝国追放処分となりルター派の信仰も禁止される。
- ②反皇帝派のザクセン選帝公フリードリヒがルターをヴァルトブルク城にかくまう。
- ルターは『新約聖書』をドイツ語に翻訳。一般信者の聖書通読が可能になり、聖書主義の普及に貢献した。
(5)農民たちの蜂起!ドイツ農民戦争(1524~25)
- 概要
- ドイツ中南部で勃発。ルターの思想に刺激された農民たちが農奴制・領主制・十分の一税の廃止などを唱えて起こした。指導者はトマス=ミュンツァー。
- ルターの対応と結末
- ルターは当初同情的だったが、一揆が急進化すると領主側に立ち反乱弾圧を呼びかけた。ルターの態度の変化も要因となり反乱は鎮圧された。
(7)皇帝VSルター派諸侯!シュマルカルデン戦争(1546~47)
- ②内容:シュマルカルデン同盟とカール5世との、新教の自由を巡る戦い。
- →カール5世が先に宣戦布告し、ミュールベルトの戦いで勝利し、同盟を解体させた。
『キリスト教綱要』で予定説を唱えて勤労による蓄財を肯定!!
- ①聖書中心主義
- ②長老制
- カトリックのような階層的教会制度を否定。牧師と信者が長老を選び、長老が教会の管理運営に携わる制度。ルター派と異なる点は上から任命された司教を置かないこと。
- ③予定説
- 魂救われるか否かは神によりあらかじめ定められており、善行や努力には無関係であるとする考え方。
- 問い:じゃあ、神のみが知る「救い」をどのように個人が確信するの?
- 答え:神に選ばれていることの確証は「世俗の職業での成功」。禁欲的に職業に励み、自己を神の意志を実現する道具として自覚した。
- cf.マックス=ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
- 予定説のもとで人々が救いの証を得るため、神の栄光をあらわす世俗的な職業に励み、禁欲的な生活を送って利潤を蓄積したことが、資本の形成につながり、近代資本主義の精神を生む要因となったと分析。
(4)宗教改革と普遍的権威
- ①普遍的権威について
- ヨーロッパ中世では王権の上に、ローマ教皇(教皇権)と神聖ローマ皇帝(皇帝権)が存在し、ヨーロッパ全体を支配しようという普遍的な権威が存在していた。
- スペイン及びドイツを支配したカール5世は皇帝権を実現しようとしたが挫折。以後ヨーロッパでは主権国家が成立していく!
- ②宗教改革と主権国家のかかわり
- 国王がローマ教会の影響力を排除し自国内の教会を支配下において王権を強化。
宗教改革の進展に打撃を受けた旧教側が、信仰上の腐敗の刷新を目指した動き。
(1)トリエント公会議(1545~1563)
- ①目的:当初は新旧両派の調停を目的としたが新教側がほとんど出席せず旧教側の思想確認の場となる。
- ②内容:教皇の至上権やカトリックの教義を確認。最初の禁書目録(index librorum prohibitorum)。
→対抗宗教改革の旗手となった修道会。海外伝道・教育活動に貢献。
- ①イグナティウス=ロヨラ…イエズス会を創始。スペイン貴族出身の軍人。負傷した際に回心する。
- ②フランシスコ=ザビエル…海外伝道に活躍。1549年日本へも布教(以後よく広まるキリスト教)。
(3)そして、宗教戦争の時代へ
- ①宗教改革にともなう新旧両派の対立を背景に、16~17世紀前半にかけて武力抗争が起こる。
- ②魔女狩り(witch hunting)の激化
- →「魔女」とは悪魔と契約して魔力を得て個人や社会に災いをなす、とされた人間。10万人以上が処刑。