【感想】ふつうの軽音部37話「文化祭ライブ!鳩野たちがこれまで抱えてきた挫折や悔恨をぶちかますカタルシス」

本作冒頭でも触れられていたようにJKガールズバンド物としての一つの指標が文化祭ライブ。
ついに主人公たちのバンドが世に出たのであり連載を追ってきた読者は感無量なんじゃないかな。
前回の即席バンドでは声が出ず嘲笑されメンクラし、そこから這い上がってきた姿をとくと見よ!
はとっちのボーカルは人々にこれまでの人生を想起させるが歌詞と過去のシンクロは泣ける。
「遠回りする度に見えてきたこともあって、早く着くことが全てと僕には思えなかった」
メンバーたちがボーカルに影響されてカットインで心情を語るシーンはムネアツの展開。
はとっちの親友である矢賀ちゃんが最前列で後方腕組み彼氏状態になってドヤってるのがいいよね。
まさに今回はこれまでの連載の到達点であり第一部(完)って感じ。

学園ガールズバンド物の文化祭で今までの挫折や悔恨や努力を全て発揮できたらさぞかしカタルシス!な演出

過去の挫折や悔恨をぶちかませ!歌詞とシンクロしてるのがいいよね

学園ガールズバンド物にとって文化祭というものはトクベツなイベント。特に陰キャ主人公の場合は普段の自分を見返す恰好の機会となる。ぼざろのキャッチコピーで陰キャならロックをやれと言っているが、はとっちの姿もまさにロック。元々カタルシスを生みやすい機能を持つ文化祭イベントで自分たちの練習の成果を出せたならさぞかし気持ちが良いであろう。特にはとっちの場合は、陰キャな過去だけでなく、前回の即席バンドにおける初披露ボーカルで失敗しており、そこから精神崩壊を乗り越えてロックに覚醒し、特訓に励んできたという挫折があった。そんなはとっちの忸怩たる思いがまさにボーカルに乗せて歌われるのだ。はとっちのボーカルは聞いた人々に過去を想起させ、その心を揺さぶるという特性を持つが、歌詞とシンクロしながら演出するのはワザマエと言えよう。

はとっちへの信仰に青春の全てを捧げる覚悟をキメる厘ちゃん
はとっちに影響されて心を燃やす桃
なめた奴らにはかましたらなあかんやろ!

はとっちのボーカルに影響されたバンドメンバーも覚悟ガンギマリとなり、それぞれカットインが入れられて、思いのたけを叫んでいく。はとっちの神性を100%顕現させるために3年間の青春を捧げる決意をキメる厘ちゃん、どれだけ未熟でも全力で歌うはとっちに惚れ込んで走り出す桃、舐めた奴らにゃかましてやらにゃあかんだろの彩目。ティーンエイジャーという繊細な自意識の芽生えの中で疾風怒濤の時代の荒波に揉まれて傷ついた心情を、ここぞとばかりに叫ぶのだ!連載を真面目に追ってきた人ほど、各キャラに思い入れを持っていることだろう(おそらく多分)。それ故、はとっちは勿論のこと、彼女以外のキャラの鬱屈もまた晴らされるのだ!内向的な性格だったがはとっちに脳を焼かれて信仰心を持った厘ちゃん、恋愛により大切にしていた友情関係が崩壊してしまった桃、デブで偏狭であったため人間関係が上手くいかなかった彩目が自己の存在を証明するのだ!

最前列で後方腕組み彼氏をしてドヤ顔をキメる矢賀さん

はとっちのバンドは聴衆にそのインパクトを植え付けた!自分が一番になるのは楽勝だと思い込んでいた鷹見の心にも火を付けた。サブタイ「そのバンドを知る」がラストのシーンで提示されるのはニクい演出である。特に読者たちの心境代弁するのが矢賀ちゃんの存在。後方腕組み彼氏ならぬ最前列で腕組みし、はとっちをドヤ顔で誇るシーンは感無量である。「まあこれぐらいやるやろ。ハトノなら」のコマは是非見て欲しいドヤ顔になっている。こうして文化祭で自分たちの力を発揮でき見事にカタルシスを生んだ。アニメ化されたらここまでが1クールで最終回って感じ。なんか『ふつうの軽音部』ってやたらと無職(だった)おじさんが出て来るけど(こどおじ・はとっちの父・水尾の父)挫折を肯定する演出の一コマにもなっていて、はとっちに「遠回りする度に見えてきたこともあって、早く着くことが全てと僕には思えなかった」と歌わせるシーンは感涙する。