【全設問詳解】大学入学共通テスト「世界史B」(2022年1月15日実施)

  • 共通テスト2022世界史の特徴
    • 丸暗記の知識偏重を避けるため、図表や資料の読解、教科横断をふんだんに取り入れている。だが単なる純粋国語(歴史知識が全く必要なく文章読めれば解ける問題)に堕している設問【21】、中学社会【20】や小学校算数【19】など大学入試において世界史の学力をはかるのにはそぐわない設問も散見される。
    • 出題パターンとして目立ったのは、「空欄補充をさせた上で問題を解かせる」形式(【4】【12】【15】【16】【26】【27】【29】【30】【33】)。知識を活用することが学習指導要領でも謳われており、それは必要な能力だと思うが、今回の形式は完全にクイズ大会であり、知識の活用に該当しない。もっと資料読解をした上で、歴史の知識を使って解く問題を出すべきだと思われる。
    • 一方で歴史事象の複数解釈と概念操作を取り入れた【25】はこれからの時代に必要とされる能力をはかるものと言える。

【目次】

第1問 世界史上の学者・知識人

A シーボルト

問1【1】解剖学・植物学・薬学のいずれかに対応する中国における成果
  • 要求(解剖学・植物学・薬学)に該当するものを選ぶ
    • ①【正】李時珍の『本草綱目』は薬物・医学解説書。旧来の薬物書を整理し、1898種類の薬物を石・草・虫など60類にわけて薬効を解説した。
    • ②【誤】司馬光の『資治通鑑』は君主の統治に資することを目的に書かれた編年体の通史。
    • ③【誤】宋応星の『天工開物』は産業技術書。中国の伝統的な生産技術を18部門に分け、豊富な図版を用いて生産工程を解説している。
    • ④【誤】昭明太子の『文選』は六朝文化の散文集。周~魏晋南北朝の文章家の名文を集めた。
問2【2】地図 都市の位置(バタヴィア)
  • 東南アジアにおけるオランダの拠点を選ぶ
問3【3】中国と朝鮮の関係の歴史
  • 正文判定
    • ①【誤】楽浪郡を設置したのは前漢武帝
    • ②【正】隋の煬帝高句麗遠征を繰り返す。隋の滅亡の要因となったことで知られる。
    • ③【誤】清朝が朝鮮の宗主権を放棄したのは日清戦争後の下関条約
    • ④【誤】科挙を創始したのは隋の文帝(楊堅)。九品中正制を廃止。学科試験による官吏登用制度を始める。

B ハサン=ブン=イーサー(9世紀イラン北東部に生きた人物)の伝記記事

問4【4】資料読解+空欄補充(ウラマー)
問5【5】イランにおけるキリスト教の歴史
問6【6】9世紀に異教徒の多くがイスラーム教に改宗したアッバース朝の政策

C 近代中国の学者王国維が著した論文

問7【7】金(女真族)の歴史
  • 空欄補充
    • 契丹と【エ】の文化が発展したが〔……〕それぞれの民族について〔……〕『遼史』と『金史』がある〔……〕」というリード文から【エ】に入るのはツングース女真族
  • 空欄(ツングース女真族)を埋めた上での正文判定
    • ①【正】猛安・謀克は金の二重統治体制。女真人や契丹人などには旧来の部族制に基づく猛安・謀克という元来の軍事・社会組織を維持。華北では宋の州県制を継承した。
    • ②【誤】ソンツェン=ガンポがチベットを統一して建てたのは吐蕃安史の乱の際には一時長安を占領。9世紀前半に唐蕃会盟碑が建立されるが、内紛で衰退。
    • ③【誤】テムジンはモンゴル。テムジンは1206年、モンゴル民族を統一し部族長会議クリルタイにおいてチンギス=ハンとなる。
    • ④【誤】冒頓単于のもとで急速に勢力を拡大したのは匈奴。前3世紀末、東胡を併合し月氏を駆逐した。
問8【8】チベット仏教の歴史
問9【9】該当文選択(言語と史料)

