『ヒラヒラヒヒル』におけるグッドエンドについて~バッドエンドとの差異を中心に~

グッドエンドは全てが上手く行った性善説に基づく世界線でありご都合主義エンド。
医師サイドでは母親の最期を看取り好いた画家の患者を引き取り法律の整備を実現する。
書生サイドでは罹患した下宿先の娘を粘り強く看病し最終的に郷里青森に迎え入れる。
医師は地方巡視中幼い子どもの感染者を保護し医師としての存在意義を確証する。
書生は郷里で感染者がフツーに受け容れられ祝言をあげて一高復学エンドとなる。
グッドエンドはお涙頂戴的なヒューマンドラマが強く個人的にはバッドの現実路線が好き。

※この記事を読む前に先にバッドエンドの方を読んでください。

【目次】

医師サイド(千種正光)グッドエンド

母の最期の時間を共に過ごし自分の実存の在り方に気付く千種正光

大きな分岐点となるのは患者に個人的な施しを与えるか・母の最期を看取るか・親友の妹である感染者を引き取るかの三点である。地方巡視に行った際、困窮から劣悪な環境に感染者を置かねばならない老婆に対して同情心が働き幾許かの金銭を与えてしまい、医師として公正公平ではないと嘆く。だが上司からは肯定され医師としても私的な感情は必要だと知る。

またこれも地方巡視の時に感染者となったために生き別れた実母と再会する。実母は看病も受けられず打ち捨てられており引き取ることとする。こお選択肢を選ぶと懇意にしていた親友の感染者兄妹の助力を得ることになり家を間借りすることができる。一息ついた後に海軍子爵である父親に実母のことを打ち明けると、なんと邸で晩年を過ごさせてくれるというのだ。医師は幼少期に実母から受けた恩義に報いるために親孝行しその最後を看取ることができた。この親孝行シーンでは確かに感動を覚えることができたし母親に会いたいなと思わせる一方で胡散臭い理想主義の押し付けのようにも感じられるので複雑な心情になった。

ラストは親友の妹を引き取るかどうかである。この親友の妹は幼い頃に感染しながらも絵を描き続け画家として大成し、親友によって一高時代に引き合わされており、千種正光が医者を目指す理由の一つともなっていた。彼女の急変に対し千種正光は適切な処置を施すことができ少女は画家を続けることができたのである。ラストは地方巡視の成果が上司の研究に結び付き、法制度の改正が実現する。また主人公は巡視の最中に幼い子供の罹患者を保護するができ、自分がなぜ医者になったのか、その存在意義を確証するに至る。

感染者でありながら画家として大成した親友の妹に対する尊崇の念
医師としての自分の存在意義について確証を得る千種正光

書生サイド(天間武雄)グッドエンド

下宿先の娘を引き取る覚悟を示す天間武雄

大きな分岐点となるのは親友の殺しに手を貸さない、感染した下宿先の娘を見捨てないの二点である。天間武雄は友人から感染者のを殺すので手を貸して欲しいと頼まれる。この感染者は友人が贔屓にしていた娼婦であり、当該感染症が進行し自我を喪失したら殺して欲しいと頼まれていたのだ。この選択肢で殺しを止めさせると、医師√における主人公(千種正光)の上司が登場し、彼の口利きで比較的設備の整った施設に収容して貰える。ここで天間武雄は友人から感謝を受けると共に、大切な人が感染した時にどのような行動を取るか学びを得る。

その学びが生かされるのが、下宿先の娘が罹患した時。ここで最後まで少女の看護を全うする道を選ぶとグッドエンドに至る。下宿先の主人であった小説家先生はグッドエンドでも自殺してしまうことは変わらない。だが小説家先生の葬儀の際、遺産分与について揉める親戚を前にし、娘を引き取る覚悟を決めるのである。主人公の介抱は実を結び、娘の症状は落ち着いて来ていた。そのため郷里である青森まで半ば駆け落ちに近い形で逃避行を決行するのである。路銀の関係で列車を乗り継がざるを得ず、吹雪で列車が止まって失禁してしまったことをきっかけに、少女はそのまま山奥へ消えようとするが主人公がそれに寄り添い少女の人生に責任を果たすことを行動で示す。

故郷青森の実家ではフツーに感染者が地域社会に受け容れられており、少女もそこで快癒に向かう。天間武雄は実家の家族に温かく迎えられ代用教員として勤務しており、少女は持ち前の知力を取り戻し勉強を教えるなどして暮らしていた。ラストは一高時代のトモダチがわざわざ青森まで訪ねて来てくれて一高復学の助力をしてくれるのだが、そこで春先に娘と祝言をあげることが告げられハッピーエンドとなる。

失禁したことで自分が迷惑をかける存在にしか過ぎないことを再認識し山へ去ろうとする少女を引き留めるシーン
結婚エンド