【巡検】清里町郷土資料館・清里町内釧網線3駅(清里・札弦・緑)

斜里から分離し小清水の一部を併せて独立した上斜里が名称変更して清里となった。
昭和30年の町制施行の際、斜里と小清水を一文字ずつ取って清里町にしたという。
清里はインフラ整備が和人入植や独立運動に大きく関わっている。
初の和人定住者・塚本伊勢太は釧路道路の野川駅逓の管理人を経て神威10線21号に入地した。
殖民地区画が曙光を浴びたのも、野川道路の建設を要因としていた。
また斜里から独立した背景には昭和6年釧網線全通により入植者が増加したことにあった。
北海道は近世から和人が進出したがそれは沿岸部だけで内陸部へ入ることができなかった。
道路や鉄道などが整備されたことで初めて、人口が定着していったという事例である。
また上札弦地域では官業斫伐により森林軌道が設営されたことも興味深かった。

【目次】

清里町郷土資料館

行政単位としての独立

高校の旧校舎を利用した平屋の建物。普段は施錠されており教育委員会に鍵を開けて貰い入る。昨日の阿寒もそうだったが、こちらが見学している間、ずっと職員を待たせているので気が引けるところがある。それはそれとして旧校舎なのでスペース的には広く、入口から入ると剥製群がお出迎え。清里町全体のパノラマジオラマもあり地形が一望できる。馬・入植者の青年・開拓農家の大型展示があり、家屋の内部のイメージが復元されている。これ各地の郷土資料館の開拓農家の再現展示の内部を比較すれば、地域性もしくは復元担当者の知識背景が分かって面白かったんじゃないかと今更になって気づいた。

個人的に面白かったのが、インフラ整備による入植の始まりと独立運動、それと森林軌道である。郷土資料施設を視察した後、図書館に行って町史も読んだ。町史のうちのこの記述を郷土資料施設ではアピールしているのだなということが良く分かる。

入植と独立

インフラ整備

郷土資料館と言えば、その自治体がどのようにして形成されたかを示すアイデンティティが重要だ。清里町が行政単位として独立したのは、昭和18年(1943)という戦時中の最中であり、当時は清里ではなく上斜里であったという。昭和30年の町制施行の際に、小清水の一部を合わせて斜里から独立するが、一字ずつとって清里町となった。

では上斜里はどのようにして独立することになったのか。

まずは上斜里への入植の始まりを見て置く。

斜里自体は江戸時代から漁場として開かれていたが、内陸部は手つかずであり、インフラが整備されて初めて和人が入地する。網走-釧路間を結ぶ道路が作られたが、当時の北海道には駅逓制度があり、小清水には野川駅逓があった。その野川駅逓の管理人であった塚本伊勢太が上斜里に転地して神威10線21号に入植する。これが明治30年の出来事であり、清里町における和人定住の始まりだという。

またこの野川という地域は重要な場所となる。清里(上斜里)と斜里は直接結ばれておらず、斜里からは沿岸部を迂回し小清水を経由しなければならなかった。だがこの野川から分岐して札弦・上斜里を経て斜里に至る「野川道路」が明治42年に作られ利便性が増したのである(『清里町史』清里町、1978、408-409頁)。明治31、32年に殖民地区画が整備されても入植が進まなかったところ、野川道路により斜里-上斜里-札弦-野川が結ばれたことで、上斜里原野の殖民地区画が農耕地として曙光を浴びるようになり、明治末期から大正初期にかけて集団移住が相次いだのだという(『清里町百年史』清里町長橋場博、1998、21頁)。

そして、斜里からの分離独立運動釧網線による人口増加が背景にある。

昭和6年釧網線全線開通は人口増加を加速させる。当時の清里(上斜里)は行政組織としては斜里町の管轄下にあったが、役場に行くのが遠く不便であり、人々が独立運動を起こしたのであった。最終的に昭和18年に斜里から分離し小清水の一部を合わせて、上斜里村として独立した。

森林鉄道

緑駅から分岐する森林軌道

上札弦駅(現在の緑駅)からは森林軌道が作られ搬出されていた。昭和9年における官営事業だと冷害凶作の救済事業かとも思われるのだが町史では林相改良のためとある。ここでは町史における記述を引用しておく。

斫伐事業は林相改良のための伐出が目的で、昭和9年に斜里営林区署が上札鶴(原文ママ、以下同じ)(現在の緑)方面で官業斫伐事業を起こし、これに伴う事業施設として、上札鶴貯木場(9368ヘクタール)、上札鶴森林軌道運行区画札鶴川上流(裏摩周)~上札鶴、斜里川上流(オニセップ奥)~上札鶴最大延長26.7キロメートル(昭和26)が設営され、偉大な足跡を綴った。
(『清里町百年史』清里町長橋場博、1998、91頁)

昭和農業恐慌の凶作による水田の消滅と官業斫伐の始まり

清里町内における釧網線3駅巡り

町史に乗っていた写真と現在の写真を比べるため、現地へと飛んだ。

清里町駅(旧上斜里駅)
札弦駅
緑駅(旧上札弦駅)

参考文献

『北海道上斜里村史』上斜里村役場、1953
清里町史』清里町役場、1978
清里百年史』清里町長橋場博、1998