第2問 ある出来事の当事者の発言や観察者による記録

A ウィンストン=チャーチルの『偉大な同時代人たち』

問1【10】空欄補充 スペインと英仏の関係
  • この苦難(ナポレオンの侵略)から100年経った今も【ア】とスペインとの間に共感は芽生えようがない。【イ】にジブラルタルを奪われたことは〔……〕いまだにその意識に大きな影響をもたらしている。
    • 【ア】フランス:大陸封鎖に従わないポルトガルへ出兵を決行したナポレオンがスペインに侵入し兄ジョゼフを王位につけたことに対してスペイン民衆が反乱(1808~14:スペイン反乱、半島戦争)。イギリスから支援を受けつつゲリラ戦を展開し1811年以降はフランス軍を破って苦しめ、ナポレオンの支配を動揺させた。Cf.ゴヤがスペイン反乱をテーマに「巨人」や「1808年5月3日」を描く。
    • 【イ】イギリス:ジブラルタルはミノルカ島と共にスペイン継承戦争ユトレヒト条約で西領から英領となった。
問2【11】地図(スペイン最後の植民地)
  • 地図の中からスペイン最後の植民地を選ぶ

B キューバ危機と部分的核実験停止条約

問3【12】キューバ史 (空欄補充をした上での正文判定)
問4【13】部分的核実験停止条約
  • マクミラン首相の国
    • マクミランを知らなくとも部分的核実験停止条約締結国が米英ソであったことを知っていれば、イギリスと判定できる。中国とフランスは不参加であった。ちなみにマクミランはイーデンがスエズ動乱で国際的非難を浴び引責辞任すると後継として首相に就任。EECへの加盟をド=ゴールに拒否されたことでも有名。陸相プロヒュームがソ連と内通する売春婦に国家機密を漏らし総辞職した。
  • 文章に答えが書いてあるよ問題
    • 資料末尾に「大気圏内における核実験を自ら行わない」と書いてあるので、核実験の全面的な廃止でないことは確定的明らか。
問5【14】ソ連
  • 正文判定
    • ①【正】中ソ対立。1969年珍宝島(ダマンスキー島)事件が勃発。ウスリー川にある島を巡って武力衝突が発生し、双方に多数の死者が発生。ソ連側が核兵器の使用に言及するほどの激しい対立となる。
    • ②【誤】サンフランシスコ講和会議は西側諸国とのみの片面講話。ソ連とは日ソ共同宣言。鳩山一郎自らモスクワに赴き日ソ共同宣言調印(56.10.19)で国交回復を実現。
    • ③【誤】クウェートに侵攻したのはサダム=フセイン。1990年、イラククウェートの石油資源をねらって侵攻、併合を宣言。国連安保理は対イラク武力行使を決議。中東の石油利権を確保するという利害から多国籍軍が形成された。1991年、湾岸戦争開始。大量の新兵器が使用されイラクは大敗した。
    • ④【誤】アメリカからアラスカを購入したのではなく、アメリカに売却した。ピョートル1世はベーリングにシベリアを調査させていたが、皇帝没後の1741年にアラスカを領有。1867年に財政難に苦しむアレクサンドル2世がわずか720万ドルで売却したが、直後に金鉱が発見されたのは有名な話。

