【巡検】大空町郷土資料施設見学(東藻琴生涯学習センター郷土資料室・東藻琴ふるさと資料館・女満別研修館)

大空町は2006年に東藻琴村女満別町が合併してできた村である。両者の集落は離れており同質性は薄い。
北海道の居住者は御存知であろうが、人々の集落はそれこそ「点と線」で結ばれている。
集落⇔道路=森=道路⇔集落という感じであり、RPGのように村と道路が明確に区別される。
文化的一体感を醸成するには、町民意識の形成が必要であり、それには歴史学習が必要となる。
東藻琴も女満別も網走から分離独立したため元々は一つであった。
女満別はマッチ軸の製材を自治体の起源としており、東藻琴は開拓団の入植をそれに求めている。。
両者には殖民地区画の解放により入植が進んだという共通点がある。

東藻琴生涯学習センター郷土資料室

年表・東藻琴村営軌道

従来大空町には3つの郷土資料施設があった。それが女満別研修会館、東藻琴ふるさと資料館、山園ふるさとセンターである。このうち山園ふるさとセンターは倉庫と化しているため入室は出来ないとのこと(webでは町教委へ申請すれば見学できるかのように書かれてはいる)。またこれら3つの資料館から資料を厳選して新たに設置されたのが、東藻琴生涯学習センター郷土資料室であった。

展示は1階と2階に分かれており、1階は教室1個分、2階は教室2個分くらいの広さ。特に1階の民具の展示が気合い入っている。1階はドアを開けたすぐ横に町の概要と年表が掲載されており、その行政単位がどのような歴史を辿ったかと町の特徴を知ることができる(あくまでも概略程度だが)。メインとなるのは民具の解説であり、大空町学芸員さんが自作の3dカスタム少女のようなキャラを作っており、そのキャラを使って4コマ漫画を作りまくっているのである。と、いうか町の公式webにまで登場しており、よく管理職の決裁取れたな!というような感じである。あと民具については原本台帳から抜粋した情報と写真を載せて記録票として1頁にまとめ、それを製本台帳にして公開しているので、こういうのが必要なんだよなと思う。

大空町独自の展示としては、藻琴山の植生やジオラマ、ハッカ蒸留、東藻琴村営軌道の歴史、女満別空港の建設などが勉強になった。文化圏的には東藻琴は藻琴峠を通じて釧路圏内のジオラマ作っているし、女満別美幌町の方が近いし河川的にも繋がりがあるんだよな。なぜ東藻琴と女満別が合併したのかとかも調べなくてはなと思う。

そして、近代における入植状況だが、女満別は山田慎のマッチ軸製材での入植、東藻琴は殖民地区画とその解放による入植を自治体としての始まりとしているそうだ。

原本台帳から資料情報を抜粋し写真と共に掲載した記録票を製本したもの
藻琴山ジオラマとハッカ蒸留

東藻琴ふるさと資料館

東藻琴村のハッカアイデンティティ

生涯学習センターから歩いて5分程度の距離にある。教育委員会に鍵を借りて開けて貰う。元々はここで郷土資料を展示していたのであろう。かなり経年劣化の激しい建物であるが、移動されなかった資料が残されている。中でも目を引くのが、ハッカ蒸留のための田中式ハッカ釜。また東藻琴村当時の村民憲章もあり、ハッカ生産がかなりの村のアイデンティティを占めていたことが分かる。

女満別研修館

石刃・石鏃をメインとする考古資料を見ることができる

東藻琴と女満別の市街地は車で30分程度の距離。女満別研修館でも資料が見られると聞いて、毒を食らわば皿までと足を運ぶことにした。webでは石刃(北海道指定文化財)、民具、動物剥製が見られると書いてあるが、実際に見られるのは石刃ほか考古資料のみである。豊里遺跡からは大量に石鏃が出土しており、それを女満別石刃鏃遺跡出土遺物として道の指定文化財を受けている。研修館の2階に行くと教育委員会が入っており、その部屋を通って空き教室にショーケースを入れた部屋に考古資料が展示されている。遺跡の分布地図があるが、網走川沿岸沿いに遺跡が密集しており、距離的には美幌町に近い。

女満別駅にも行った

駅に図書館が入っているので町史を読むなどした。

女満別