【感想】百済児廿日先生の「兎角浮世はママならぬ。」を読んだ

自分の強さを信じられず勝ち筋から逃げてしまった棋士に精神的強さを与えるため炉利が家族を作る話。
一見すると『りゅうおうのおしごと』×『こどものままでもママになりたい』のキメラである。
本当は強いのに自分の強さを信じられず、本当は打つ筈だった勝ち筋の一手から逃げてしまい連敗していた。
そんな棋士を妹弟子で従妹の炉利系ヒロインがママとなり無限甘やかし地獄をお見舞いするのである。
だが甘やかしの中にもメスガキ成分を孕んでおり棋士のトラウマを抉ったりおちょくったりするのである。
一人の炉利ヒロインが甘やかしママ属性と煽り系メスガキ属性を併せ持つ破壊力で情緒がおかしくなりそう!
ヒロインに翻弄される中で主人公は自我を解放し、その腕の中で師匠であった亡き母の教えを思い出す。
こうして本来の強さを取り戻した主人公は見事タイトルを取得し父親になったよエンドを迎える。

限られた紙面の中で余白や仕草を用いて棋士人生を表現し亡き母親への憧憬を語る

炉利に自分の本来指すべき手を指摘される

主人公はプロ棋士であり本来はその強さを誇るのだがメンタル面が弱くここ一番の勝負所で自分の強さを信じることが出来ず、自分の手から逃げ出してしまっていた。そんな主人公を救うのが炉利であり、彼女との交流の中でトラウマが解放されていく……と、ここまで書くと、それなんて『りゅうおうのおしごと』?と言われそうである。また主人公を癒す穴役の炉利はハイパーバブミタイムを発動し無限甘やかし地獄を展開してくる。これを書くと『こどものままでもママになりたい』とツッコまれそうである。

だが本作は単なるパクリ的合成獣ではない深みをキャラ的・シナリオ的に現出している。ヒロインの穴役は炉利なのにママとして甘やかしてくれて、これはデレステのみりあや桃華をママと呼ぶ現象と同じであり子宮回帰願望を炉利に見出すという様式美である。だがこのヒロインは単なる甘やかしだけで終わらず主人公に強さを与えるため執着的煽り系メスガキの側面も併せ持つのである。

今日も今日とて敗北した主人公をガラガラと哺乳瓶と紙おむつで無限いい子いい子タイムを発動して癒すのであるが、主人公が指すはずだったのにメンタル的に日和って指せなかった手を耳元で囁くのである。そして男は守るべき物ができると強くなると称し、主人公との子作りを行い家族を作りますと迫ってくるのである。ヒロインは主人公に抱かれながらASMRでその傷心を癒やしつつ自我を解放するよう誘導してくる。

こうして主人公の心をふやかしておいた後で、外だししたことを詰ったり、30分焦らしプレイを要求したり、挿入するフリをして素股だったりと様々な煽りを展開するのだ。甘やかされて煽られて自我を解放した主人公は幼女の腕の中で亡き母の幻影を追い求める。自我を解放したことで母の教えを思い出した主人公は精神的に成長!炉利に甘やかされながらタイトル獲得に至る。

主人公の精神的弱さを炉利が甘やかしにより克服させるというテンプレがベースにある。だが主人公と炉利が長きに渡り育んできた絆や、主人公が師匠である亡き母に対して抱いていた想いなどを、短い紙面の中で仕草的表現により醸し出すことに成功している。シナリオ的にも深みがある作品なので是非読んで欲しい。

本当は強いのにメンタルが弱くて強さを発揮できないことを見透かされる
メンタルを強くするためかぞくをつくる
バブミによる自我の解放
バブミ系甘やかし炉利ママのメスガキ的煽り
幼女の腕に抱かれる