第3問 世界史上の人々の交流や社会の変化

A 明治期の政治小説に描かれた国際情勢についての授業

問1【15】1848年の革命(空欄補充をした上での正文判定)
  • 空欄補充「【ア】と呼ばれる革命の時期に活躍したハンガリー出身のコシュート」。
  • 正文判定
    • ①【誤】ロシアで立憲民主党を中心に臨時政府が樹立されたのは1917年の三月革命(露暦二月革命)。
    • ②【誤】青年トルコ革命は1908年。日露戦争における日本の勝利により立憲制が専制政治に勝るという認識が広がりミドハト憲法復活の声が高まると「青年トルコ人」は若手将校と結んで1908年に政権を奪取。立憲政を復活させた。
    • ③【正】フランス二月革命の影響により首都ベルリンで市民が暴動(ベルリン三月革命)を起こすと、プロイセン国王が譲歩した結果、自由主義内閣が成立して憲法制定を約束したため全ドイツの統一と憲法制定のためフランクフルト国民議会が開催される。ドイツの統一をめぐる論争が勃発し大ドイツ主義と小ドイツ主義で対立。1849年3月、小ドイツ派が、自由主義憲法を採択した上で、プロイセン国王にドイツ皇帝への就任を要請するが、普王フリードリヒ=ヴィルヘルム4世は、革命派から王冠をうけられないとして拒否。1849年6月、武力弾圧により解散させられた。
    • ④【誤】オーストリアで失脚したのはディズレーリではなくメッテルニヒ。ディズレーリは19世紀イギリスの保守党の首相。
問2【16】ウラービー(空欄補充をした上での正誤組み合わせ)
  • 空欄補充「1881年にエジプトで民族運動を起こしたものの鎮圧され、セイロン島に流されていた【イ】」
    • 1881年にエジプトで民族運動を起こしたのはウラービー(オラービー、アラービー)。
  • 正誤組み合わせ
    • あ:【誤】エジプト総督に就任したのはムハンマド=アリー。
    • い:【正】エジプトに対する外国支配の強化に対して、ウラービーは「エジプト人のためのエジプト」をスローガンに掲げ、武装蜂起した。
    • X:【誤】イタリアの植民地はエジプトの隣のリビア
    • Y:【正】ウラービー革命に対し、英(第二次グラッドストン内閣)が単独出兵で鎮圧し事実上の保護国とする。1914年のWWⅠで完全保護国化した。
問3【17】明治日本の国際関係

B 世界の人口の推移についての授業

問4【18】表の読解と見せかけて置いて、解答に表読解が必ずしも必要と言えない
  • 正文判定
    • ①【誤】マラッカ王国(14C末-1511)はマレー半島南西の港市国家。15C半ばに支配階級がイスラーム教に改宗し、東南アジアのイスラーム化の拠点となるが、ポルトガルにより滅亡。1850年マラッカ王国が繁栄できるわけがない。
    • ②【誤】インド帝国の成立はインド大反乱(1857~59)後。19世紀前半なわけがない。
    • ③【正】18世紀清王朝における人口増加の背景にはアメリカ原産食物にあり。トウモロコシ・サツマイモなど荒れ地・山地でも栽培できる食べ物が人口増加を支えた。
    • ④【誤】1900年のヨーロッパの人口は27100人。同年のインドの人口は28000人。ヨーロッパの人口はインドの人口より下。
問5【19】日本と東南アジアの国際関係史(小学校算数と正文判定)
  • 小学校算数
    • 図表を見ると1850年の東南アジアの人口密度は10人/㎢。
    • 文章から1850年における日本の人口密度を計算すると3071万人/37.8万㎢≒81.24人/㎢。よって東南アジアの人口密度は日本より低い。
  • 正文判定
    • 【誤】北部仏印進駐(1940.9)は、ドイツに対するフランスの降伏を契機に行われた。
    • 【正】徳川家康は朝鮮との国交回復には成功するが明とは失敗した。明と貿易ができなかったので朱印船貿易を展開し、台湾・マカオ(ポルトガル領)・東南アジアに派遣し、現地の中国商人と交易した。これにより東南アジアには日本人町ができた。

