『こどものままでもママになりたい!』にみる令和衰退期日本社会の狂気

古来よりキャラクター属性として「母性」を担うヒロインは多数存在していた。
電撃G'sでは『ハピレス』があり、各教科担当の先生がお母さんになるという設定であった。
その後、時代は「のじゃ炉利」こと「炉利BBA」ブームとなり年上炉利の母性に注目された。
だがその一方で艦これの電や雷、さらにはデレステのみりあや桃華などをママとして見立てるようになる。
社会人男性が母性を求める異常性は藤子不二雄の「やすらぎの館」で扱われているが……。
そして今、ついにガチ炉利を母親ハーレムにするコンテンツが展開されるようになった。

ガチ炉利小学生を男性のハーレムお母さんにするという超異常性からみる日本社会の疲弊

資本主義に磨り潰される一般的な日本の社会人男性
  • 子宮回帰願望
    • 男性が母性を求めるのは古来より数多の古典作品でも描かれている。昭和含めて有名なのはガンダムララァ藤子不二雄の異色短編集に収録されている『やすらぎの館』。これらはいっぱしの大人であり自立して社会的地位を担っている筈の男性が、心の寂しさを埋めるために母性を求めることがまざまざとそして揶揄的に描かれている。社会人男性というのはセックスが出来るお母さんを求めており、子宮に帰りたがっていることが浮き彫りにされる。
    • 電撃G'sの作品としては、アニメ化までしたが埋もれて行ったバブみ系コンテンツがある。それが『ハッピーレッスン』であり、各教科の担当の先生が母親役になり、本来ならば親離れをして然るべき男子高校生をバブみに回帰させるのである。だがこれはシスプリの余波もあってかママヒロインよりも妹ヒロインの方が人気となってしまった感があり、電撃G'sはママではなく今度は家族を男性の拠り所にしようと「トゥルー家族」なる幻影を生み出すことになる(『べビぷり』)。
    • 平成後期に入ると、失われた30年により日本の衰退は顕著になり社会の荒廃が進んでいったが、そこで炉利に母性を求めるようになっていく。最初は「のじゃ炉利」、「炉利BBA」といったキャラが流行った。不死だったり狐狸だったりエルフだったりして見た目は年下炉利だけれども、実は長寿の年上であり、甘やかしてくれるというのがコンセプトであった。有名なものとしては仙狐さんが挙げられるであろう。だがその一方で、年上ではなく、ガチ炉利に母性を見出すようにまでなっていく。艦これの雷や電は一応原型となる艦隊が作られた年代を考えれば年上とも言えるかもしれないが、まぁガチ炉利であろう。デレステのみりあや桃華は彼女たちの子宮から生まれてきたという発言が一部界隈でミームとなり、その人気に乗じて2023年春アニメではU-149というデレステガチ炉利勢がアニメ化をされることとなった。
    • こうして男性が母性を求めるという欲望に加えて、見た目は「炉利」(だが実は年上)にバブみを見出すようになり、さらにはガチ炉利にまでお母さんを求めるようになっていったのである。このような土台の上に、電撃G'sが出してきた作品が「こどもママ」というガチ炉利お母さんハーレムであった。現代社会は生きているだけで罰ゲーム。最低でも住民税・健康保険・年金を支払わなければならないため何もしなくても資産が減っていく(何もしないからこそ減るのか?)。それ故、納税の義務を果たすべく労働に駆り出されるわけだが、剰余価値説的には働いているだけで給与以上の価値を搾取されており、そこからさらに所得税やら何やらが引かれていく。楽しく働ければそれでいいのだろうが、そんな仕事は殆どなく、資本主義により磨り潰されていく。カネを稼ぎ、「達成感」や「やりがい」はあったとしても、そこには何もない。そんな人生の虚無に行き着いた果ての社会人男性に提供されたのが、ガチ炉利お母さんハーレムである「こどものままでもママになりたい!」という作品だったのだ。資本主義社会に磨り潰されてしまった男性など女性から求められるわけもなく、相手をしてくれる人など母親しかいないという日本社会の狂気が感じられるコンテンツである。
令和衰退期の社会人男性に提供されたのはガチ炉利お母さんであった
社会人男性を褒めてくれる人なんて現実には存在しないから……