C オセアニアの先住民についての授業

問6【20】中学社会科地理的分野(先住民の呼称)
問7【21】歴史の試験で歴史知識を必要としない純粋国語の問題を出すことについて
  • 先生の二つ目の台詞→「「土着のもの」を意味する英語に由来していて、オーストラリアへの入植者が現地の先住民を指して用いる」
  • 先生の三つ目の台詞→「先住民は入植者を指して「白人」を意味するバケハという呼称を用いました。現在のニュージーランドでもバケハは入植者やその子孫の名称として取り入れられています」
問8【22】オセアニアの歴史
  • 正文判定
    • ①【誤】白豪主義が廃止されたのは1970年代以降。オーストラリアは有色人種を移民として受け入れない人種差別政策「白豪主義」をとっていたが、1970年代以降転換して異文化との共存を尊重するようになった。
    • ②【誤】ハワイを併合したのはアメリカ。マッキンリー時代の帝国主義政策。米西戦争の際に獲得したグアム・買収したフィリピンの連絡路とする「太平洋の飛び石」。
    • ③【正】クックは現在のオセアニアにあたる地域を探検した。オーストラリアは1770年にクックが探検し英領となった。ニュージーランドに到達したの1642年のタスマン。
    • ④【誤】1870年代半ば以前のイギリスでは植民地不要論が唱えられた。国防費の削減を求め、植民地を領有することは余計な浪費と見なす考え方。白人移住者の多いカナダなどの植民地に対しては、現地の自治的な責任政府を通じて間接支配を行うようになり、1867年、カナダが最初の自治領となった。以後オーストラリア(1901)、ニュージーランド(1907)、ニューファンドランド(1907)、南アフリカ(1910)。ニュージーランド自治領となったのはカナダよりも後。

第4問 歴史評価の多様性

A ジョージ=オーウェルとスペイン内戦

問1【23】民主主義がファシズムに敗北した事例~日本の望むままの行動の容認~
  • 正文判定
    • ①【誤】日本はノモンハン事件ソ連に大敗した。
    • ②【正】1931年日本は柳条湖事件を契機に軍事行動を開始。1932年3月には清朝最後の皇帝宣統帝溥儀を執政に建国を宣言した。1933年3月には熱河占領。同年5月の塘沽停戦協定で国民政府は日本の満州熱河省の支配を事実上黙認した。
    • ③【誤】日本が台湾を領有したのは1895年の下関条約。スペイン内戦勃発以前10年間に該当しない。
    • ④【誤】真珠湾を攻撃したのは1941年12月。スペイン内戦が終わった後である。
問2【24】ヒトラー共産党弾圧とイタリアのファシズム
  • ヒトラー共産党弾圧
    • 1933年2月27日夜に発生した国会議事堂放火事件を口実に共産党を弾圧し解散させた。
    • 外れ選択肢の第1インターナショナルは19世紀後半。1871年のパリ=コミューンを公然と支援したため各国政府の弾圧を受け活動停止。
  • イタリアのファシズム
    • ①【正】イタリアは経済基盤が脆弱なため恐慌により行き詰り、ドイツの再軍備に対する35年4月のストレーザ線も崩壊したので、エチオピアに侵攻した。国際連盟経済制裁を実行したが効果はなく威信は損なわれた。
    • ②【誤】九カ国条約は第一次世界大戦後のワシントン体制における中国での日本封じ込め。1917年のアメリカ参戦後に日米間で結ばれた石井・ランシング協定(日本の二十一カ条要求の承認)は失効。日本は二十一カ条要求で得た山東半島の旧ドイツ権益を中国に返還することとなった。
    • ③・④【誤】イタリアがリビアを併合したのは青年トルコ革命の時。イタリア=トルコ戦争でイタリアがトリポリキレナイカ(現リビア)を併合した。
問3【25】歴史事象の複数解釈

オーウェルは、ヒトラームッソリーニの政権と同様に、同じ時期の日本の政権をファシズム体制とみなしていた。©世界史の教科書には、これと同様の見方をするものと、日本の戦時体制とファシズムとを区別する立場から書かれているものとがある。どちらの見方にも、相応の根拠があると考えられる。

問.下線部©について議論する場合、異なる見方あ・いと、それぞれの根拠として最も適当な文W~Zとの組み合わせとして正しいものを選べ。

  • 【日本の戦時体制はファシズムか否かの根拠】
    • W:「ソ連を脅威とみなし、共産主義運動に対抗する陣営に加わった」
      • ドイツやイタリアと共に侵略戦争を行なったので、日本の戦時体制をファシズムと見なせる。よって【あ】の根拠となる。
    • X:「国民社会主義を標榜し、経済活動を統制した」
      • 国民社会主義は日本ではなくナチス。誤りなのでどちらの根拠ともならない。
    • Y:「政党の指導者が、独裁者として権力を握ることがなかった」
      • 日本の政党政治は5.15事件で終焉しておりドイツのナチ党やイタリアのファシスト党とは性質が異なるので、日本をファシズムとは見なせない。よって【い】の根拠となる。
    • Z:「軍事力にによる支配権拡大を行わなかった」
      • 日本は軍事力による支配権拡大を行わなかったのではない。満洲事変、上海事変、熱河占領、支那事変、仏印進駐など。誤りなのでどちらの根拠ともならない。

以上により、【あ】の根拠は【W】、【い】の根拠は【Y】であり、組み合わせ【① あ-W,い-Y】が正解となる。

B 絵画と映画で歴史を読み解く授業

問4【26】人物史・イヴァン4世(空欄補充をした上での正文判定)
  • 空欄補充
    • 「彼(空欄【ア】の人物)は、初めて正式にツァーリを称した〔……〕強烈な個性から「雷帝」とも呼ばれている」
      • 「正式にツァーリを称す」、「雷帝」という決定的ヒントがあるのでイヴァン4世だと分かる。
  • 正文判定
    • ①【誤】ステンカ=ラージンの乱は1670~71。ロマノフ朝時代の出来事。
    • ②【誤】ロシアでギリシア正教が国教となったのはキエフ公国のウラディミル1世(位980?~1015)時代。
    • ③【誤】バトゥにワールシュタットの戦いで敗れた後、ロシアはキプチャク=ハン国に服属した(タタールの軛)が、イヴァン3世時代に独立した。
    • ④【正】イヴァン4世はコサックを利用し、その首領イェルマークはシベリアに遠征した。コサックはロシアの圧政を逃れ、南ロシア辺境に住み着いた農民など。狩猟・漁業・牧畜などを生業とし、略奪を行う。ステンカ=ラージンやプガチョフなどがロシアの圧政に抵抗する一方で、イェルマークなど体制側に使役されることもあった。
問5【27】世界史上の税制(人物の空欄補充をした上で、その人物の税政に関する正誤判定を行い、さらに全く別の地域の税制に関する正文判定を行う)

人物の空欄補充とその税政までは理解できるが、他地域の税制は完全に脈絡が無い。「税制の歴史」という枠組みで無理やり結びつけている感がある。

  • 空欄補充
    • 「明を建国した彼(【イ】)」
      • 中学でも習う有名な語呂合わせのフレーズ「勇むや明の朱元璋」。
  • 朱元璋(洪武帝)が行った税制
    • あ【誤】一条鞭法は銀貿易による16世紀における世界の一体化に即して導入された税制。万暦帝の時代、張居正が検地と一条鞭法を全国的に施行した。
    • い【正】賦役黄冊は戸籍・租税台帳。洪武帝の命により、里甲制の施行と同時に作成された。各戸の家族構成・田畑・財産などが記された。名称の由来は台帳の表紙が黄色だったことから。
  • 税制の歴史
    • X【誤】農民に土地保有権を与え、政府が直接徴税するのはライヤットワーリー制。ザミンダーリー制は地主・領主に土地所有権を与えて農民から地税を徴収させてそれを納税させる。
    • Y【正】共和制ローマの属州支配。ローマは属州を獲得し直轄支配を行うが、属州に赴任する総督・騎士身分の徴税請負人が属州で収奪を行い、巨利を得た。土地を購入し、戦争捕虜による奴隷を大量に使役してラティフンディウムを経営。オリーブ、ぶどう、小麦などの商品作物を栽培した。
    • Z【誤】七年戦争後イギリス重商主義帝国が成立すると「有益なる怠慢」から転換し徴税を強化した。印紙法に対して植民地側は「代表なくして課税なし」と抵抗したため、本国イギリスは撤回せざるを得なくなった。
問6【28】時代背景の類推・仮説
  • ドイツ騎士団を撃退した人物をロシア史上の英雄として讃える映画が、1939年から41年までソ連で上映禁止となった要因
    • ①【誤】ソ連は五カ年計画により世界恐慌の影響を受けなかったとされるので①は誤文
      • 五カ年計画ではネップに代わって工業化の推進による社会主義建設を支持。農業の集団化と機械化を行い、ソフホーズコルホーズが建設された。集団化に抵抗する多数の農民を逮捕、投獄し、生産物の強制供出を実行。1932~33年には農民に多くの餓死者が出たが、集団化はほぼ完了した。
    • ②【正】消去法で1939年~41年における独ソ関係に該当するものがこれしかない。
      • 独ソ不可侵条約はドイツ外相リッベンドロップとソ連外相モロトフが交渉。非公開の秘密議定書でポーランドの独ソ分割支配が決められた。ドイツの狙いは、ポーランドとの戦争を局地化することで英仏との二正面作戦を回避することであり、一方のソ連は東部国境で日本軍との武力紛争を抱え、軍備増強の時間を欲していた。ソ連ナチス=ドイツはイデオロギー的には全く相容れない関係であったため世界に衝撃が走った。
    • ③【誤】コメコンは戦後であり時代が違う。
      • コメコン(東欧経済相互援助会議)は1949年1月に結成され、ソ連が東欧に資源を提供してマーシャル=プランに対抗した。
    • ④【誤】十月革命後の反革命軍との戦いは1918年なので時代が違う。
      • 赤軍(革命政府軍)は1918年1月に設立され、トロツキーによって拡充されたソヴィエト政権の軍隊。十一月革命中に組織された赤衛隊が前身。内戦や干渉戦争の主力軍となる。
      • 白軍(反革命派勢力)はソヴィエト政権に反対する勢力が結成した軍の総称。地主・貴族や反ボリシェヴィキの諸勢力が結集し、英仏の支援を受けた。赤軍と激戦を展開する。

第5問 世界史上の墓や廟について

A 中世フランス史

問1【29】カール大帝とその業績(空欄補充をした上での正文判定)
  • 空欄補充
  • 正文判定
    • ①【誤】フン人が撃退されたのはカタラウヌムの戦い(451)
    • ②【誤】イングランドを征服したのはノルマンディー公ウィリアム
      • ノルマンディー公ウィリアムはハロルド2世をへースティングズの戦い(1066)で破って征服した。反抗貴族の土地を没収して土地台帳を作成。王権の強力な封建制度が敷かれた。
    • ③【正】カール大帝カロリングルネサンスカール大帝はイギリスのアルクィンなど多くの学識者を宮廷に招き、ラテン語による学芸の復興に努めた。
    • ④【誤】フランク国王として初めてアタナシウス派に改宗したのはクローヴィス。
      • クローヴィスの改宗により、ガリア各地で司教として地域社会を支配していたローマ人貴族層の支持を取り付けることができた。アリウス派を信仰する他ゲルマン人との戦争を正当化してガリア支配に成功する。
問2【30】カペー朝の国王(空欄補充で【イ】を埋め、文章読解で地図の墓の位置【ウ】を当てる)
問3【31】カペー朝(フィリップ2世~ルイ9世までの期間)の統治
  • 正文判定
    • ①【誤】アナーニ事件はフィリップ4世。
      • 聖職課税問題において教皇ボニファティウス8世が仏王フィリップ4世にアナーニ事件で屈服。教皇庁はローマから南フランスのアヴィニョンに移転した。
    • ②【誤】ジャックリーの乱は百年戦争期。
      • ジャックリーの乱(1358)は仏北部一帯で発生。百年戦争における重税と傭兵の略奪を原因として起こった。ジャックとは農民の蔑称。
    • ③【正】フィリップ2世(位1180-1223)はアルビジョワ十字軍(南仏の異端カタリ派)を派遣し王権を伸張させ、ルイ9世(位1226-1270)はアルビジョワ十字軍を完成させ南仏にも王権を拡大した。
    • ④【誤】トリエント公会議はドイツのカール5世時代。

B 写真を題材にした授業(関羽)

問4【32】中国人の移民
  • 正文判定
    • ①【誤】アメリカでは中国人移民は制限されるようになった。
      • クーリー(苦力)と呼ばれる中国人の移民は奴隷制の廃止に伴い低賃金肉体労働でアメリカの労働力を補完した。中国人移民はカリフォルニアなどの太平洋岸に居住し、大陸横断鉄道の建設を担ったことでも知られる。しかし1870年代の経済不況で低賃金で働く中国人移民は白人労働者から排斥の対象となっていく。1882年には中国人労働者移民排斥法で中国人移民は制限されるようになった。
    • ②【誤】興中会が結成されたのは東京ではなくハワイ。東京で組織されたのは中国同盟会。
      • 孫文は、バラバラだった革命諸団体の結集をはかり、日本の東京で中国同盟会を組織した。組織には孫文がハワイで組織した興中会、章炳麟の光復会、黄興の華興会が結集。三民主義 (中国革命の基本理念)と四大綱領(実践プログラム)を掲げた。
    • ③【正】「清朝の規定では海外渡航してそのまま相手国に住みつくことは許されていなかったが、東南アジアとの貿易をおこなう商人たちのなかには、禁令を犯して東南アジアに住みつき、農村と国際市場を結ぶ商業網を握って経済力を蓄える人々もでてきた」(『詳説世界史研究』2017年、238頁)
    • ④【誤】戦後独立したマレーシアで採られたのはマレー系を優遇する政策
      • ブミプトラ政策により、マレー語を公用語イスラーム教を国教とし、教育や雇用などでマレー系を優遇することで、多民族との経済格差の是正を目指した。
問5【33】地図(空欄補充した上で該当する地域を選ぶ)
問6【34】中国経済
  • 空欄補充
    • 「彼ら(山西商人)が全国的な商業活動を展開した【オ】の時代から【カ】〔……〕」
      • 【オ】→山西商人が全国的な商業活を展開したのは明代。「山西商人・徽州(新安)商人は政府と結びついて北方の軍事地帯での物資調達を担当して巨富を積み、その資本をもって東南沿岸の大都市で金融業などを営んでさらに富を増やした」(『詳説世界史研究』2017年、229頁)
      • 【カ】→明代では会館・公所が設けられた。「商人の全国的な活動が盛んになるにつれて、大きな都市では、同郷出身者の互助や親睦をはかるため、会館や公所とよばれる集会所がつくられた。同郷の者は同じ業種に従事することが多かったため、これらの建物は同業者のクラブともなった」(『詳説世界史研究』2017年、229頁)
      • 【カ】の外れ選択肢である「黄河と大運河が交わる地点に都が置かれ、商業の中心となった」の「都」は恐らく「開封」。隋の煬帝が建設した大運河の拠点の一つであり、五代(後唐を除く)の都となった。北宋でも開封が都となり、その繁栄の様子は「清明上河図」とかで頻繁に受験で出題される。

【参考】これまでの「世界史B」解説